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ネコもらいます def


決心する。又、飼うぞ!
6ヶ月前カロータがあの世に行って、『もうネコは絶対に飼うまい!』涙涙で決意したのに、長続きはしなかった。

何処からもらってこようか?今まで飼った4匹は,コモ湖の知人からもらっていた。この家族は大きな庭を持っていて,ネコはひっきりなしに子供を生んでいたから、気に入ったのを貰っていた。でもこの家族はもういない。

インターネットで『猫もらいます』を検索してみた。,あるある!

MONDOGATTO(猫の世界協会)
ADOTTAMI(ボクをもらって協会)
AMICIMICI(子猫のお友達協会)
などなど。

橋の下で生みおとされたネコたち、下町の工場の片隅でひっそりと生を受けたネコたち、そんな彼らの未来の幸せを願って、一生懸命もらい手を探す人たちがいることを知る。
幸せな家庭のネコから生まれて来た子もいるが、星の下で生まれたネコの方が多いんではないか?って気もする。

愛の手を待つネコ達の写真もいっぱいだ。
4歳、5歳の円熟した?ネコも顔を並べている。
「外国に移住することになったので,このネコをもらってください。性格は至って従順で甘えん坊なのです」
「女房が亡くなって、わし独りで猫の面倒を観る自信がない。貰って欲しい」
「わたしはネコを飼って2年経つけど、ネコに夢中の自分に疑問を持つようになった・・・」
彼氏かネコか、決断を迫られて悩んでいる女性もいる。

片耳がないネコ,片目のネコも。
はっとするような,神秘的な3歳の三毛ネコが,実は膀胱を煩っていて、おしっこがうまくできないとか。
「お願い!このネコちゃんを見捨てないで!」

「子猫もらいます。生後2ヶ月。赤の虎猫。しっぽが長いのが理想」
などと、ボクはあちこち書き込みをする。返事が来るのだろうか?


そして・・・
行動開始の第2日目にすぐにメールがはいる。
うーむ、ついてるぞ!

このネコ、60ユーロだって?。
値段がついてるってことは、トクシュなのかな?
だとすれば60ユーロは安すぎる。
チェルトジーノ(ロシアンブルー?)などは、500-800ユーロぐらいするのが相場らしい。
僕だって、チェルトジーノを飼ってみたい。その愛らしさは何とも形容しがたい。
でも,もちろんそんな余裕もないし、金を払って猫を飼うことに疑問と抵抗を感じるのだ。
相互(探し手と貰い手)の出会いがあれば、ユーロは不必要。
草むらで捨てられていた雑種だっていいのだ。尊い命には変わりないのだから。

でも・・・
たったの60ユーロならいいことにしようか。時間をメチャつぶすのがもったいないしね。
自分はフリーのイラストレーター。猫がいなくたって、徹夜続きってこともあるのだ。

電話をかけてみる。
電話に出た女性と話しがついて、さっそく午後3時に見に行くことにする。

暑い!すでに7月に入っていて、雲一つない34度の北イタリアの午後。
ミラノからコモ湖に向っての途中のブリアンツァの乾いた片田舎道を走り回る。探しに探してやっと見つかった小さな一軒家。
籠も用意してきた。ベルを押すと若い背の高いカップルが出て来た。2人とも30そこそってところ?日焼けしていて片田舎の善良な若夫婦って感じだ。彼女は、子猫を抱いている。
ネコ探し2

「これよ」彼女はニコニコ顔で言う。
「・・・これ?この猫、写真のネコ?」
「そうとも、おんなじネコだよ」と彼。
信じられないなあ。写真の方がずっーと立派だし可愛かった。目のあたりにぶつぶつの斑点があるのが気になる。それにしっぽが短い。でも、抱いてみる。
子猫は弱々しく,訴えるように泣いている。

「ちょっと考えさせてくれないかい?その気になったら明日、電話するよ」
「いいわよ」「いいとも」
不思議なくらい悪びれたところが全くないカップル。
「このネコ、60ユーロの値段がついているけど、特別な猫?(そうには見えないけどね)」
「普通の雑種よ。お金を払ってくれる人は、一生懸命、真剣に育ててくれると思うからよ」
そんなもんかな?
「僕にとって、タダでもらったネコにでも、700ユーロ払ったネコにでも、そそぐ愛情は同じなんだな」
カップルは、悪びれずにうなずいている。
そして子猫のお母さんネコを紹介してくれる。びっくりするくらい大型の三毛だ。
我が子を奪われることへの関心や不安は全くなさそうで、くりくりした瞳は可愛い。

その日から、ボクの本格的ネコ探しが始まったのだった・・・

パオラという名前の女性からメールが入っている。
「あなたの探しているタイプが2匹います。関心があれば電話してみたら?番号は、携帯3258・・・」
さっそく電話を入れると、用心深そうな中年女性の固い声が答えた。
「どなた?」
「パオラ夫人のご紹介で実は・・・ネコを見に伺ってよろしいですか?」
しばらくの沈黙。未知の人間、しかも外人とわかれば,用心深くなるのは当然だろう。
「・・・では今日,午後3時に伺います。ネコ、早くみたいので」

ミラノ市の最南部。燃えるような緑の中にわりと新しい高層アパートが連なっている。
木陰に駐車して目的の家に向かった。
ブザーを押すと、ドアが開いて背の高い痩せた女性がたっている。年頃は50代半ば?
彼女は疑わしそうに僕を凝視していたが,怪しいたぐいではないと判断したのだろう。
『さあ、お入りになって』
僕が籠をさげているので、鋭い調子で、
「あら、今日すぐにはネコはつれて帰れないわよ」
え?どうして?
「書き込み用紙に書き込んでもらって、こちらで見当させていただくの」
そんな!(たかがネコ一匹に?)
「それに、ネコを飼うためにふさわしいお宅かどうか知るために、前もって見せて頂くことになっているのよ」
家庭訪問まで?妙な気分になる。

とにかく,ネコちゃん見せてくださいな。見たい!諸問題はその後で。

スージさん(彼女の名前)はバスルームに案内してくれる。
午後の日差しでいっぱいの広いバスルームの一画に、小鳥が10羽くらい楽に飼えそうな、四角い鳥かごが置いてあり、すみっこに2匹の子猫が寄り添っていた。
これぞ、ボクが望んでいた赤毛、虎猫なのだ。申し分ない。
彼女は檻から一匹、雄ネコを取り出しボクに抱かせてくれる。
子猫は泣きもせず、ボクをじっと見つめているだけ。ちょっとおびえた感じもするけど・・・蒼い瞳は大きく見開かれている。

この分だと2ヶ月足らずかな?かわいい、つれて帰りたい。おまえを幸せに出来るのはボクだけだよ。
「つれて帰りたいなあ」
「すぐにはダメだって言ったでしょ」
つれてかえる

「このネコちゃんたち、お宅で生まれたのですか?」
「いいえ。レッコ市(スイスに近い北部の街)の川縁からメンバーが拾ってきたの。その辺りでは野良猫が頻繁に子供を生むらしいの。放っとくと飢え死したり、鳥やネズミに食べられたりする可能性があるし、見つけ出してこうしてもらい手を探すのが,私たちの仕事よ」
メンバーとは・・・
ネコが好きで可愛くて、ネコのためにだったら何でもしたい、何かしたい人のグループのメンバーとのことなのだ。
彼女ら(ほとんどが女性)は、市内だけではなく州全体にわたって網を張ったように連絡をとっているとか。
100%のボランティア。

「3階ですって?バルコニーはあるの?」
「バルコニーは3つあります」
我が家にバルコニーが3つあるのは、ボクの自慢にしていることなのだ。
バルコニーが3つ、日当りがよく、風邪通しもよく、並木の緑で通りの向かい側が見えなくなるほど...が、ささやかな我が家の良点。
「まあ!ネコが落っこちたらどうするのよ?」
「落ちる?一度、キッチンのバルコニーから、落っこちたことがあるんですよ。朝早く,ホシムクドリが飛んで来たのを捕まえようとしたらしいのです。雨上がりで大理石の手すりが濡れていて,つるっと滑っておっこちちゃったというのがボクの想像。ところが下のアパートの洗濯物の紐に引っかかったらしくて、スピードが落ちて怪我はまったくなかったのです。一階の家のテラスの大きな鉢植えの中にはまっちゃって、泣いているのを助け出したんだけど、つれて帰ってきて興奮してたのは一時間だけ。しばらくするとケロッとして玉転がしなんかやっているので,こいつ、後遺症になるってタイプではないんだな、なーんて。アハハハ。それに一回失敗したら絶対テラスに上ったりしないのだから、ネコの用心深さはすごい。」
他愛なく我がカロータの失敗談を話していたつもりだったが,スージさんの顔が険しくなるのをもっと早く気がつくべきだった。
彼女はむっつりして、書き込みの用紙をボクの前に乱暴に差し出した。
誓い

氏名、アドレス、そして市が発行する身分証明書のフォトコピー・・・
・・・まではいいとしても、Codicefiscaleのカードのコピーまで。
このカードはイタリア人に限らず,在住外人まですべての人間がもっていなければならない番号カード。
アパート入居、税金申告、健康保険、入院、クレジットカードの申請はもちろん、車,テレビ、コンピュータの購入にいたるまで、必ず提出しなければならない番号なのである。

こんなもの・・・ネコと何の関係があるんだね、
でも黙っている。失格になったらたいへんだもの。そしてまだあるのだ。
予防注射、去勢手術済みの証明書のコピーにいたるまで。
その上、家まで点検されたんじゃあ,せっかくもらっても、自分のネコって実感が湧くだろうか?

バルコニーの手すりに飛び上がるのを見るにつけ、下痢をするにつけ、スージおばさんの怖わーい顔がボクを脅かすのではなかろうか・・・

最後に・・・
『ネコの寿命を15-20年と仮定して、あなたの年齢を考えていますか?』

現在61+18歳(ネコの寿命)=79歳!
うーむ、ワシはそれまで生きているのじゃろうかの。
「でも、引き取ってくれる人がいれば、いいのよ」と、スージさん。その人の『承知しました』というサインが必要とのこと。
独り者にネコをあげるのを(または売るのを)嫌がる人はいるってことは知っていた。

その書き込み用紙を貰って、その日はとにかく引き上げることにする。変な気分だ。
ネコに別れの挨拶をしに再びバスルームへ。可愛い。ぱっちりと見開かれた眼が僕をみあげる。

・・・もしかしたら、僕たちはもう巡り会うチャンスはないかもしれないネ。
後ろ髪引かれる思いでバスルームを後にした。
玄関のドアのところでスージさんは言った。
「バルコニーに金網を張りなさい。話はそれからよ」
そして、
「あなたはとってもユニークな方だし、ネコを可愛がる人のよう。さし上げたいのはやまやまだけど、猫の安全がまず第一なのよ』
 
スージさんを紹介してくれたパオラ夫人にメールを書く。
「僕はどうやら失格したようです。残念。こんなに厳しいとは。でも、別を探しますからご心配なく。良い勉強になりました。」
一目惚れした子猫が自分のものにならなかった幻滅は大きい。
決着を付ける意味と、腹いせも少しばかりあって,送ったメールではあったが・・・

30分後に返信あり。
「失格などしていません。スージはあなたのこととっても気に入ったようです。とにかく、代理人をあなたのアパートに送りますから,それから決めましょうよ」
やっぱり、家を見に来ることには変わりないのだ。
見に来られたって,都合の悪いものなど何もないが,そこまでこだわる彼女らのシステムに納得ができないのだ。
それに、3つのバルコニーの一つでも、網をはることなどもってのほかである。
それで,丁寧に断りのメールを送る。

                       
別のご夫人のメールが入ったので電話をする。
「とっても可愛いのが6匹も生まれたの。他にも数匹いるんだけど・・・2匹貰っていただきたいの。それがわたし共の条件よ」
「2匹はむりですよ。1匹だけ」
「可愛そうよ。独ぼっちでは」
「独ぼっちではありませんよ。僕がいます」

また、別の電話が入る。
「母親ネコも一緒に貰ってくれる人を探しているのよ」
えーェ?母猫もいっしょに?
「姑めの面倒まで見れってこと?それはちょっと・・・ぶくぶく太った姑ネコ。子猫にちょっと触っただけでも牙剥いてハーッ。親子ネコに我が家を占領されたらどうしよう!」
マンマネコ


彼女,ぼくのたわごとを聞きながら声を上げて笑っている。
「母ネコはまだ,一才半なの。とっても奇麗なネコ。うちの孫がネコアレルギーだと分かったので、もう猫は飼わないことにしたのよ」
じゃあ,避妊手術はしてないのですね。我が家はアパート3階で庭はありませんから、欲求不満で大変でしょう。
子猫だけならよろこんで。


クレモーナのM夫人から電話が入った。
「ロディにとっても奇麗な赤ねこがいるんですって。わたしの面識のない人だけど,興味があるなら電話してみたらいかが?」
ローディはクレモーナ市の10キロくらい手前の古い街である。
もう木曜日。何とか今週中に猫問題を解決してしまいたいとの焦りもあるので、行くことにする。

紹介してもらったS奥さんは凄い乗り気で、日本人と話が出来るのが楽しみなの、などという。
ところが、ロディ市に入って道をまちがえ、お互いに携帯で何回もやり取りしている間に,ますます迷路にはまり込んでしまった。
そして・・・
信号待ちの前の車、オペルと正面衝突寸前,急ブレーキ!
バッグや帽子やボトルなどが,前にすっ飛ぶすさまじさ。超クーラーなのに冷や汗が。心臓がドキドキする。ねこ探しに我を忘れて奔放している自分。頭を冷やす必要がある。オペル追突寸前のブレーキは警告なのだ。
携帯が鳴る。
「今どこにいらっしゃるの?」
「奥さん!ミラノにもどります。運命です。お宅の猫と僕の巡り会いはあり得ないないのです。ごきげんよう」などと馬鹿げた言葉がほとばしり出る。相手の沈黙。そして、
「・・・お好きなように」
しらけた声を聞きながら電話を切った。
もう,猫探しは止めようと決心した・・・


のだったが・・・
ブレッソというミラノ郊外の小さな街の女性から声がかかる。
これが最後と、性懲りもなく出かける。
灼熱の環状線を突っ走って、行きついたところは・・・

その女性は犬・猫用の食料品や砂、籠などを売る店を経営している若い人だった。
彼女は捨て猫や子犬の飼い主を探す奉仕にも携わっていた。

店の中は臭くて5分もいるのが精一杯って感じだ。
彼女はMacを開けて、情報探しをやっていた。捨て猫,捨て犬の貰い手探し。ボクの所在もこうして見つけたのだろう。
臭い店の中に相応しくなく、見事なロングヘアの洒落た感じの女の子。大学に通いながらこの仕事をしているという。
それにしても、こんな臭いところにいて平気なのかな?慣れって恐ろしいものだ。
家では5匹猫を飼っているとのこと、へーえ・・・

おめあての赤ねこは痩せてしっぽは短く,すごく臭そうだったが抱いてみた。
一見見栄えのしない子猫だったが、愛嬌があった。檻の中に戻したとき、その小さなしっぽをピンと上げて、僕を見あげた。互いの眼がパチン!と合った感じ。

それから子ネコは同僚達が食べている餌のほうにと元気に走って行く。
そのとき、この猫,貰って行こうかな?ってぐらついたが、ちょっと考えさしてと言って店を出た。

ネコ通の友人に電話したら、『お前はバカだ。つれて帰るべきだったんだ』という。友人は眼と眼のパチンにこだわっているのだ。これぞ最高の出会いだという。

一日中あのむれた悪臭が鼻をつき閉口した。
なんと、子猫を抱いたあたりにべったりとにおいが付着していたのだ。
その夜は、その猫のことをずっと考えつづけた。


翌日、土曜の朝、姑ネコまで押し付けようとしたG夫人から、改めてメールが入る。
「母親ネコの貰い手がきまったの。だから、ご希望とおり子猫だけ。今日の午後2時、サン・ドナートの市役所の前でおあいしましょう」

そして,僕はまたまた炎天下の環状線を車を飛ばし、指定の市役所前まで行った。
午後2時の炎天下、土曜日なので広場は眠ったように静まり返っている。
約束の時間かっきりにボルドーカラーのランチャが現れ、ボクのところで急停車した。

G夫人は、『早く早く、時間がないのよ。シエナのパリオ(中世の乗馬服を着けての伝統的競技)の中継が始まるの』などと言い、抱挨拶もそこそこに、ボクの持って来た籠の中に無理矢理子ネコを押し込んで、そのまませかせかと又、車に乗り込んで行ってしまったのだった。
ほんとうにあっけない一瞬だった。
こういうことには、イタリア女ってすごいのだ。

子ネコはもう3ヶ月はゆうに経ってるのは一目瞭然。
ちょっとがっかり。2ヶ月くらいのが欲しかったんだけど・・・だけど後の祭りである。
でも、カロータ(一昨年17歳で病死)に生き写しで可愛く品がある。だから、一応合格、と言うべきか。
正直言って、もうしょうがないって気持ちも。
眼はブラウン。翡翠色?カロータはグリーンだった。

車の中で小さく泣く子ネコ。
家にもどって,籠から出したら、いきなりボクのベッドの枕の上で、ブリブリニューっと、ウンチをされて唖然!
臭いっ!籠から出してすぐ、砂箱に連れて行くべきだったのだ。
ネコを飼った経験は今までに4匹。彼らは我が家に来たときはすでに躾けられていた?
教育が必要だって?教育しなくたって、ネコは自分で学ぶものと思い込んでいた自分なのである。

おしっこも2回,サロンの板張りの上でピピーッ。
こんなはずじゃあなかった。これから先が思いやられる・・・と深刻な気持ちになる。
あの奥さん,逃げるように去って行ったが、もしや?
このチビの悪癖を百も承知で、こっちに押し付けてずらかったのじゃあなかろうか。
怒りと失望!

翌日、目が覚めてサロンで再び愕然とした。
ソファーの上に置き忘れていた革製のショールダーバッグに、またまたべちゃっとウンチを見たのだ。
こんな病癖を持った奴とこれから15年20年とご一緒することを考えただけで,鬱病になりそうだ。

獣医に電話したら、ワハハハッと笑って,『よくあることだよ、まだ子猫なんだから』と言われてちょっと気が楽になった。

名前をHofy(ホフィ)とつける。
「何処からそんななまえが出て来たの?ちょっとイタリア的ではないね」
とみんなに言われる。
由来はこうである。
昨年の秋、永久滞在書を紛失して警察署で作り替えてもらったとき、僕の出生地の『HOFU(防府)』を,係員がミスプリントで『HOFY』にしてしまったので,笑ってしまった。そして新しい猫のなまえに使わせてもらったというわけ。

ともかくホーフィーは、7月3日、土曜日に我が家の一員となった。(おわり)

最後まで読んでくださってありがとう。
次のチャンスには、幼きわがホフィの体験談などを書きます。
お楽しみに。   けんじ










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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 11:27 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji72°
hh
首の回りにおできが出来て、薬を塗った後,しばらくエリザべッタカラーをつけらされた、知り合いの家のネコちゃん。これをつけないと、傷口をペロペロ舐めてしまうからだ。ハイハイと黙って付けているお利口ネコちゃん。数時間経って、薬が乾いたら取り外してもらえる。
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logo sevilla
<セヴィリア・ブラブラ歩き3°>
 
sきかん

カラフルな空き缶をちょきちょき切って瞬く間に灰皿にしてしまう老人。
一個50セント。2つ買う。老人はありがとうも言わず黙々とてを動かしている。灰皿として使うにはちょっと軽すぎるようだ。

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海洋博物館の塔から撮った川向こうの風景。テーブルは満席で、人々はダベたり飲んだり。
まだ、午後4時の中途半端な時間なのに、バールでは人がいっぱいだ。日曜だったから特にすごい。小さな子供連れも目立つ。
スペインにはTAPASというのがあって、食事と食事の間に何やらつまんで時を過ごす風習があるようだ。
それも独りではなく、友達や家族とじつに楽しそうに食べている。話も途切れることがなさそう。バールや大衆食堂では。タパス用メニューというのがあり、小皿に載っけた少量の料理を一皿2、3ユーロで食べさせる。それを5皿もとって飲んでいたら,もうお腹いっぱいになるのではなかろうか。今日はタパスで愉快に過ごして,夕食代わりってことだってありうるのだ。

mm
近くのテーブルで見た豊満なご夫人。
全盛期のプリマドンナ、スペインの名花モンセラ・カヴァリエのそれこそ、そっくりさん。
豪快な笑い声と人の良さそうな黒い瞳もそのまま。
カバリエの名舞台はスカラ座で沢山観た。
太り過ぎだったが、ばっちりメークした舞台姿はそうとうなものだった。
そのカヴァリエ女史が真近くでワインを飲み、イカの輪切りの天ぷらをほおばっているのだった。つい気になって、眺めっぱなしだった。

b
もう午後の6時になっている。人々がどんどん集まって来る。忙しくかけめぐっていたウエイターがやっと我々の所に注文を取りに着てくれる。友人がしつこく食い物に質問や注文をつけるのを、笑顔で答える若いウエイター。
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皆さんの暖かい拍手をお待ちしています。

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 14:46 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji70
猫4体

スペイン旅行から帰って来たら、ホフィはすっかりマトモ(おとなしく)なっていた。
留守を守ってくれたM夫人にもすっかり気に入られたよう。「私の可愛いボーイフレンド』と言ってくれる。
これはミラノに戻って来ての初めての記念撮影。Macの前で。ウーン,こいつ随分おもくなったなぁ。

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<セヴィリアの街ぶらぶら歩き 1°>


3月30日に日本から戻って来て、その疲れといったらなかった。
目が覚めたら体中が石のように固まって眼は開けられず、首も足も動かず、一週間もぼーっとしていた。

そろそろ体調が戻ったころ、親友から『スペインに行こう!セヴィリアだ』

え?・・・・行きたい。

アンダルシア地方のセヴィリアの街・・・最後に残った僕のスペインの未知の街。近辺のコルドバもグラナダも訪れたのに,セヴィリアはいつも何回もチャンスを逃してしまった憧れの街。

アンダルシア・・・つぶやいてみてもこれほど懐かしく,静かで郷愁を感じさせる地名は少ないだろう。
wil

まだ,東京でサラリーマンをしていたころ、ジョン・ウイリアムスというギタリストの演奏会に行ったことがある。そのときのプログラムは記憶にないが、この若き天才の奏でるメロディーは、僕の若かりし頃の記憶に金字塔としてきざまれていたのである。
そして。イタリアに来てウイリアムスの『アルハンブラの家』を聴いた・・・

行きたいけど,金がない。すっからかんなのだ。

「任しておけ」
そして、また電話がががる。「航空券は往復110ユーロ。朝、6時発のだったら往復60ユーロだよ。どうする?」

Easyjet やRyanair などが,ユーロ諸国を超低料金で、網の目のように走り回っている時代だ。
今のうちに旅行はしておかないと。熟考した後OK する。
我がホフィは、またまたM夫人に押し付けて飛び立った。


 sevi 1


sevi ponte
広場の中を流れている川を渡る橋。古い橋も建物も,レンガとカラフルな陶器から出来ている。
hekiga

sevi fontana
旅行者はそんなに多くはない。今は観光シーズンオフだからだろう。
それともこの不景気の為?

広場に慎ましくお土産屋が店を拡げているが,色彩は鮮やかさを通り越し,強烈だがドギツクはない。
鋭い太陽はもっと強烈だからだ。

kasu

広場に集まる旅行者たち。
カタッ、タタタッと何処からともなく、乾いた明快な音。機械的で,人工的で、明るくまた虚無的な響き。
カスタネット売りのおばさんが、自らご披露。
あまり買い手がなさそうなのが気の毒。何せ,財布の紐は固いのだ。
一つ買えば良かったと後で(ミラノに戻って来て)後悔した。
耳の訓練に役立ったかも知れないからだ。どうして気がつかなかったのか。

sevi banchetto

sevi turisti
(つづく)

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 23:57 │Comments1 | Trackbacks0編集

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お利口になってきたホフィ。信じられないよ。ねこっかぶりかな?
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雪の小樽。
札幌から45分くらいだったと思う。明後日でユーレイパスは切れる。
明日は一直線に東京に戻ることを考えなければならないのだから、今日は貴重な最後の北海道なのだ。
のんびりと小樽散策といきたいところだが、その寒さ。

運河沿いに雪の中をとぼとぼと歩く。人っけなんて全くない。又小便がしたくなる。
でも,誰もいないんだし遠慮なくやってしまい,又とぼとぼと。

古いレンガ造りの建物は小樽博物館で,別の入り口には『小樽プラザ』の大きな表札があって明かりが漏れている。ここならちゃんとトイレもあるだろうし、暖かい飲み物だってあるにちがいない・・・

人々(旅行者)は静かに絵はがきを書いたり、ガイドブックを読んだり、壁の開拓時代の写真を眺めたりしている。
ノンビリとして広々したその空間に眼をみはるが、実はこの建物、むかしは倉庫だったのだ。とは言え、窓はヨーロッパのアーチのように半円形。ここが日本であることを忘れてしまう。雪の景色もまるで北欧のよう。
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カウンターにいた責任者のような感じの男性と色々話をする。
もの静かで几帳面な雰囲気で歴史などをはなしてくれる。

3枚だけイタリアの友人のために絵はがきを書いた。
売店で砂糖の固まりのようなブドウ糖や飴を買う。いかに健康にいいかなどがびっしり書いてあるのでつい笑ってしまう。日本の食べ物には必ず健康維持のためにいかにこの製品は効果的であるかが必ず書いてある。これは日本だけではなかろうか。

その日は日曜で悪天候のため観光には運が悪かったが,,やはり足を延ばしてよかったとおもう。
店は沢山は開いてないが,さてうんとうまいものを食べるぞっと意気込むと元気が出て、プラザを後にした。(おわり)
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皆さんの暖かいご一票をおねがいいたします。

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 08:58 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji68
sumurakenji
我が家には3つバルコニーがある。サロンと寝室のバルコニーはホフィに解放しているけど、台所のバルコニーだけはすだれをしめきっている。手すりがつるつるの大理石で出来ているため滑ってしまう恐れがあるためだ。以前,先代のカロータが、雨上がりの夜明けに餌探しに飛んで来たホシムクドリを捕らえようとして、するっ!一階のテラスに落っこちて大騒ぎしたことがあったからだ。(我が家は日本風で言えば4階)
だから、ホフィには絶対登らせない為にいつも閉め切ったまま。でも見たいんだよね。下界はどうなってんだか。気持ちはわかるけどね。
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クラーク会館を出て,コーヒーを飲み、構内をぶらぶらする。
有名なポプラ並木は雪にどっぷりと埋もれた歩道に,枯れ木のまま空を突く感じにそびえている。
入り口は柵がしかれ立ち入り禁止。
新緑に輝く季節になってもそうなんだろうか?

化粧タイルを張り巡らしたロシア風建物に前に。
『北海道大学総合博物館』
ちょうど学生の研究祭の期間らしいので入ってみる。
sumurakenji 
1階では、クラーク博士をはじめ開拓や北大設立に携わった人々のことがたっぷりと見れる。アメリカから送られた教育者も多かったため、英語教育は抜群きびしかったそうだ。

ノーベル賞に輝く鈴木章博士の研究室なども見学出来て楽しい。
鈴木博士は以前から『特許』には大反対だったそうだ。輝かしい研究成果は自由に使わせてこそ、科学の進歩に貢献する,というのが彼の主義なのだ。本当にりっぱだ。
すむらけんじ


2階は、学生たちのグループ研究の出展などが見られたが,何しろお門違いの自分、今思い出そうとしても,何にも阿も浮かばない。
『火星から眺める宇宙』という3Dの映画を見る。もちろん学生たちの作品、
とても奇麗だ。へー・・・そうーなの・・・、とため息ばかりだが、20人足らずの訪問者の中に混じって座っていたら,すっごい眠気が襲って来た。椅子からひっくり返りそうになる。
それに解説する学生の喋っていることがぼそぼそさっぱり聞こえない。
それでも見る価値は充分あったとおもった。
売店でイタリアへのお土産に,Tシャツとバールペンを買った。(つづく)


| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 18:14 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji67
すむらけんじ
耳の訓練をしている僕。回りをチョコマカ動くホフィ。彼はじっとしている僕に苛立つらしい。何時も動いていてもらいたいのだ。

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「クラーク先生の像は何処にあるんですか?」
「あの道を下って行き、そして・・・。」
北海道大学正門の守衛さんは親切におしえてくれた。

クラーク博士が手を延ばして『少年よ!大志を抱け』の立像は実はこの学内にあるのではなく、市内の羊ヶ丘に据えられていることをそのとき知る。何の予備知識もなしの札幌訪問。学内にあるのは胸像だが、とにかく見れたと一応満足する。
記念写真をやはり旅行者らしい人に撮ってもらう。このけ足旅行での数少ない自分の写真だ。

その後,クラーク会館に足を運ぶ。ここは学生会館である。食堂に入るとちょうど昼食時間歯とっくに過ぎているのに学生でいっぱいだ。
真っ黒な頭髪の中を泳ぐようにして中に進むんで注文する。さてと、さんまの塩焼きとおでんとみそ汁と煮付けの質素な定食にきめる。
朝,あれだけ喰ったのにもう腹は結構すいている。
回りの学生たちを眺めながらゆっくりと食べる。たまーに若者たちに交じって年寄りもいる。教授なのかな?
自分の学生時代の学内の食堂を思い出さずにはおれない。ラーメンライス、ほうれん草のバタ焼き・・・懐かしい。

『(新しい)箸は食堂から持ち出さないでください』の張り紙。
笑ってしまう。学生は忙しくて貧しいんだよね。つい持ち出してしまうんだ。経験あるけど。
sumurakenji
(つづく)

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 22:45 │Comments2 | Trackbacks0編集

sumurakenji66

sumurakenji
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札幌旧市庁舎から北に向かって歩いていたら、道に迷ってしまった。
和洋折衷の古風な一軒建ての前に出た。回りのマンションなどに取り囲まれて小さく見える,いやむしろ質素に見えるこの建物の表札には『清華亭』とある。

試しに玄関のドアを押すと、難なく開いたが,ひとの気配が全くない。靴を脱いで中に入る。洋間あり和室ありの実に落ち着いた優雅な雰囲気。開拓時代に貴賓を迎える為につくられたものだが、明治天皇もご休息された所だそうだ。
seika

しばらく瞑想にふけって、さて出ようとしたら、僕のあとに誰かが訪れたらしく、一足の靴と雪に濡れた一本の傘が立てかけてある。僕のような訪問者?又は管理人?しばらくぐずぐずしていたが,ついにその人は現れなかった。僕はサインをして、静寂の清華亭をあとにした。(つづく)
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皆さんの一票、拍手をおねがいしまーす。

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 12:04 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji65
だらしないblog
この机を見れば、大体飼い主の性格がわかるんだよね。
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kkk


札幌は見るところは一杯あるようだが、まず北海道大学を訪ねてみようと決めた。地下鉄でJR駅まで行けば短距離だが、歩いてみることにする。その間、旧市庁舎もあるはず。
雪が降ったりやんだり、寒さは厳しい。

たった2時間足らずの歩行なのに2回もトイレに行きたくなる。
年を取って来て、一番困るのがこれだ。寒いときの外出は始末におえない。

トイレはどこだーぁ!トイレはどこだーぁ。蒼くなったり赤くなったり。
あったァ!小さなビルに飛び込む。
『外部の方のご使用はご遠慮ください』だって。
わかってます。

トイレ

旧市庁舎はアメリカン・ネオ・バロック形式とやらで見事な赤煉瓦。
こういうクラシックで気品のある建物が残る札幌の街は素敵だ。
開拓史は1800年後半から始まっているのだから、オリジナルの物を見れるのは自然のことだろうけど、やっぱりいいなあと思う。
現在は,開拓史の資料を集めた図書館として使われているとのこと。
つららが見事だ。
すむら

(つづく)
皆様,拍手をお願いいたします。よろしく。

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 17:06 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji64
sumurakenji
ホフィの夢は?木馬に乗って野原を駆け回る夢?
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kkk
朝6時前,ホテルの温泉につかう。ミラノでも朝風呂の自分。体を思い切り延ばして、ゆっくりと眼がさめる。
立派な温泉だ。いろいろ凝っていて楽しめる温泉。
こんな早くなのに4,5人の入浴者がいる。みんな早いのだなあと感心する。

服を着替えて朝食をとりに。
おばさんの元気な『お早うごさいます!』に迎えられての和風式バイキング。
盛りだくさんのスジコ、エビやイカの刺身、その他いろいろいっぱいあって、まばゆいほどだ。
白米の上に刺身やスジコをちらし寿司ふうにのっける。スジコはちょっと遠慮しいしい、大さじに軽く一杯のっけた。ところが僕の後にいた若造さんが大さじ山盛り2杯も乗っけたので,,負けるもんかと僕は又後ろに戻って,彼のまねをする。
うまい!幸せの朝だ。スジコ食べ放題の筋金入りの一日ははじまる。
今日は一日使って札幌市を見るプラン。明日は日帰りで小樽へ。明後日19日は北海道をおさばらして,東京へ向かって下らなければならない。あっという間に過ぎてしまいそうだ。
すむらけんじ
この他にもいろいろあったが、僕が頂いたのはこれだけ。(つづく)

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 09:11 │Comments2 | Trackbacks0編集

sumurakenji63
dai

dai2
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kkk
翌日、3月16日の朝、パット目が覚めて、服を着たときには、札幌へ飛ぶ?ことに心は決まっていた。
早々と函館の駅に向かい10時半ころの札幌行きの座席指定券を発行してもらう。ユーレルパスは座席指定権付きなのでべんりだ。値段は2週間分で45000円くらい。もちろん普通席。

駅ビルの飲食街でお弁当『函館夜景物語』というのを買う。
華やかなちらし寿司。きらめく夜景からヒントを得たものト見受ける。
ちゃーんと中身が見えるので信用は置けそう。店のおばさんもとっても感じが良かった。
fff

またまた真っ白な雪の中を汽車がはしる。
腹が減って来て『函館夜景物語』に手をつける。悪くなかったなあ。

午後何時頃だったか覚えてないが,札幌到着。ホテルはお気に入りのDORMING INNに決めてあったので,タクシーを拾ってホテルまで。
全国の3大(・・・だそうな)歓楽トうたわれる『すすきの』という地域のど真ん中『狸通り』にホテルはあった。
すすきのは開拓者時代に遊郭が栄えた地域なのだそうな。カラオケをはじめ何でもかんでもある商店街。
たぬき
狸通り。ホテルはちょっとこの先。

手始めとしてホテルからJR駅まで大通りを歩いて、駅ビルに入る。凄いひとでだ。ビルの中は飲食店がいっぱい。金曜日の午后のせいか、何処も大繁盛で,客は椅子に行儀よく座って順番を待っている。でも楽しそうだ。これほど食生活に恵まれて食べ放題な国なのに,肥満体の人をほとんど見かけないのはどうしたわけか。みなほっとりとして無駄な肉がついてない。
前菜から生肉、サラミ、ハムを頂くイタリアン食生活とは基本的に違うことを、あらためて痛感する。

僕は回転寿しを食べた。
こうして何となく札幌の第一日は終わった。
さて、ホテルに戻って、温泉につかり、サービスの『夜鳴きそば』を頂いて寝るか。(つづく)

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 23:33 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji62

aaa

aaa
この2枚は今朝撮ったばかりの写真。留守している間に少しは大人しくなったような気もする。コップはまだ1個しかわっていない。僕が一つ割ったからあいこ。鉢植えの蒼い草はイタリアンパセリ。植えたのは一昨年の春。異常に寒かったこの冬にも耐えた。『パセリのように強く生き延びる』という言葉もあるくらいだ。
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kkk


蕗谷虹児の故郷、新発田市を後に特急は秋田へ向って走る。その日は3月15日、ユーレルパスを使い始めてすでに9日目。福岡と防府で1週間つぶしてしまったから仕方ないが、あと5日間で何が出来る?何処まで生ける?などとぼんやり考えながら,うつらうつらしたり厳しい冬景色を眺めながら過ごす。
鶴岡で車内を洗うように多くの乗客が降りる。鶴岡ってどんな街?きっと重要な街に違いない。

その後秋田まで車内は僕をふくめてたった2人。それで,こっそり携帯をかける。若い車掌が通り過ぎたが見てみぬ振りをしてくれた。日本旅行していて不便なのは携帯を座席でかけられないことだ。『デッキでで使用して下さい』とのことだが、荷物をそっくり座席に置きっぱなしでデッキにでるのもちょっと不安だ。
イタリアでの、盗難にご注意の感覚が抜けきれず、尻が思い。ぐずぐずとしている間に列車はどんどん進む。
外は大雪だが、それは眼を楽しませてくれる。

秋田駅に着く。
さっそくみどりの窓口に飛び込み、青森までの特急権を買い、駅ビルの中でいなり寿司3個と大福2つを買う。
inari 

ホームで駅弁は買わない。運が悪かったのかもしれないが、粗雑な駅弁に巡り会い、ウンザリして残したまま捨ててしまったことも2回あった。愚痴っぽいが新横浜のホームで買った『海の幸』はひどかった。1300円の豪華カバーだったけど、中身は鍋の底をカスリ取ったようなお粗末そのものものだった。
そんな事がつづいたので,乗り換えの駅のビルの食品街で弁当を買うアイデアを得た。

お稲荷を食べて大福を食べている間も、汽車は白と灰色に塗りつぶされた海岸沿い,あるいは林の中を突進する。
ときどき帯を敷いたような真っ黒な川が現れ,つかの間のくぼみに顔を出す蒼い空を見てほっとする。プリズムのような太陽の光がちらっと眼の奥を刺す。そしてまた、灰色の世界がつづく。
青森に着いた。
mado

青森で一泊のプランは又、変更され,函館行きの特急指定席を購入した。
出発したのは午後6時過ぎだったから夜も近い。

津軽海峡トンネルを抜けるのも、もちろん生まれてはじめてだ。
海抜から最深部まで240メートルと座席に示してある。すごい。

何分かかったか思い出せない。とにかくトンネルから出たら,もう北海道。胸が踊る。
今夜は函館で一泊しよう。始めての北海道。
イクラのたっぷりのったイクラ丼を食べて、今日は終了しよう。


北海道は始めてと言っても、厳密に言えばおよそ45年前、富士フィルムの宣伝部に勤務していたとき、一度だけ一泊、函館を訪れたことがある。恒例の富士フイルム・写真撮影大会のためだった。

もちろん出張だから飛行機で。生まれて初めての飛行機、出発25前のんびりと羽田に行ったら、どえらく叱られた。30分前にはすでにチエックインなるものが完了していなければならないのだと。そんなこと夢にも知らなかった田舎者の自分。汽車に乗るつもりで空港に行った思い出などが今、なつかしい。
僕のようなチンピラはモデルの女優さんの世話係をすることであり、担当は清水まゆみという日活の女優さんだった。まゆみさんは思っていたより大柄で,ジーンズにゴムひもでくくった髪、化粧なしでサングラスのいでたち。
紹介されたときは彼女の付き人かと勘違いしたほどだったが,翌日、正装(着物)でお出ましになったときは、さすがーっと驚嘆した。

撮影会前夜は出張所のご招待でお寿司屋さんへ。そのとき生まれて初めて食べたイクラに僕は大感激。こんなに美味しいモノがこの世に存在するのかと。
                        

話を戻そう。
さて、函館駅に着いた。
駅はホームから,エスカレーターで乗ったり降りたりせず、そのまま歩いて駅の外に出られたのがいい。ミラノ中央駅は別としてもイタリアの終着駅はそのたぐいが多いので親しみをおぼえる。

駅近くで宿を取った。
チェックインを終えて部屋にはいってから、そこは東急インではなく東横インであることが分ったおそまつさ。つまり東急インと東横インと別々のチェーン店があることなど初めて知ったってわけだ。

荷物を置いて食事に出かける。道は雪が氷になっていたり水たまりがあったりで、はなはだ不安定。
通りは暗く,飲食店は何処も閉まっている。人通りが少ないのでわびしい。
ikura 


なんとお店は8時に閉まってしまうことがわかった。華やかなネオンの港町のイメージはない。そんな所もあるのだろうけど、早くうまいもの喰って寝てしまいたい。今日は10時間以上も汽車に乗っていたのだから。

やっと和食の店を見つけた。純日本食の店。いかにも古そうなしかも落ち着いた所だ。
念願のイクラ丼大盛りとビール、蟹のみそ汁を食べた。(つづく)
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 11:28 │Comments2 | Trackbacks0編集

ほほほ 59

すむら
一ヶ月後の我が家。並木は燃えるようなグリーンに塗り替えられていた。ホフィは相変わらずの好奇心丸出し。飽きもせず人や車に眺め入っている。
ho devano
遊んで食べて眠るの繰り返し,今,13ヶ月。

kkk
一年半ぶりの帰国はとても楽しかったし忙しかった。
2週間のユーレルパス,4万3千円の『もと』を取ろうと、新幹線と特級で走り回った。福岡から小樽まで。あたかも。美味しいものを食べ続けて胃も心も充実した満足感に似ている。
耳が悪くなって以来、何年ぶりかの一人旅だった。

まず、新横浜からスタートして博多まで直行。3番目の姉が福岡に住んでいるので、2泊することにした。
福岡ではFacebook で知り合ったとよ子さんに初めて会って一緒にお茶を飲んだ。
ちょっとドキドキで会ってみるとしゃきっとした素敵な人。お孫さんがいるなんて信じられない若々しさ。姉も『きれいな方ね』と言う。kkk

とよ子さんは高級ブティックのチーフとして長年働いているとのこと。
彼女と2人でキャナルシティーに行って、僕が昨年KABELという会社のためにデザインしたスパゲッティを購入した。(このデザインについては改めてブログで紹介したい。)



さて、福岡から山口県の防府市へ。姉が2人住んでいるので、ここに3日間滞在。一日目は3人でお墓参りであっちこっち回り一日が過ぎてしまう。天満宮にもお参りした。早咲きの真っ赤や白の桜が見事だった。
姉たちも80歳前後なので、こうして一緒に会えるのもいつまでのことやら、などと食事しながら話す。
防府の街はだんだんきれいにモダンになっては行くようだが、活気の面では今一ってところか。
どうしてだろう。僕がそう感じているだけなのだろうか。街中は人が少ないし、歩いていても何となく眠気がさしてきそう。
でも駅前に立派な私立図書館も出来ていて,自由にインターネットが使えたのはうれしい。

高校卒業後、東京に行ってしまったので,幼なじみはあまりいない。sasaki

今回唯一会った友達は高校のクラスメートのS君だ。彼とは里帰りのときはほとんど会っている。記憶に間違いければ、高3年のときすでに結婚していた強者。釣りが大好きで、釣った魚を料亭に持って行って料理させたりしていたのを思い出す。
その彼と、現在?の奥さんと『防府で一番うまい回転寿し』を食べに行き、その後はお決まりのカラオケへ。
彼は自分の歌を僕に聴かせたいのだという。耳が悪くなるまえからカラオケに全く関心がなかった自分に取って,このおつきあいは30分とといえど、辛い時間だが、辛抱も友情の欠かせない要素なのだ。昔昔、ひばりの『真っ赤な太陽』くらいは歌えた。多分15年前くらいだったと思う。
Sはマイク片手にステージでしんみりと自分の声に没頭している。僕にはなにも聴こえない。
カラオケシステムも随分進歩していて,リクエストされた曲は直接有線放送からキャッチ出来るようになってるらしい。(つづく)

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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 17:40 │Comments1 | Trackbacks0編集

sumurakenji58
sumurakenji

3月初めの帰国を控えて何となく慌ただしい毎日だ。
異例の寒波が続いたために行動が鈍くなったこともあるかもしれない。

一ヶ月の留守中、ホフィのため市内に住んでいるM夫人(日本人)に泊まりがけで気て頂くことにした。
先日彼女が下調べに来てくれたが、我がホフィは最初から彼女の膝に飛び乗り、体をこすりつけて情愛を示すことしかり。ホfyは人見知りを全くしないので助かる。
彼女には自分の家のつもりで,身勝手に使って欲しいと頼んだ。
M夫人は何しろスポーツ観覧の大大ファンなので、テレビが故障したら大変。だから、友人にテレビのチェックもしてもらっといた。
あとは大丈夫。新型のサンヨーの炊飯器もございますから、おいしいご飯もしっかりと食べられますよ。
高級お米『ゆめにしき』も買っておきますね。
くれぐれもよろしくお願い申しあげます。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(29°Story)


風邪気味だったので人工内耳の左側の語学訓練もサボり気味。
風邪をうつしたら大変だ、という気持ちもあったが。
3日前に親友のR、2日前にやはり親友(女性)のG夫人に特訓を受けた。
R君はもともと国立病院の外科の看護師なので、僕の耳の訓練にもファンタジーがあって、充実したものだった。
もともと美声で発音がいいので、こっちも聞きやすいが、同じ言葉を10回以上も反復する。

G夫人は、広告の仕事をしていたときからのおつきあい。もとスタイリスト。
彼女も年金生活を送っているが、時間のあるときはイタリア語の不満足な外国人の子供たちに教えたりしている。
もちろん、ボランティで。彼女も一時間たっぷりやってくれた。
彼女は脳に覚え込ませるためにはファンタジアは必要ない、と言う。そうだろうか?

とにかく、この訓練、受ける方もたいへんだが、やってくれる人のエネルギーも凄いと言うことがわかる。
一時間も特訓すれば両者ともくたくたになってしまう。

果たして、効果は現れているのだろうか?
先は長し。(つづく)
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 12:41 │Comments8 | Trackbacks0編集

sumurakenji57

sumura
数年ぶりかの寒波。この写真はピエモンテ州の田舎で昨日撮ったもの。2メートル近いつらら。朝方は零下20度だったとのこと。

sumura
我が家のバルコニーにて。雪やこんこん・・・猫はこたつで丸くなる・・・ところがホフィのハッスルはすごい。
夕刻,暗くなってヴェネチアーノ(鎧戸)を閉めて,1時間も経って気がついたらホフィがいない。もしやと思って鎧戸を開けたら,寒さに震えてしょんぼりバルコニーでうずくまっていた。
ほんと、ぞっとした。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(28°Story)


昨年の暮れ、補聴器をつけている右耳の鼓膜に異変?があった。

補聴器を外して耳の中に小指を突っ込むと,妙にねちゃねちゃして湿り気があって、むず痒いので、ドクター・デルフィーに見てもらったら、鼓膜に傷がついているとのこと。
その場で、横に寝かされて何か突っ込まれて治療をしてもらった。
あまりの痛さにヒーっ。

これから3週間寝る前にアルコール・ボリコという特別に調合されたアルコールを2滴落としてガーゼを突っ込んで寝るようにと言われた。
ところがである。
薬局の娘がアクワ(水)・ボリコと読み違えて別の調合材をくれたので、朝になっても耳の中はぬるっとしている。それで、回復するまでにちょっと時間がかかってしまった。
この娘,日頃から何となくやる気なさそうな感じはしていたが。

一ヶ月後にドクターに見てもらったら、完璧に回復しているとのことで、やれやれってこと。
これ以上,耳の病いは増えて欲しくないって気持ちだ、全く。
もし右耳の鼓膜が完全にやられたら、補聴器に頼ることだって出来ない。
そうなれば至急,第2の人工内耳手術へ急げーってことになろう。
それも運命なら仕方がないけど。

補聴器を13年近くつけているのに、鼓膜に支障が起きたことは一度もなかったのに。
鼓膜に穴があいたり傷がついたりしても、そのための治療は比較的簡単らしい。
人工鼓膜を貼付けたりするのも以外と簡単らしいことも,最近知った。
僕のように両耳に支障があっても、鼓膜は健在なんだから皮肉なことだ。
特に人工内耳を行った左耳の鼓膜なんて全く健在なんだから、完全な宝の持ち腐れってこと。
必要な人にさし上げたい気持ちだ、もし可能ならば。

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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 00:17 │Comments4 | Trackbacks0編集

sumurakenji56

昨日はホフィの爪を切った。可愛いホフィだがなぜツメをたてるのだろう?
先代カロータから全くツメを立てられたことはなかったのに。

これがホフィの唯一の欠点だ。
成長とともにこの癖はなくなるのだろうか?朝、ぐっすり寝込んでいる僕の横から布団の中に前足を突っ込んで,太腿あたりをチクッ!
sumura

痛いっ!!!
傷がつくほどではなくても,そのチクッはいきなり夢から現実に引き戻すに充分なほどだ。
だから爪を切ることに決めた。

嫌がるホフィを前向きにしっかり抱き込み、まず左側のザンピーノ(前足)をつかんで、1、5ミリくらいにパチン,パチン,パチン!凄い怪力で逃げようとするので、これは一種の戦いに相応しい。やっと切り終わって力を抜いたら、飛び出していった。もう一つのほうも切らなければならないと思うと,気が重くなる。

又とっつかまえて、しっかりと抱き込み,切ろうとしたら、抵抗もせず大人しく切らせてくれた。ホフィは痛くもなんともないことを、最初の経験で悟ったのだ。すごい。ホフィは脳みその方はまあまあ。

3月に一ヶ月帰国する間、親友のM夫人に泊まりがけで来てもらうことになっている(猫のため)けど『爪だけは切っといてね』と,条件付き。ハイ、ハイ、切っときます。よろしく。
sumura

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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 21:11 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji 55

sumura

ヨーグルトを食べるホフィー。うまいのかまずいのか・・・

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71年後に『人工内耳』に挑戦する!(27°Story)
<2012年1月25日(水)>
今日は2ヶ月ぶりにMONZAの病院に行った。
右と左,両耳の『進行状態』のチェックを受けるためだ。

補聴器を付けている右耳のほうは、どれだけ退化しているかのチエックであり、左のほうは人工内耳接着後、がどれだけの進歩をしているかのチエックである。
sumura

こういったテストのときは必ず防音装置完備(壁は多分コルク材で作られている)の個室にいれられ、聞こえたときはてを上げて合図をする。ピーピー,ガーガー、チチチチ、ザザザザザ、ボボボボ・・・などなど、色んな種類の音が聴こえて来る。多種多様の色合いに耳がどれだけ反応するかを見る。その後,ヒアリングのテストがある。つまり、聞こえて来た言葉を患者は反復するのである、

まず,右耳から。

男性のこれ又凄い美声。
アナウンサーのようにはっきりとした声と言葉というか、日常めったに聞くことが出来ないほどの完璧な声と発音なのである。
だから僕はほぼ100%聞き取れる.ただし補聴器を付けてである。
ほぼ100セント聞き取れたといっても不思議ではない。毎日,寝ている時間以外は補聴器との戦いだからだ。
騒音の中で、早口、悪声、不親切な表現、どうしても自分の耳が受け付けてくれない声。大声を出せば聞こえると思っている心ない人たちの中でもまれて生きている?自分としては防音装置の中で話しかけて来る美声は天使の声とも表現したいくらいなのだ。

補聴器を外してのテストではゼロというおぞましい結果。そんなこと分かっていたけど。

人工内耳の左のテストは進歩はまだ,ゼロに近い。
ある名医のことば・・・機能するまでに4年、5年もかかるひともいうという。(つづく)

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 06:50 │Comments4 | Trackbacks0編集

sumurakenji54
sumura
ちょっとドスのある顔つきのホフィ。
だんだん大人びた顔になってくる。


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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(26°Story)

壁塗りのおじさんが朝,7時かっきりに訪れたのに、僕の補聴器が外れていて,ぐーぐー夢の中、2時間も遅れて眼をさましたのだった。
その間,おじさんの方は別の家に仕事に行ったらしいが、アシスタントの若造は我が家の門の外に立って、5分おきにブザーを鳴らしていたとか。
すっかり恐縮して、オヤジに平謝りにお詫びを言ったが、オヤジさん、にこにこして、『たまにこういうことってあるんだよね』

こんなとき本当に両耳聞こえないことの不憫さを感ぜずにはおれない。

このごろは朝のアポイントメントが苦痛でしょうがない。
緊張しているのか,4時頃目が覚めてその後寝られないことが多い。

sumura

火事にでもなったら、丸焦げ寸前まで眼を覚まさないかもしれない。
僕が住んでいるロメッリーナ通りで,ガス漏れでレンガ造りの建物が木っ端みじんになった事件があった。
そのニュースをシチリアのシラクーサのホテルの朝のテレニュースで知った。 
助かった人もいるし死んだ人もいた。

僕のようにグーグー寝ていたんでは,犠牲者として『やっ!日本人の犠牲者!』と新聞に名前を連ねるはめになるだろう。

可愛がっている猫が、起こしてくれるわけでもあるまい。
ご主人様を残してさっと逃げてしまうだろう。

犬だったら、ワンワン吠えて僕を揺さぶってくれるかもしれない。
猫ではなく犬を飼うべきだったのだろうか。


2年前、お隣のイタリア人の娘さんが、僕のすっごい絶叫に目が覚めて、ブザーを鳴らし続けても反応がないので、消防斑を呼んだことがあった。朝の3時頃だったと思う。

インクボから覚めた僕は『きっと、大声を出したに違いない』と判断して、床に転がっている補聴器を付けたら、ぶーぶーとブザーが鳴っているのを聴いた。お隣のガウンを羽織った娘さんだった。
『消防夫をよんだのよ、あたし。もう心配で心配で』

なんてやさしい娘だろうと感謝しきれないほどだった。
近隣のことなど無関心もいいところの現代なのだ。

あのとき眼を覚まさなかったら、消防士たちは長ーいクレーンに乗っかって4階のバルコニーまで上がって来て、窓を叩き割って侵入して来たかもしれないのだ。

何とかいい方法を見つけなければ!(つづく)



| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 19:38 │Comments6 | Trackbacks0編集

sumurakenji53
sumura

クリスマスもお正月も終わって,もうお客さんも来なくなったから、家の中はシーン。
やれやれってとこ。
COVAのパネットーネよりも、VENCHIのチョコよりも、スコットランド産のサーモンより人気があったホフィ。
お客さん喜ばせるのも大変なんだよね。
すっごいエネルギー必要なんだ。


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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(25°Story)

補聴器店のエミリオ氏がLogopedia(言葉の訓練)のためのCD5枚セット、コピーしたものをプレゼントしてくれた。
エミリオ氏はとても熱心で親切。彼に巡り会ったことを感謝しなければ。

イタリアで最も人工内耳手術が盛んで、その技術レベルも定評のあるヴァレーゼ(北部イタリア)の名医が編集したCDとテキスト・・・これが僕の聴力増進のために役に立ってくれることを切に願う。


訓練された男性と女性2人の声優が交代しながらテキストを読んで行く。
もちろん、男性の、バリトンの声のほうが,聞き取りやすい。
耳の聴力の病では、まず高音(女性の高い声)から失われて行くようだけど、僕の人工内耳のようにゼロからはじめる場合だって,やはり男性の低い太い声のほうが取っ付きやすいようだ。


週に一度通っている国立病院の訓練係の先生は2人とも女性だ。
なぜだろうか?この仕事は男には向かないのだろうか?しかし聞き辛い女の声で訓練しておけば苦労は大きくても、成果も大きいということになるのではないか?。

テキストでの学習方法としては、たとえば・・・

最初は,簡単な数字、一週間の名前,12ヶ月の名前などなど基本的なことから始まり、それから、色、食べ物、乗り物、衣類などの単語,BARにて、郵便局にて、国際空港にて、家族構成についてなどと発展して行く。

SUMURA

患者にもそれぞれ個性があるのだろうが、僕はどうしたわけか、体の部分の名前を聞き分けるのが不得意だ。
腕、唇、腹、髪の毛、指、鼻、首・・・

どうしてだろう?でも,空港や銀行などのことになると、ずっとずっとききとれやすい。

イタリア語でやるのは、日本人の自分にとっていかなるものかと一応考えたけど,これで進むことにした。
イタリアにいるんだから『イタリア語で,ま、いいだろう』ってことだ。
先生方も『あんた、日本人なんだから,日本語でやったら?とも言わないし。

イタリア語の単語には必ずアクセントがあるし、LとRの違いがはっきりしているので分かりやすい。
Rは巻き舌で、これはとってもとっても大切なことで聞き分けるのに役に立つ。

僕はイタリアオペラのアリアをまねて巻き舌Rを訓練していたくらいだから,聞き取るのも発音するのも全く問題がない。巻き舌Rは独特のビブラートがあるので、聞き取りやすいから、人工内耳のヒヤリングにはポイントの一つなのだ。
それに引き換え、Lはよく読み取れない。

それとアクセント、イタリア語は、基本的には単語の後ろから2番目の母音にアクセントがくるので,これも便利。
(すべてではなく、最初に着いたり最後のついたりもある)

それに比べて,日本語はアクセントがない?又は希薄なので、訓練にはちょっと不都合ってのが僕の考えだ。

とにかく,まず先生がテキストの5つの単語を読み上げる。
次にその5つの中から,先生が当て図っぽに読み上げるのを僕が当てる。
その訓練をくり返しやって、次の新しい5個の単語に進む。その後は合計10個の単語の中から、患者はあてる。
その後,又5つの新しい単語が加えられて同じ方法で進み、計15個の言葉の中から,先生がしゃべる単語を当てる。

この訓練では絶対に先生の口元を見てはならない。
口元を見ないで訓練をくり返していれば,いずれは口元を見ての理解力が大きいのだそうだ。

最初にのべたCDだけど、独習するにはとても役に立つ。(つづく)
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 10:38 │Comments4 | Trackbacks0編集

sumurakenji52
sumura

猫の置物と戯れるホフィ。

すむら

ヨーグルトが大好きなホフィ。毎日食べてます。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(24°Story)


今年2011年、7月の半ば頃だったと思う。

毎週一回のLogopedia(言葉の訓練)から成果がほとんど出ず、僕に少し焦りが出始めていた頃。
手術したのは昨年の11月22日。Logopedia が始まったのが1か月後のクリスマスの前だったから、あれからそろそろ7ヶ月経っていた。

だがまだ,何の兆候も現れていないのだ。生まれたときから70年間眠っていた聴神経、脳神経なのだから、揺り起こすのにメッタ時間がかかるということは理屈では分かっていたけれど。

進歩するには友人や家族の強力も欠かせないのだ。
独り暮らし、出不精の僕が友人や知人にレッスンを頼み、何とか頑張ってトレーニングを続けていたが、成果は,ゼロとはいわなくてもほんの少々ってとこ。そのほんの少々だって疑いたくなるような微々たる進歩?


そんなとき、チロという男に会ってみようと思った。

チロは今年の1月補聴器店のドクター・エミリオの店で知り合った。

48歳のチロは片耳が3年前に行なった人工内耳であり、別の耳は強度の補聴器に頼っていて、数ヶ月後にそっちの方も人工内耳手術を予定しているという、もしかしたら僕の将来を暗示させる『大先輩』なのだった。

ところがはじめてあったとき、話していても彼の喋っていることを理解するのが大困難で、エミリオ氏の助けを借りなければならないほどだった。
sumura


チロは48年前,生まれたときから両耳が強度の難聴だったという。
4歳の頃から補聴器を付け始めたそうだ。

僕にとって『補聴器』という名詞さえ多分知らなかった40年以上もまえのこと、チロという幼児はそれを付ける過酷な運命にあった。

その頃の補聴器ってどんなものだったのだろうか。

僕が付け始めた、たった13年前の補聴器の性能は悪かった。補聴器の世界の技術おくれに失望した自分。

僕の判断では補聴器の飛躍的進歩からはまだ5,6年しか経っていない。
それは5年前に購入した、最後の(今装丁している)製品から分かったことだ。

チロのことだけど、40年前、幼い子供が補聴器をつけさせられても、どれだけ貢献してくれたかは疑問だ。
だから彼は一応話せるようにはなったが、正しい言語の習得まではいかなかったのではないか、というのがエミリオの意見だ。


さて・・・・
7月に会うときも、最初は電話を入れたがチンプンカンプンでさっぱり。
それでエミリオ氏から彼のe-mail アドレスをもらって、チロに会いたい旨を送ったら、即座に返事が届いた。
率直な人柄らしく,逢えたらとても幸せだという思いが文面にあふれていて、好感が持てた。

約束の日、ブリアンツァの指定の場所で待っていたら,携帯が鳴った。
チロからで、仕事の都合で時間と場所の変更があるとのこと。柔らかな飴のように変形された言葉のトーンを理解するまでまたまたひと苦労、アポイントメントを破棄して、ミラノにこのまま戻ってしまおうかという思いをやっとこらえた。

確信のないまま,多分ここだろうと,あるガソリンスタンドで待っていたら、彼がオートバイで現れたので、ほっとした。
ヘルメットを脱いだチロの頭に真っ黒な2個の補聴器が見えた。
それで両耳とも人工内耳になったことが分かった。

真っ黒い眼と刺のような固いあごひげだが、おっとりした感じだ。
笑うと前歯左が3本もないのが気になる。
両耳の手術のため800万円も健康保険でやらせたんだから、歯くらい自前で入れたっていいだろう?って言いたくなる。

2つ目の手術は5ヶ月前だそうだが、もういくらかの効果が現れているとのこと。
うらやましい話だ。

一般に手術して4ヶ月後には何らかの効果が現れるといわれている。
もちろん、ひと、人によって聴力の違い、難聴になった時期、補聴器の効力などそれぞれの歴史によって違うので、6ヶ月の人、それ以上懸かる人などさまざまなのだそうだ。

『そのうちにだんだんと聞こえてくるようになるんだよ。風の音、小鳥のさえずり、ネコや犬の泣いている声などさ。君にはまったく聞こえないのかい?』

ちょっと得意げな歌うような調子で話すチロに,正直とても辛い気持ちになった。
(お前だって、両耳が聞こえるったって、マトモには話せないじゃあないか)


『補聴器は奇跡的な躍進をしています。今、補聴器を必要とする人たちは幸運だというべきでしょう』

そんな言葉をインターネットで読んだ記憶がある。
チロが気の毒な気もしてきた。

「8ヶ月だな。8ヶ月たったら何か出て来るかもしれない」
チロが心なしおもおもしくいった。
なぜ8ヶ月を設定したのか分からない。
8ヶ月満期ということは8月末のことだ。あと1ヶ月半しかないのだ。
切羽詰まった気持ちのためか、チロの言葉が真実みをおび、予言のようにも聞こえた。(つづく)





| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 01:12 │Comments11 | Trackbacks0編集

sumurakenji51


sumura

年末のご挨拶のためのカード。
友人に送ったりFacebookに載せたりの大忙しでしたが、肝心のブログに載せるのをきれいに忘れていました、失礼。

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そして今日は・・・
ミラノ中央駅のメインホールで恒例の年末マーケットに出くわしました。

sumura


そこで、バッサーノ(北イタリアの街)産のチェラミカのネコの置物を買いました。10ユーロとしては出来はまあまあ。帰宅して床に置いたらさっそくホフィの興味をそそりシミジミと眺めたり触ったりしてました。


すむら


次回から又気を入れ直して,耳の事など書く事にしますので、読んでください。
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 05:32 │Comments5 | Trackbacks0編集

sumurakenji


sumura

遅ればせながらホフィのクリスマスのご挨拶。

先代のカロータ氏が亡くなって3年目。やっと日の目を見たツリーだったけど、3日後には再び物置の中に。
・・・と言うのは,毎夜中に暴れ回ってツリーをひっ倒し、散らばった飾りタマを転がして夢中で戯れていたのです。
来年はもう少し頭脳のほうも成長してくれて、一月半ばまで飾らせてもらいたいものです。


このツリー,ちょっとごてごてしていますが,これ,主人の好みです。
今,9ヶ月。5キロ近くあります。


暴れん坊のホフィもカメラの前ではマトモにポーズしてくれました。

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 17:26 │Comments4 | Trackbacks0編集

sumurakenji(49)

sumura

手術から帰って来て、ぼけっと窓辺に座るホフィ。

kenji

先日ホフィの去勢手術をしてもらった。

一般的には生まれて8ヶ月以後ということになっているみたいだが、これも獣医さんによって多少の違いはあるみたいだ。
カロータの時は,8ヶ月後に『分かった!じゃあ明日取っちゃおうね』って感じで、すいすいといったが、ホフィの場合はピエモンテ州の別の獣医(友人の親友)で、カザーレ市では名の通っている獣医のようで,いろいろ彼のオピニオーネがあって、そう簡単には行かず、もう9ヶ月近くも経ってしまっていたから、ボクもいらいらしていたのだ。

アンドレア獣医曰く『ねこが最初のピピー(尿)を家の中で振りまいたときが、絶好のチャンス』なんだそうな。
これはれっきとした性衝動の始まりだからである。

それで、ボクも毎日犬ねこ並みに嗅覚を働かして家中くんくんやっていたけど、幼いホフィにはその兆候なし。
彼の好みのポスト、新型i MACの横で,そんなことやたれたら・・・と思うと又いらいらしてくる。

そうしたら、アンドレア獣医から突然電話があって、『明日やっちゃおう!』
なんと彼は、モンテビアンコにスキー講習の指導に事に急遽決まって、その前に全部の依頼の猫たちのあそこを切り取る大忙しになった。

「これでホフィが少しでも大人しくなってくれれば・・・」

これがボクの悲願?だ。
家の中を突風のごとく掻け回るし、朝7時過ぎになると,しつこく起こしに来て,ちくちく爪をたてるし、棚から置物を落として木っ端みじんにしてしまうホフィ。
sumura


数日前、炊飯器の中に入れた米を砂と同格と思ったらしく、前足でがりがりコメとぎよろしくやって、周りは米だらけ・・・


ともかく去勢手術は滞りなく終わってホッとした。
ミラノに連れて帰り、2日間くらいは大人しかったが,その後は以前のとおり。


手術の跡がいくらか回復するまで、『エリザベス風カラー』を付けようと思った。
だが失敗に終わる。
やっと付けたと思ったら、家の中を気が狂ったようにころげまわり,あげくのはて,スポッ!と外れてしまった。
写真を取る余裕さえなかった。
『エリザベス・カラー』は猫、犬など、手術後や足にけがをしたときなど、なめなめしないためにつける。

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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 20:52 │Comments2 | Trackbacks0編集

sumurakenji(48)

sumura

ホフィは水を見ると,我を忘れて戯れる。
ヴィデに水を張ると、前足を付け根まで水にひたすことがある。
ゆらゆら動く水のシルエットが物体に見えるのか,一生懸命掻く。ちょうど砂を掻くように。
バスタブのお湯にも興味深々だ。泡を救ったり、泡から覗いてるボクの足の指先をちょいちょいと触って戯れる。
ボクが風呂を終わるまで、辛抱強くつき合う。

sumura

このごろyou tube などで、よく水と戯れたり、それどころかお風呂に入ってうっとりとしている猫の動画がたびたび紹介される。もう昔のように『猫は水を嫌う』という一般概念はだんだん希薄になって行くのではなかろうか。
飲み水だって、台所の水道からジャージャー流れ出すと,流しに飛び上がって飲むねこちゃんも2回巡り会った。

とにかく,ねこは動く物が大好きなのだ。周りで何かが動いている。
それだけで,遊び盛りの子猫に,刺激とよろこびを与える。
ホフィはまだ8ヶ月だから、まだ子供ねこだ。
ボクがコンピュータの前で座ったままなでは,彼は不満だ。でもコーヒーを湧かしに台所にいって、ごそごそやったりトイレに行ったり、本を探したりするボクの動く姿は彼を上気させシッポを立てて,家の中を走り回る。
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 06:51 │Comments1 | Trackbacks0編集

sumurakenji(47)


sumura

ある朝目が覚めたら、右耳の補聴器が行方不明だ。

布団の中,枕の下を丹念に探しても見当たらない。
こんな事は今までにもたまにあったことだから、それほど驚くにはあたらないのだが。

テレビは寝室にあるので、補聴器の上からレシーバーをかけてテレビを観る。
レシーバーを付けずにテレビを観ると、空気に触れて音がざらつき,不鮮明になるので、レシーバーはボクにとって絶対必要品なのである。

ところが見ているうちにそのまま寝てしまうのがいつものボクのだらしない癖。
レシーバーは外れて、補聴器まで耳から飛び出してしまう事もある。
(煩わしくて、無意識のうちに外してしまう事もあるようだ)

朝,目が覚めて,補聴器は何処だーっ,と探すのは日常差半になっていた。
ピジャマの襟の所に引っかかっていたり,布団の中にひっそりと潜り込んでいたりが普通だが,たまには床に落ちていたりする事もある。
そのときは踏みつぶさないようそろりそろりと探しやっと見つける。

寝室から,飛びさす事など絶対にないから、根気よく探せばいいだけのことだった。

ところが,ホフィが来てから・・・。
ある朝,又,補聴器が行方不明。ボクは何と家の中を1時間以上も探しまくって、玄関のボクの靴の中に,補聴器を見つけたのだった。
それからというもの、そんな事がたびたび起こるようになった。
玄関まで運ばなくても壁と家具の隙間に隠されている事が多い。


補聴器は耳からはずすと、ジジジっと音が鳴る。音を消すには電池の入っている蓋をあけなければならない。そのまま鳴りっぱなしにしていると、電池が切れるまで鳴り続けるってことだ。

このジジジーって音、補聴器がないボクには何も聞こえないが,正常な耳の持ち主には、結構神経を苛立たせる音らしいのだ。しかもかすかではあるが、家中にくまなく響くらしいので,よその家に宿泊していると、皆、眼を覚ますこともあった。
だから旅行中、同じ部屋で寝ている友達は、そっと起きて来て,ボクの耳から外れかかっている補聴器をはずし、電池を抜いてくれる・・・饒波港あたりまえのこと。

さて,ホフィの悪戯は頻繁に起こった。
朝、補聴器を探すエネルギーに,ボクはくたくたになった。
朝,10時にアップタメントがあっても、やむなくキャンセルもせざるをえない。辛いのは,キャンセルのため電話さえもできないのだ。


『寝る前にちゃんとはずして、引き出しにしまって,それから床につく』
そう決めたが,だらしないボクにとって規則を守るのはむずかしい。

それでも少しづつなれて行った。テレビを見ていて眠気がさして来ると,補聴器を外し枕の下に隠す・・・って方法はうまい考えだ。

それともう一つ、音を消してテレビを観る方法もだんだん出来るようになった。
下の字幕だけをたよりのドラマ鑑賞。

『悲劇的バックミュージックが流れている・・・』『ドアのバタンと言う音』『遠くでイヌだ吠えている』などなど、会話以外もちゃんと説明してくれるから、想像しながらドラマを追う。
ベッドシーンでは、『女のやるせないため息・・・』などとまで、説明してくれるのである。これ,本物のため息を聴くより、刺激的な場合もあることがわかった。(つづく)
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 20:20 │Comments0 | Trackbacks0編集

眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦!(23° Story)


五月に入って,早くも初夏の兆しもあふれる朝。

9時頃、眼が覚めたら何となく胸が重苦しい。
ベッドでぼんやりしていたら、吐き気はどんどん酷くなって来る感じだ。
だが,吐き出す物は何もない。昨夕食べた物はきれいに消化してしまっている。
トイレでゲーゲー試みても吐き出す物が外全くないのだ。

昼過ぎ,掃除婦のリーザがやって来た。
彼女は,これは今大流行りの流感によるものである。水を少しでも飲めばいくらか吐けるので,水を飲みなさい、そして徹底的に吐き出しなさいという。彼女の幼い一人娘も同じ病にかかったとき,水を飲ませて無理矢理吐かせ、ケロリと回復したとのことだ。

それで、僕も水を飲んだ。その後とろりとした膵液を数回吐いた。

便器にしがみついて,思いっきりげーっとやったが、気分はすっきりしないどころか、もっと重病人になって行く気分だ。
たまたま訪れた5階のアンナ夫人が,食欲が全くないのなら、あたしが美味しいおかゆを作って上げようと言ってくれた。
彼女とそのご主人には,日常非常に世話になっている。何でもしてくれる世話好きの人たちだ。たまには,頼まないことでも親身にやってくれるご夫婦。
sumura
床の中で苦しくて唸っていたら、おかゆが届いた。
アンナ夫人がスープ皿を僕の枕元に近づけたとき,妙な匂いがした。

『とっても美味しいわよ。ほんの少々ニンニクとオリーブ油を加えたの』

ニンニクとオリーブ油だって?

ゲーッと胃袋が叫びを上げたような気がした。
『ありがとう。すこしづついただきます』
僕は最大の努力をして力なくお礼をのべた。

アンナ夫人がすぐに帰ってくれたので僕はほっとした。
体が熱っぽく、胸は苦しく,このまま死ぬのではないかとさえ思った。
死ぬ前に,遺言書を書き直さなければ…などと瞬間思った。

日本人のK嬢が夜遅く飛んで来てくれて、僕のかかりつけの医者に連絡を撮ってくれたけど,今夜は詰まっていて,無理だとのこと。電話で処方箋を伝えてくれたという。
血圧を計ってもらったら、249。K嬢はさっそく救急車を申し込んだ。

幸いにして、我が家の同じ建物の中庭の奥に救急車の詰め所がある。今まで世話になったことはない。
詰め所の名前は『MARIA BAMBINA(幼きマリア)』。
たくさんの若い男女がボランティアで働いている。
彼ら、路上に駐車の仕方が時たま雑で抗議しようかと何度も思ったことがあるが、『明日は我が身か』ということもあるので、黙認していたけど、つくづく抗議なんかしなくて良かったと思った。

若い男女が3人くらい消防士のような出で立ちでやって来て、僕を運び出し担架に乗せてくれ,車の中へ。
黙々と、細かく気を使って。
本当に頼もしいと思ったし感謝した。

クリニカに着いて、血圧を測ってもらったら250以上。
点滴をしてもらい、うとうとっとしていたら、『どう,気分は?』と、看護婦の元気な声で目が覚めて、『いくらかいいですよ』とつい言ってしまったのが大失敗、クリニカを追い出されてしまった。
『あんたってバカねえ。ちっとも良くないって言えば,今晩ここで寝られたのに』
とは、K嬢の言葉だ。
後が控えているので,彼らは追い出すことばかり考えているんだそうな。


翌日、友人の両親が車で迎えに来てくれて、
『心配だから、我が家で面倒見るわ』と、奥さんが言う。
血圧は230もあるのだ。
様子を見に来てくれた5階のアンナ夫人は、例のおかゆを一口しか食べていないのを見て、ちょっと不機嫌な顔。
『こんなに美味しいのに、どうして食べないの』とつぶやいている。


一週間後にミラノの我が家に戻った。血圧が190を下がらない。
かかりつけの先生が、
『薬で提げることが出来るから心配しないで』

そして薬のおかげで、150、140、一週間後には130まで下った。

僕には心配ごとがあった。
こうして次々と起こる障害は、耳の手術から来ているのではないかと。
そんな不安が僕を悩ませた。

又又,血液の総合検査などやったが、異常は全くなかった。(つづく)
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 00:55 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(46)
sumura

そのうち人形の髪の毛も喰いちぎってしまうかもしれない恐怖のホフィ。
上段の額は,先代のカロータ氏。ホフィと違って穏やかな方だった。ニャオ!

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sumura

プラハ散策より N°2
冷たいプラハの夜明け。ホテルの窓から。

sumura

夜明けのモルダル川。白い息を吐き、カメラを覗きながらスメタナのモルダル(我が祖国より)を口ずさむ。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦!(22° Story)


3月11日の東日本大震災の直後だったと思う。その頃は早朝から真夜中までテレビにかじりついていたが、ある朝コンピュータでYou tube でニュースを見ていたら、ものすごい目眩が起こった。机が45度くらいゆっくりと傾く感じで,瞬間、震災がミラノに起こっているのだろうかと思ったほどだ、冗談ではなく。

その後2時間してまた、You tubeで震災の動画を見ていたら、再びさっきよりも大きな目眩が。
画像の中に後ろ向きの男性の上半身があり,その人物がカメラの方にゆっくりと振り返ったときに、目眩が起こったのである。
人間の顔を見て驚いて目眩が起こったのではなく,ゆっくりと体をねじるその動きに眼がまわったのである。

やれやれ、一体これはどうしたことか?

メールでさっそく手術医の事情を説明する。すぐに返事が来て、これは手術した耳とは関係がなかろうが,しばらく様子を見るようにとのことだった。
すむら

その頃、東京のK出版社の本のイラストの仕事をしていたが、ちょうど催促のメールをもらったのは、大震災の翌日だったと思う。

日本中、いや世界中がこの事件に恐怖と驚きでごった返しているときにである。

東京の人たちはいつものように出勤し、自分の仕事の責任を全うするために働いている。
恐れ多いというか言葉もない。地下鉄や電車が遅れても、それで、欠勤しようなどとは考えないのだ。
凄い、さすが、やっぱり日本なんだよね。

お見舞い状を出したら,皆さん全員ご返事をくださった。
ある出版社の女性は、当日、新宿から荻窪まで歩いて帰ったそうだ。
「フラメンコで足は鍛えているから平気だったわ」と。


やっと仕事を納めてほっとした時だったと思う。
仕事場のごちゃごちゃした所を体をねじるように横断!?していたときだ。体のバランスをくずして、派手にひっくり返ってしまった。

又,目眩い?

ひっくり返っただけではない。
尾てい骨あたりをクリスタルの小テーブルの角で思い切り打ってしまったのだ。
それだけではない。瞬間ソファーの上に横たえようと思い切り体をよじったための激痛などで一瞬気を失ったみたいだ。

30分ほどそのままの状態で転がっていたが,ベッドに戻って暫くしたら、背中の鈍痛がややマシになったようでほっとした。



「ウーン,こりゃあまた、随分派手にやったねえ」
片方のお尻がサッカーボールのように膨れ上がり、痛い痛いを我慢して,翌日かかりつけの医者を訪ねたら医者はいつもの元気な声でいった。

「先生、尾てい骨のレントゲンをかけてもらいましょうか」
「いや、その必要はないよ。ぎりぎりのところでそれているんだ。薬を飲めば自然になおる。尾てい骨が変形しても、だんだん元にもどるんだから安心したまえ」
医者の確信ある活発な声はいくらかとも患者に元気を与えるものだ。

ま、そんなわけで、完璧に痛みと腫れが引くまで2ヶ月半もかかった。
その間、車の運転は無理だった。定位置に座っていることが無理だったからだ。

サッカーボルのようにはれたお尻は日ごとに小さくなり,やがて野球ボールくらいになり、ピンポン球からさくらんぼうのようになってやがてスベスベになった。

災難はこれで終わったわけではない。
それは2ヶ月後におこった。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 07:31 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji

kenji
おともだち

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SUMURA

プラハ散策』より N°1
地下鉄で見つけたプラハ国立歌劇場の11月のプログラムのポスター。
その出し物の豊富なのに驚いてしまう。
12、3のポピュラーなオペラやバレエがほとんど毎夜の公演だ。
スカラなどとは比べ物にならないほどエネルギッシュだ。
プラハ国立歌劇場オーケストラの質の高さは知られている。
70年代、ここでカール・ベームやB.ニルソンなどで録音された『ドン・ジョヴァンニ』は数多くある中で。僕の最も好きなドン・ジョヴァンニだ。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦!(21° Story)

2011年の年も明けて・・・

アメリアという女医さんのところに,ほぼ一回、毎週通うことになる。

彼女はLOGOPEDIA(ロゴペディーア)専門の先生である。
人工内耳後は人間の耳を通してでなく、機械によって外部の音が脳に伝わるので、脳は驚いてしまうというか反応を示さない。だから脳が、正しい言葉として聞き取ることが出来るようにを学習させなければならない、その訓練をしてくれる専門家である。

A,E、I、O、U・・・彼女は口元を隠して発音するわけだが、ボクにはそれさえ困難なことなのだ。
ましてや、赤い、青い,すみれ色、きいろ、黒い・・・などと込み入って来ると,なおさら難しい。
音はまだ聴こえないから、振動で判断しなければならない。
こんな苦労、何時まで続くのだろうか。

アメリアさんは、ロシア人を思わせるショートカットの灰色の髪と目、色白で、丸いふっくらした丸顔とやはりふっくらした大柄の人、でも100パーセントイタリア人なんだそうな。
彼女の発音の美しさには驚く。RとLは同じくエッレと発音する。Rの場合は巻き舌になるが彼女はきれいに明確に発音するので,じきに区別出来るようになる。

ボクにとっては難しいレッスンだが、でも、3回目のとき、いくらかの進歩は見えると激励してくれる。

本当かな?

「勘とファンタジーで答えることがたびたび」と言うと,彼女はそれが大切なのよ、と言ってくれる。

理想的には毎日欠かさず,20分でもいいから続けること、とアメリアさんは言う。

親友達にその苦労をお願いする。
だだの言葉の反復のようだが、かなりのエネルギーを必要とする仕事なのだ。
どうかして分からせようと、しっかり発音することにエネルギーがいるのだと思う。

友人のマルコは辛抱強く,長時間やってくれる。
だが,彼自身としてはとても否定的なのである。

71年も眠っていた神経が目を覚ますなんて,笑いごとだと言い切る。激しい苦論になったので、もう頼むのをよそうかと思案していたら,2日後に電話がかかってきた。
「今日、午後から,オレ,空いてるよ」
そして,ボクが気が済むまで、辛抱強くつき合ってくれる。

マルコは母国語の日本語もやるように進めてくれる。
意外と適当な日本人の友達が少ないのに我ながら驚いた。


病院のマッピングにも1ヶ月に1回くらいの割で行く。2月のマッピングのときは、1時間以上もかかった。そのときは、ドクター・デルフィもびっちりのフル立ち会いだったので、メーカーからの派遣指導員のも一生懸命だった。

ドクターの言うこと、テクニコの言うこと,アメリアさんの言うことにも、少しずつ違っている場合もある。そのときは自分で判断するしかない。


ともかくまだ,効果は表れていないのが現実だ。
無理もない。最初のマッピングから2ヶ月経ったばかりなのだから。
4ヶ月で、効果が少しづつ現れ、1年後にはかなりの進歩・・・というのが、一般的らしいのだが、ボクの場合,それは無理なのである。71年後に目覚めた神経は,そう簡単に起きてはくれないのだ。

インターネットでよく勉強している外科医看護士のロっコが言った。
「6ヶ月なんてとても無理、最低1年くらいはかかるよ」

「先生、6ヶ月で、効果を見るのは無理と、友人に言われましたが」
「そうかもしれない。1年半、いやもっと。2年かな?」

失望は隠せない。長い、なんぼなんでも・・・

「でもね。絶対聴こえるようになるんだから,頑張らなくちゃあア」
ドクターの快活な声で我に返る自分。

本当にそうだと思う。
もし結果が期待したように出なくても,この手術をしたことに後悔はしないだろうと自分は確認できたから、前へ進んだのだった。
希望に向けて気を取られるってことは素晴らしいことだし、必要なことなのだ。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 06:25 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(44)

kenji


1週間のプラハ旅行から戻って来てホフィを引き取りに行ったら200グラム増えていて(4800グラム)、見た感じもぐっと成長した感じだ。

預かってくれた家族はホフィの性格をほめてくれる。誰か新しい人がやってきても、警戒は数秒だけ。その後は好奇心丸出しで、そろりそろり近づいて行くそうな。

どちらかと言えば犬派のご主人にも,少しづつ距離を狭めて行く(写真)

ミラノに戻る車の中では泣きっぱなしだった。
籠も小さくなったから我慢しづらいのかもしれない。

カロータをはじめ、籠の中で辛い思いをしたら、2度と入らないことが多いし、籠にも近づかない傾向があったが、ホフィは別だ。
家にもどっとてけろっとしているし、又籠の中に入って遊んだりしている。さっきの泣き声は一体何だったのだろうかね。

kenji
今日は電気屋の若い衆が来たけれど,働いている若い衆のジーンズにしがみついて、それからガリガリ。

僕は怒って止めさせたが,お兄さんは笑っていた。

僕が朝起きてジーンズをはき始めると、ホフィは必ず飛んで来て爪研ぎガリガリやるのだ。

アルマーニのジーンズではないので構わないけどさ。

でも人様のジーンズガリガリは良くないと思うよ。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(20°Story)


退院した日は、久しぶりの快晴。

窓から入る朝の光がまぶしい。
昨日ボクが手術を終えて病室に帰って来たとき,向かい側のベッドの高校生が、入れ替わりに手術室へと向かうところだった。息子の姿が消えると、若い母親は嗚咽のため涙を拭っていた。小さな手術でも可愛い一人息子のためには不安な大出来事なのだ。夫は彼女の肩をやさしくをささえていた。

その息子も無事に今日退院である。ホッとした表情の両親、彼らの声は明るい。

病院で大きなお土産?をもらう。段ボール製だがスーツケースのような、取手も着いているかっこいい箱で,結構重い。大きく印刷されている文字は製品の名と,メーカーらしい名前だ。アメリカ製か、オーストラリア製か?

「何が入ってんだよ」
「この中には、今後の聴力復活のための必要部品,マニュアル一切がいっさい入ってるんだ」

今回の手術とこれらの器具で、経費は40,000ユーロ(約400万円)懸かることは聞いていた。
手術に200万円、この箱に200万ってところらしい。昨日頭に埋込んだ器具もこの中に入っていたという。
手術が終わったとき、ロッコは手術担当の女性から受け取ったのだそうだ。

「受け取ったときサインでもしたのかい?」
「いいや、ハイ、これ,なくさないで、とポンと渡してくれただけだよ」
サインもさせないでポン!なんて、やっぱりイタリアだ。

「忘れるなよ,その箱、200万なんだからな」
病室を引き払うときロッコが念を押すように言った。
「100万だろう?」
「違うよ。200万なんだよ」
「だって,100万はもう頭蓋骨の中に埋込んでしまったんだろ?」
「あそうか・・・細かいな」
sumura


その日からしばらくロッコの両親の家に泊めてもらうことになる。
5日間ほど、抗生物質を飲まされる。痛みや化膿止めのためだ。

1日2回の抗生物質で、何となく体力が・・・気のせいだろうか。夜はロッコが傷口のガーゼを取り替えてくれる。さすが本職だけあって細かく手際いい。起きていると何ともないが、床に着くと,傷口が枕に触ってその痛いこと。
2時間ごとに目が覚める。時計を見るとまだ2時、夜は続いている。

5日間の抗生物質がおわって、ミラノの我が家に戻って来てほっとした。

腫れはなくても後部の半分がしびれたような感じだ。起きていると何ともないが寝ると痛い。
退院して一週間後に、糸を抜くために病院を訪れる。
ぱちぱちっと糸を抜いて、消毒液で奇麗にしてもらう。小さなガーゼをつけてくれた。

手術から2週間経っても一向に痛みは退かないので、ドクター・デルフィにメールを送ったら,「これは当然のことです。もし心配なら,明日の朝見てあげよう」との返事がすぐ届く。



ドクター曰く、手術後はすべて順調にいっているとのことだ。
ガーゼを取り,消毒液でごしごし擦るので、びっくりする。傷はしっかりと定着しているそうだ。

その日,手術後初めて風呂に入った。2週間後の風呂。手術後5日で入っても良いことなど知らなかった。

手術の後の痛みは年を取った人間ほど長引くことが、インターネットでわかった。痛みで2ヶ月も膨れ上がったりする患者もいるそうだが皆中年以上なのだそうな。顔面神経と聴覚神経との距離は1ミリくらいだそうだから、何となく顔の動きが不自然になったらする人もあるそうだが,一時的なことらしい。
赤ん坊や未成年は、頭蓋骨ゴリゴリでも数日後にはいたみがなくなるそう。なら、この年では仕方ないよね。


手術からちょうど一ヶ月後、最初のmapping(マッピング)があった。
頭蓋骨の中に埋込んだ機械と、これから付ける外部の機械を磁力で接触させて音を内部に送り込むわけだが、その活動に先だって,コンピュータでのセッティングがある。

メーカーから出張して来た子供のような若い(今流行のヘヤーをジェルでピンピンとさか毛にした)専門技師が、東芝のコンピュータを拡げて座っている。小部屋だが,合計8人くらいが先生の講義を聴くような感じで座って,待機していた。例の贈り物のケースから外装部の部品を取り出して,耳の装着してくれる。

やがて、キーン!という鋭い音が飛び込んで来て飛び上がってしまう。その後、フォアーン!という大小の響き。
音ではなく響き。つまりコクレアから脳に至る聴神経は生きていることは、証明されたことになる。それだけだって凄い喜びだ。
今後の問題は脳を目覚ませることである。71年も眠り続けた脳がそう簡単に目を覚ましてくれるとは思えない。

いろんなテストがあり,エンリーコというこの若造さんから、いろんな注意事項を聞かされる。脳が目覚めてなにがしの音が聞こえるまでは、最低6ヶ月は懸かるというのだ。

その後、ドクター・デルフィに挨拶をし、クリスマスを3日後に控えてお礼をかねたプレゼントも渡したいと思っても、先生は現れない。手術が長引いているとのことだ。これから長いおつき合いになると思うので,年末の挨拶はして帰りたいものだが。


一緒に来てくれたロッコが体の調子が悪いと言い出した。
彼はヘルニアの持病があり既に3回手術しているが、回復にはいたらず、4回目の手術をすることになっており,今は長期休暇をとっているのだ。

だからプレゼントは看護婦に預けて帰ろうと思った。
ところが、ロッコはそれはやめろという。星の数ほど前を行き来する看護婦の一人に預けるなんて、とんでもないこと。ドクターの手に渡るまでに行方不明になったらどうする?と言うのだ。長いこと看護士として勤務するロッコがそう言うのだ。
実際、入院中のときの看護婦達のズサンさ二は眼に余るものがあった。
女医さん、アシスタントの女性は親切で,姿もきれい。カテゴリーは数段上だろうし品がある。

やっとのことで,ドクターのアシスタントが見つかったので,彼女にことづける。マッピングのときに確かいた彼女。スラリとして、はっとするような美人、女優さんのようだ。これがドクターのアスタントねえ。医者は色好みとかよく聞くが、なるほどなるほど。
ロッコは彼女だったら間違いないと言う。彼女がドクターの部屋に持って行くのを見届けて一応安心する。



帰りの車の中で、ほんの微々たるものだが,カーステレオのドラムやコントラバスの響きが聴こえて来て狂気する。もう効果が表れたのだ!

だが残念、それは左耳からではなかったのだ。補聴器を取り除いた右から聴こえていたのが後で分かる。補聴器を取り除いたら100パーセント聴こえないものと思い込んでいたがそうではなかった。ほんの少々、聞こえていたのだ。だからこそ補聴器が役に立つのだというわけ。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 00:10 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(43)
sumura

ひとりぼっち。
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眠り続けた左耳・・・・
71年後に『人工内耳」に挑戦する!(19°Story)


意識がはっきりしてくるに従って,手術したあたりがずきんずきんと痛みを感じる。

手術は2時間半。ドクター・デルフィーの他に若い医師が2人と5人の看護士が参加していたという。

まず、頭蓋骨をガリガリ削って、機械を埋込む。機械の端っこから出ている紐の先を蝸牛につなげ、まだ生きている脳神経にうまく接続されたかをコンピュータで調べる。植え込まれた機械の中には12ポイントの反応ポイントがあって、9ポイントは反応したそうだから、まあまあと思わなければ。

再び病室に運ばれてやれやれ、やっと済んだわいって気持ち。
看護婦が僕の頭を持ち上げて、枕を2つ差し入れようとするので拒否する。枕なしで寝たいと言うと、だめ!1個は必ず付けとかなきゃと注意される。面接のときも、聞かれたものだ。あなたは普段寝るときは,枕を1つ,それとも2つ?枕の1つか2つかは大切なことらしいのだ。
sumura

そして絶対に体を起こしてはいけないと注意される。寝相の良くないボクに取っては,大変なことなのだ。

ロッコは又明日来るからと言い残して5時頃帰ってしまった。
痛みはいくらか退いていた。

パンカレーと紅茶と桃のシロップのまずい夕食が終わって,長い長い夜が始まった。
ほとんど寝られなかった。本当に長い夜だった。
『消えた女』を読みたいと思うが,体を動かすのが怖くそれも出来ない。数時間経ったと思うが、夜勤の看護婦さんが入って来て何か囁いた。

全く聞こえない。それもそのはず、右側の補聴器の電池が切れているのだ。瞬間、上半身をパッと起こしてベッドの隣のロッカーを開けようとしたら、真っ黒などろりとした血が一滴、そしてまた一滴、白いパジャマの上に落ちた。
「血だ」と、小さく叫ぶボクに看護婦はびっくりして急ぎ足で出て行ったが、すぐに別の貫禄のありそうな女性を連れて戻ってきた。
「血は鼻から出たの?それとも耳から?」
鼻からだと云うと、安心したようだったが、とにかく体を起こさないでねと言って出ていった。
そして又、長い夜。
手術前をしたあたりが枕にあたると痛い。だから少し位置をずらす。そんなことを繰り返しても、時間は経ってくれない。

うとうととして目が冷めたときは、もう朝食の時間で、給食の女が乱暴に盆を置いて行ったときだ。挨拶もなく微笑みもなく荒んだ扱いである。

小便がしたい。
真夜中にやってしまったのはすでに引き下げられていたので、変わりの空のパッパが置かれているべきではなかろうか。フレボーのチェックに来た看護婦にパッパガッロを持って来てと頼むと,頷いて出て行ったが、すぐに監督役らしい別の女が入ってきて言った。

「あなた、一人でトイレまで行けないの?」
これが女の開口一番。

「いけますよ。だけど、起き上がったら絶対にダメって言われてるんだ。ああっ、漏れそう!」
と、おおげさに答える。
「聞いてみるわ」そして、女は出ていったが、しばらくして、パッパガッロさげて戻ってきた。
「もう,自分でトイレに行っても構わないそうよ。今回はこれ持って来たけど,次のときはトイレに行って頂戴」
どうも、彼女達は粗暴だ。刺々しいって訳ではないんだけれど。

僕はイタリアに来てそれまでに2回入院した経験がある。車で大事故を起こしたときと盲腸をとったとき。そのときは私立の入院保険を持っていたので,勿論、スイーッ。高級ホテル並みの扱いだった。大体看護婦達の教育が点と地の差だ。

『ミャけんさん。お早うございます。今日のメニューを持って参りましたの」

愚痴を言っても仕方がない、事情が違うんだ。今回はフル国民保険なんだから。

しばらくして,2人の30代の看護婦が入って来る。にこにこして挨拶してくれるので気が和らぐ。
体をふいてくれて、何と『マエ』まで拭いてくれる感じで、シーツをはごうとするので、手で押さえて恥ずかしいという動作をする。薄暗がりならともかく?、太陽が部屋いっぱいに降り注ぐ窓の下ではちょっとねえ。
くすくす笑う彼女ら。
「自分でするの、ね?」「そう」
子供扱いなのである。

するとベッドの両脇の2人はシーツを4方に持ち上げて空間を作ってくれる。その中でごそごそ。
それが終わると「自分のパジャマは持って来たの?どこ,ロッカーの中?」そして慣れた手つきで着せてくれる。
北京で買った絹100セントのピジャマなんだ、これ。
その後、彼らは他愛無く僕に質問したり、冗談を飛ばしながらシーツを変えてくれる。
こんな看護婦さんばかりだったら,楽しいんだけどね。

しばらくしてドクター・デルフィの朝の検診。
この先生が僕の手術をしてくれたんだと思うと感謝の気持ちがわく。昨夜,鼻血が出たことなどを告げると,うなずいただけ。そして,彼の部屋に案内されて,お椀型の包帯をとってくれる。

「これでよしと。すっきりしたでしょう」そして、
「12ポイントのうちほとんどが反応を示したので、私は満足している」
「ありがとうございます」(つづく)
文とえ・すむらけんじ
明日から旅行をいたしますので、1週間お休みいたします。
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 21:39 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(42)
sumura
夜中の2時。ホフィも寝ないでつき合ってくれてますが、この下で仕事しているので、置物が蹴られて落っこちてくるのではないかと。ヒヤヒヤの毎日。
sumuraFacebook の金澤さんの誕生日祝いのメッセージ。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(18°Story)


2010年11月22日

昨日と同じく猛烈な寒さ,本格的な真冬の厳しさが身にしみる。朝6時過ぎに家を出た。
厚い雲がはり,夜中じゅう小雨が降ったためか道は悪い。あの脅威の猛暑がどうしても信じられないほど。
ともかく予定よりずっと早く、7時前にはサン・ジェラルド病院の正面玄関に着いた。

一階の入院手続きをする事務所の中は既にあふれんばかりの人。眠そうな顔、不安げな顔,不機嫌な顔ばかりで,笑顔の人など全く見かけない。隣にある血液検査の採決手続きの部屋は,これまたすっごい人で,ドアから人が溢れ出ている。
イタリアの病院は朝が早いのは知っている。日本はどうなんだろうか。

入院手続きを済ませ,言われたように9階の耳鼻咽喉科に出頭する。

イタリア語では耳鼻咽喉科のことをREPARTO-OTORINORINGOIATRIA(レパルト・オトリーノリンゴイアトゥリーア)と言います。
絶対に覚えられないと諦めていたけど,こうもおつきあいが華々しくなると,すっと口を出るようになる。

耳鼻科の待合室に落ち着いて,トイレに行ったり本を読んでいると声がかかり、事務室に呼ばれて最終的な質問を受ける。
担当者は違うが10月3日に精密検査のときと全く同じ質問ばかり。
プラスアルファの質問と言えば,『最後にトイレに行ったのは何時?』くらいだ。
つまり最後にウンチをしたのは何時ですか?ということである。

ボクは誇り高く答える。「15分前です」
そうなんだ。めったにないほどの快便だった。
『これはPORTA FORTUNA(幸ウン)の印だ』とつぶやいたほどだ。

笑って書き込む担当の女性。
そして、看護婦が来て入院室につれて行かれる。3人部屋である。

着替えさせられて点滴が始まる。
藤沢周平の『消えた女』を読んでいると、手術医のドクター・デルフィーが挨拶に来られた。
若々しくテキパキとして感じがいい。もう信頼100パーセントなので,良いところしか見えない。
簡単な質問の後「手術は10時にやります」と言い残して出て行った。

ロッコは朝食を取るために一回のバールに行ってたが、やがてチョコレートやジュースを片手に戻って来てくる。何しろ凄い喫煙家なので、近寄ってくるだけでタバコのにおいがするほどだ。戻って来て同室の人たちと話しが弾む。彼は誰とでもすぐ親しくなる。イタリア人は一体にそうだ。
外科医の看護士なので,つい専門的な話題となるらしく、周りは色々質問してくるが、それに調子良く答えているロッコ。
ボクの隣のベッドには中年の男性がいるが、ロッコの話しではノド手術だそうで、もう前日手術は終わったとか。午後家へ帰るそう。
sumura

もう一人は高校生くらいの背がめった高い若造で、何とも頼りない生っちょろい感じ。アデノイドを取る手術で、前日から入院。体調を準備して手術は明日らしい。今日1日何も食べられないそうだ。
こっちはずっとずっと大手術なのに、出頭して2時間後には,もう手術ってわけ。こんな簡単に扱われてると,『大手術なのだ!』という実感が起こらない。

小僧の付き添いの奇麗な金髪の女性、すらりとして、姉さんかと思っていたら実はマンマ。
このごろテレビ映画で親子が皆若くて兄弟姉妹に勘違いしてしまうことがよくある。
午後から来た親父も若いがそっちの方は貫禄があって一応父親に見える。


看護婦が「時間よ!」といってお迎えに来たが,「トイレ!」というと、点滴をはずしてくれたので,急いで用を足しに行った。点滴しても体の方が慣れていなく、栄養になる前にそのまま尿になってしまうって感じなのだ。


ベッドに寝かされたまま、部屋を出る。
全く恐怖など起こらないが、ふと、おふくろの最後の大手術のときのことを思い出した。あれは1983年の2月。癌と宣告されての大手術だった。今ボクと同じようにベッドに寝かされて病室を出て行く母親を姉弟は、涙涙で見送ったときの悲しい思い出。
おふくろは片手をちょっと上げて,『バイ、バイ』と言った。7時間も掛けた大手術も実は手遅れで、6ヶ月の命と宣告されたのだった・・・

そんな思いが専用エレベーターに入りながら,頭をかすめたときは、ちょっとしんみりした。

エレベーターの中にロッコも入って来たので看護婦が、「あら、ここは患者専用よ」と抗議する。
「そう?」ロッコの恍けた声。出ようとしない。

エレベーターを出て、手術室に向かっているのが分かる。この病院の作りすべてがそうだが、直角の作りではなくすべて斜めに通路は走っているらしく,迷路に迷い込んだ感じだ。ついに、レストランのカウンターみたいなところで,寝たまま手術室のピカピカのステンレスの上に移動させられる。幅はもっと狭い。これがまな板ってことか。

手術室って感じよりホテルのレストランのキッチンって感じだ。ライトブルーの衣類に全身固めた看護士や看護婦達は,腹の底からテキパキと喋り、冗談をいい患者にもメッタ愛想がいい。行き来する看護士の顔・・・と言っても目だけだが、イタリア人がいかに大きな目をしているかを改めて実感する。真っ黒な瞳、青い瞳・・・輝いてる。

それにしても手術室ってもっとしめやかな感じだと思っていたけどね。

「BUON GIORNO. COME STA?(こんにちは、ごきげんいかが』

ブルーずくめの大男が目だけをぎょろつかせて、ステンレスの横に立った。
ドクター・デルフィーではない。初めて見る看護士、と思ったら,実はロッコ。ぎょっ!

「おまえ、どっから混じれ込んだんだよ?」
「ドクター・デルフィーの許可さ。手術が見れるガラス窓はないのですかって聞いたら,看護婦に衣装ひとそろい着持ってこさせて、これを着て入れだってよ。勿論、オレの身分証明書は看護士のボスに見せたよ」
ドクターはロッコが優秀な看護士であることを感じているのだろう。
初めてドクターとも面接のとき、ロッコは冴えてたもん。

いよいよ麻酔というときになって、猛烈な尿意を感じる。
「ピッピーが・・・」
近くにいた太った看護婦さんが「スザンナ!パッパガッロ持って来て!」
(パッパガッロとはオウムのことだが、イタリアでは俗称シビンのこと)

スザンナという看護婦が持って来てくれて下半身にそっと差し入れてくれる。
「出たら言ってちょうだい。すぐ手術始まるんだから」

でも,出ない。たまっているのは分かるが,尿道に行くまえでストップしているのだ。
緊張しているのかもしれない。急がされルトマ生ます出にくくなるのが子供のときからの癖。
「出た?」と催促に来る看護婦。

ロッコはじーっと僕を見ていたがやがて言った。
「出なきゃあ,出ないでいいんだよ。麻酔がかかってる間は絶対に漏らしたりしないんだから」
フーン、そんなもんか。

看護婦が左手の手首の血管に麻酔薬を打つ準備をしているのをおぼえている。
「麻酔を打って効き目がでるのは5秒後」
ロッコがそんなことをいってたっけ・・・・



大声で喋り走り回っている看護婦達。大混雑の手術室なのだ。
僕の顔すれすれに顔を近づけて来て笑う彼ら・・・

はっとめがさめた。
「手術はうまく行ったぞ!」ロッコが顔を近づけて笑っている。
「パッパガッロを頼む。漏れそうだ」
看護婦が駆けつけて来てさしこんでくれる。
ものすごい量だ。回収に来た看護士があまりの量にびっくりした,おどけた顔をする。

「手術は見たのかい?」
「見た見た。人工内耳の手術歯初めてのことなので、勉強になった」

埋込んだ機械は皮を閉じる前にコンピュータと接続してテストされる。12ポイントの穴があってそのうち9ポイントが反応を示したとか。蝸牛から脳へ通じる聴神経の活動のことである。12ポイントのうち9ポイント,・・・ということはマイナス3ポイント。つまり完全に回復する訳ではない,と思うと少しがっかりする。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 09:44 │Comments0 | Trackbacks0編集

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すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

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