上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- │Comment- | Trackback-│編集

月夜の 表紙def


ヴヴプリンがこの家に貰われて来たときのこと、まるで昨日のことみたいに、はっきりと憶えてる。

あれは五月も終わり頃の、空が真っ青に澄み切った日曜日の午後のことだった。
遠くに霞むアルプスを後ろに燃えるような真っ赤なケシの畑と、刈り取り前の波打つ麦畑の間の道を、勢い良く走って来るメメ夫人の車が見えたとき、パオロ小父さんは、愛用のパイプを加えたまま、ちょっと迷惑そうに呟いた。

「猫は二匹は飼わないぞ。サング、おまえだけで充分だよ、な」
小父さんは足許にうずくまっているオレを覗き込んで、まるで人間にするみたいに悪戯っぽくウインクをしたものだ。友人とチーズ店を経営しているパオロおじさん、ちょっと太りすぎているけど働き者で誠実。オレ、小父さんが大好き。

オレがこの家に居候するずっと前、おじさん夫妻は2匹の猫を飼っていたらしいけど、奴らは喧嘩ばっかりして、ろくな奴らではなかったらしい。

窓辺の鉢植は滅茶苦茶にするわ、赤ん坊の玩具を壊してしまうわ、編みかけの毛糸の耳隠しを奪い合いっこしてぼろぼろにしてしまう、しかもネズミ一匹猟ってくれない怠け者どもで、それも夫妻には不満の種だった。

とにかく小父さんは2匹一緒に飼うのは、もうこりごりだと言っているんだ。オレだって同じ意見さ。一人のほうがのうのうとしていられるもの。出来の悪い相棒と暮らすなんて真っ平ご免だ。

「あたしも同感だわ。2匹はうんざりだわ」

奥さんのルチアさんもそう言いながら、読んでいた雑誌を閉じて立ち上がった。彼女は中学校の数学の先生だから、喋り方もきりっとしている。
ルチアさんのことも、オレ、嫌いではないんだけれどね。女は一般的に猫好きとは聞いてはいるけど、彼女は好みもはっきりしているようで、どうもオレとはしっくり行かないんだ。
オレはねずみ捕りがすっごく上手で・・・それはいいこととしても、口の回りを血だらけにして、のっそり台所に入って行ったもんだから、彼女、キャーっと天地がひっくり返るくらいの悲鳴上げて、鍋を床にひっくり返してしまったんだ。

オレの『サング』って名前のことだけど、実はサングエは『血』の意味なり。
口を血だらけにしてうろつき回るオレを見て、いつのまにかそう呼ばれるようになったってわけ。以前は『ピーター』なんて可愛い名前いただいてたんだけど、もう誰も覚えていないと思うよ。



銀色のオペルの小型車が鉄格子の門をくぐり抜けて止まった。
とっても小柄でころころしたメメ夫人が元気よく降りて来て、『猫ちゃんは後ろよ。手伝って下さいな』と、にこにこと自信ありげに言う。
彼女は電話でも『一見の価値があるのよ』とさかんに言ってたもの。

丘の中腹に住んでいる遠縁のメメ夫人に無理矢理せがまれて、仕方なくご対面をする羽目になったのだけど・・・籠から出された子猫を一目見るや、ついさっきまで『二匹は絶対に飼わない』などと口々に言ってたことなど、けろっと忘れたみたいに、おじさんもおばさんも,小学生のチビのジャコモも、家中の者がみな、奴に夢中になっちまったんだ。
白とほんのりと淡いグレーのぶち。

メメ夫人曰くの『ビロードのような』グレーの中に、紫色の大きな瞳が輝いていた。生まれてまだ3ヶ月半しか経っていない子猫は、広いサロンの中を、あつかましくも我がもの顔で走り回る。
オレはいきなり飛びかかって、引きずり回したり転がしたり、蹴っ飛ばしたり、ありったけの方法でチビ歓迎のテストを行う。へい、まず、オレ様のおめがねにかなわなければ、一歩だってお屋敷には入れないってこと肝に銘じるんだ。

ところがそれは浅はかな早合点であることを思い知らされたのであった。
「やめなさいっ!サングったら、気でも狂ったの?」
ルチアさんの、ほっそりとした、だが力強い両手で捕らえられて、オレはぽーんと床の上に放り出されてしまったのである。
「いじめないで!こんなに綺麗なネコを!ろくでなし!」だとさ。
オレはすごすごと寝宿の籠の中にもぐり込んだ。

親子3人、みな魔法にかかったみたいに、ぼけーっと子猫に見とれている。ジャコモが抱き上げようとすると、するっとすり抜けて優雅に暖炉の上に飛び上がり、今度はとってもお行儀良くお座りして、『ほら、ボクはここだよ』と、じーっとみんなを見るんだ。

たった4ヶ月半しかたっていない子猫なのに、妙に色っぽい眼付きでさ。綺麗に並べた前足の片っぽうのほうを、ちょっとだけずらして澄ましているのがたまらないと、ルチアさんが言う。同感だよ。オレなんか一生かかったって、絶対あんなに気取ったお座りは出来っこないものね。

「童話の中の絵みたいだね」と小さなジャコモは、そばかすだらけの顔をくしゃくしゃにさせて、手をたたく。

 メメ夫人は、それ,見てごらんなさいと言わんばかり。にんまり笑って、家族の気が変わらぬうちにと思ったのか、「明日から刈り入れが始るから,大変なのよ」などと言いながら車に乗り込むと、さっさと帰ってしまった。

「僕の部屋に寝かせてもいい?」
 やっと捕まえた子猫をめちゃくちゃに抱き締めながらジャコモがねだる。そんなこと、今までオレのために一度だって言ったことないのにさ。
「だめだよ。今日からサングとは兄弟になったのだから、もっと大きな籠の中で二匹一緒に寝るんだ」
と、パオロ小父さんがたしなめる。
「えー?サングと一緒?そんなのないよーォ」と、チビが叫んだ。このアホ!

さて、名前はヴヴがいいとかプリンにしょうとか、年甲斐もなくルチさんとチビのジャコモが譲り合わないので、
『よし、ヴヴプリンと命名しよう』
いつも中道派を行くパオロ小父さんの穏やかなひと声で決まったのである。

オレはすっかり不機嫌になって隅っこの籠の中でうずくまっていた。
ちょっと悲しかった。オレがこの家に来たときには、こんなに大騒ぎにならなかったもの。
近所の葡萄栽培の農家に四匹生まれて、貰い手がなくて困っていたところを、人のいいパオロおじさんがオレを引き取ってくれたんだ。
 仕方がないさ。オレはありふれたキジ猫にすぎないんだ。でっかい図体に小さな黒い眼と太い短い足では、たくましさ以外にまったく取り柄がないんだもの。ジャガイモ畑でモグラを見つけて、ごそごそやっていたオレを見て、ポスティーノ(郵便配達夫)のニーノが聞き捨てならぬことを言ったもんな。

『お前は全く『コンタディナッチョオ(百姓猫)』と呼ぶにふさわしい』

すっと大きな手が伸びたと思ったら、オレはパオロ小父さんの腕の中に抱かれていた。
「サング、元気がないじゃあないか。今日からお前の弟が出来たんだよ。嬉しくないのかい?」


 ヴヴプリンはどんどん成長して、ますます美しくなっていく。
すんなりとした足、いつもぴんとたっている長い尻尾は、歩くごとに実に優雅に曲線を描き、オレでさえほれぼれする。
小さな顔は『気品に満ちて』、どんなに腹が空こうが、オレみたいにがつがつしないで、口をつける前に、ちょっと感謝の気持ちを表すように、じっとおばさんの顔を見るんだもの。そして綺麗に尻尾を捲いて、お行儀良く食べはじめる。ルチアさんがめっためたに愛しちゃうのも分かるけどね。こう言う奴を血筋がいい、と言うのかも知れない。
もう差を付けられちゃって、百姓猫のオレなんかてんで足許にも及ばないってとこだ。

「王子様が魔法にかけられて猫に変身してしまったみたい。きっとそうよ。悪魔が焼きもち焼いて猫の姿に変えてしまったのよ」
とは、我が家のジャスミンの垣根の向こうに住んでいるマチルダの、年甲斐もない讃美の言葉。聞いている方が恥かしくなっちまうよ。



月日は夢のように経っていく・・・
赤とんぼを追っかけて楽しんでいた季節もあっと言う間に終ってしまい、庭の3本のポプラの大木の葉っぱが黄色く変わったと思ったら風に吹かれて落ちてきて、その上を歩くとざくざくと音を立てるほどになった。
オレとヴヴプリンは、落ち葉の上を転がったり、裸の杏の樹や桜の木に駆け上ったり、たまに裏の雑木林から舞い込んできて樅の木に駆け上るリスを追っかけたりして、一日中遊んで過ごした。
vuvu1.jpg

 やがて木枯らしが吹く冷たい冬が訪れた。灰色の雲の間から、鈍い太陽がたまにちらっと顔を出して、また隠れてしまうような陰気な季節がやってきた。オレたちはサロンの大きな出窓を陣取り、ぴったり体をくっつけて、いっしょに外を眺めたり昼寝をしたりした。


                      *

 パオロ小父さんのお母さんの誕生日のお祝いを兼ねて、家族みんなで二泊、実家を尋ねる事になったので、オレとヴヴプリンが留守番をすることになった。
飯は隣の家のマチルダが面倒みてくれることになったのだが・・・
「せめてヴヴだけでも、お留守の間、うちに引き取ってもいいんだけれど・・・」
マチルダの言葉に、パオロ小父さんは一寸怖い顔をして言った。
「サングとヴヴはとっても仲がいいから、上手に留守番は出来ますよ」


家族が出かけてしまって一日が過ぎた。急に寒さがひどくなって、庭の小さな池に薄氷が張った。
翌日、眼が覚めたら、雪が降り始めていた。大きなぼたん雪はとっぷりと日が暮れてもまだ降り続いていた。庭の石畳や芝生の上や凍った池の上にもどんどん積もっていって、何もかも見分けがつかないほどまっ白になった。

マチルダが準備してくれた夕ご飯を食べたあと、オレとヴヴはサロンや廊下を駈けっこしたり、箪笥に駆け上ったり、かくれんぼしたり、日頃は家の中で禁じられていることを思い切りやって楽しんだ。
オレもすっかり開放感を感じている。煩しい人間共がいないと、こうもリラックス出来るのか。
ヴヴだってきっとそう感じているに違いない。だって、このオレさえヒヤヒヤするほど、上へ下へ狂ったみたいに駆け回るんだもの。

やがてそれにも飽きると、体を寄せ合って眠りについた・・・

夜中に眼が覚めると横にヴヴがいない。

もう雪は止んだらしい。それどころか、月の光が嘘のように家の中まで煌々とさしこんでいた。
おや?
ヴヴは窓辺に座って、じっと空を仰いでいる。月の光を全身に浴びて、すっと首を伸ばしたヴヴは、まるで陶器に変身してしまったかのようだ。こんなヴヴってオレ初めて見たよ。奇妙で、何かただ事ではないぞって感じだ。
眠い眼を擦りながら、窓辺に飛び乗ってヴヴと並んで座ると、まん丸な大きなお月さまが見えた。月はまともには見ておれないくらい輝いていた。雲はどんどん去っていく。たくさんの星が見えてきて、白い大地を銀色に染めた。

ヴヴの夢見るような瞳は、普段よりももっと大きく紫色に輝いて透きとおっている。 真剣そのものの表情が月に注がれている。まるでお月さんと話をしているみたいだ。
「ヴヴ、お月さんと何の話をしているんだい?」
 オレにはお月さんと話しすることなど出来っこないけど、ヴヴには出来るのかもしれない。ヴヴって、とっても夢想家なんだもの。
そして、オレはまた一人で籠にうずくまって寝込んでしまったのだった。

朝になった。
窓辺に飛び上がって外を眺めると、見わたす限りの銀世界。
近所の子供達が雪だるまを作ったり雪合戦をしたり、日頃しょぼっくれている老犬まで元気いっぱい走り回っている。お日様が眩しい。すべてが生まれ変わったような輝かしい朝だ。
ヴヴは何処だろう。
家中探して回ったけど見かけない。台所の小さな切り窓をくぐって、外へ出て行ったのかも知れないと思った。切り窓は食料品やワインや燃料などが置いてある納屋に通じ、そこにも小さな穴があって、表へ出られるようになっている。
オレはそこから外へ出て家の回りを探して見たけどヴヴの姿は見当たらない。
ちょっと心配になって来た。

マチルダがやってきた。
彼女は『ヴヴ!ヴヴプリーン!あたしよ、ごはんよ!』と猫なで声で呼ぶ。
オレだけがのっそり姿を現したので、マチルダは一瞬気が抜けたような顔をした。


ヴヴはどこに隠れているのだろう。それとも,犬に噛み付かれて倒れているのではないだろうか。あいつはちょっとぽけっとしたところがあるから眼が離せないよ。
マチルダのおろおろ声、
「ヴヴ、お願いだから出て来て。かくれんぼごっこは止めて!」
雪はどんどん溶けていく。四方八方捜査した甲斐もなく、ヴヴは姿を見せなかった。そして、それっきり・・・

夕方、家族が旅行から戻って来た。
ルチアさんとチビのジャコモの、ドアを駆け込んでの第一声は何だったと思う?
「ヴヴ!ヴヴプリーン、何処にいるのー?帰って来たのよー!」

さあ、これから一騒動おこるぞ!
涙でくしゃくしゃになったマチルダから、ヴヴが今朝から行方不明と聞かされて、一家は騒然となった。
予想はしていたが、その取り乱し方ったらなかった。
ルチア小母さんは、へなへなっとソファーに座り込んで頭をかかえる。ジャコモはワーワーヒステリックに泣き出してしまう始末。
マチルダの奴、涙をぽろぽろ流して、
「ああ、やっぱりヴヴを預かっとけばよかったわ」
などと、鼻をかみながらじろっとパオロ小父さんを見るのだ。
その上この女は、まるでオレの責任とばかりに、こっちをにらみつけるんだ・・・まさか、オレがヴヴを喰い殺したなんて思っているんではなかろうね。エコひいきが強いマチルダだったら、考えそうなことだがね。
「そうか・・・雪の夜、姿を消したヴヴプリン・・・」
パオロ小父さんは、思いに耽ったようにパイプをゆくらせながら、つぶやいた。

ヴヴ、何処へ行ってしまったのだい?
あんまりぐっすり寝てたもんだから、ヴヴが出て行ったこと、気が付かなかったんだよ。お月様に導かれて、遠いところに行ってしまったのかい。ああ、一緒について行ってやってたら・・・きっと無事に帰って来れたのに。
パオロ小父さんが、励ますように言った。
「さあ、みんな元気を出すんだ。ヴヴが死んでしまったってわけではないのだから。明日、みんなで探そう」


あれほどいい天気だったのに、また黒い雲が出て来て,冷たい雨が降り出した。
次の日も次の日も探しに出かけたオレは、ただ一人でとぼとぼと濡れて帰って来た。ずっと向こうの国道の側まで、さては丘の中腹まで行って見たんだけど。
小父さんも小母さんも、さてはジャコモまで、みんなで手分けして探したけど、ヴヴは見つからなかった。

誰も口を聞かず、家の中は陰気な空気に包まれてしまった。ヴヴはこの家の太陽、いやお月様だったんだ。もう、ヴヴは帰って来ないんじゃあないか、もしかしたら死んでしまったのかもしれないと思うと、とっても悲しかった。

                     *

 
春が訪れて樹や草が萌黄色に染まり、やがて夏も真近かになった。

見渡す限りの麦の穂はどんどん伸びていって、刈り入れ時に近づいていた。洗濯物を干したり取り込んだりするとき、真っ赤なケシの畑に眼を移しながら、ルチアさんは溜め息混じりにつぶやくのである。その眼は潤んでいる。
「ちょうど、去年の今頃だったわねえ、ヴヴプリンが来たのは。可愛そうに。ヴヴはまだ生きているのかしら」
 そして、珍しくオレを膝の上に乗っけて、物思いにくれたように優しく撫でてくれるのだった・・・


                      『2』


 車を降りて、枯れ葉をざくざくと踏み散らしながら入ってきたルチアさんは、凄く興奮していた。
夕食のとき、おじさんとジャコモがテーブルに着いた時、高ぶる気持を押さえるのを苦労するかのように、厳粛な口調で話し始めた。
「驚かないでちょうだい。あたし、今日、ヴヴプリンを見たの。絶対ヴヴよ。間違いないわ」
いつものようにはっきりと言い切ると、急に感動が蘇ったのか、ルチアさんはナプキンを眼にあてた。

「学校の帰り、あたしがワイン工場に寄って、箱を車に運んでもらうのを待っていたときなの。何気なく国道の方に眼をやったのよ。そしたら、道の向こう側の草影に猫がいるの。こっちの方を見ているふうだったけど、それがヴヴにそっくりだったのよ。
絶対にヴヴだったわ。あたしがヴヴって呼ぼうとしたとき、トラックが勢い良く走って来て、反対側からも車が続けて通り過ぎて、その後再び見たらもう猫の姿はなかったの。
それであたし、国道を越えて探しに行ったの。何しろあの国道ったら、環状線から別れた後、一直線に伸びているのでめちゃくちゃにスピード出すでしょう。渡るのがとっても怖かった。あたしはヴヴー、ヴヴプリーン!どこにいるのーって呼びながらあっちこっち歩いたんだけど、もう姿をみせなかったわ」

「君の勘違いってこともあるぞ。国道の向こう側にいるんだったら、とっくに帰って来た筈じゃあなかったのかい?我が家から7、800メートルと離れてないんだぞ」とおじさんが言った。
「国道は車がスピード出すから、ヴヴは怖くて渡れないのかも知れないね」
幼いジャコモがアジなことを言ったとき、パオロ小父さんは、おやっと、さも感心したかのように我が子を見た。
「うーむ、凄いぞ、ジャコモ。そうかもしれないな。いや、きっとそうかもしれない」
おじさんはしきりと考え込んでいる様子だった。



昨日もルチア小母さんはヴヴを探しに出かけた。そして今日も・・・
帰って来て、コートを脱ぐのももどかしく、ソファーに座り込むなり言ったのだ。
「二人とも聞いて頂戴。驚かないで。やっとヴヴを見つけたのよ」

小父さんはパイプに火を付けようとしていた手を休めて、おばさんの顔をまじまじと眺め、次の言葉を待つ。
 チビのジャコモときたら、宿題のノートを放り投げて、小母さんの足許に身をゆだねて、聴き耳をたてる。
「ジャコモ、いい子だから、パパと一緒に最後まで聞いてね」
ルチアおばさんは嘆願するように言った。

「国道を渡ってポプラ並木を過ぎて、どんどん東のほうに歩いて行ったら、小さな住宅地に出たの。ほら、煉瓦建ての英国の教会があるところよ」
「随分遠くまで行ったんだな。あの辺りは、英国人がたくさん住んでいるところだろう?」
「そうらしいの。こぎれいな一軒家がぽつんぽつんとあって、お庭もついててね。今の季節には殺風景だけど、あたし憶えている。初夏に通リ過ぎたことがあるけれど、花が咲き乱れていて、平和で洗練された、とっても素敵な所だった・・・

あたしね、そこまで来た時、きっとこの辺りにヴヴはいるんだという気がしたの。なぜだかわからないけれど、こんなに美しいところにヴヴが生きていても、ちっとも不思議ではないと思ったからかしら。

注意しながらゆっくりと歩いていたんだけど、教会の角を曲がったとき、ふっと向かい側の家の方を見たの。芝生のある蒼い屋根の可愛らしい家、多分薔薇づるだと思うけど、びっしり覆われた白いふちの大きな窓ガラスの向こうに一匹の猫が・・・あたし、幻を見ているのかと思った。ヴヴだったのよ!」
感動が蘇ってルチアさんは目頭を押さえた。
  
「ヴヴが前足を綺麗に揃えて、心持ち重心を片方に寄せて、何か尋ねるような、気取ったポーズで座っていた姿、覚えてる?あれ、そのままだったのよ。そしてあの紫色の大きな瞳で外をじーっと見ているの。遥か遠くを見ている夢のようなあの瞳で。あたし、窓の下まで行って、手を差し伸べて夢中で呼んだの。
『ヴヴ? ヴヴプリンね。あたしよ、ルチアよ、あんたのママよ』

そのときあたしの気配を感じたらしく、ヴヴの後ろに若い女の人が姿を現したの」

ルチア小母さんは続ける。
「少し窓を開けてくれたので、『一年前に行方不明になったうちの猫とあまりにもよく似ているので、声をかけてしまったのです。この猫は小さいときからお宅で飼われていたのでしょうか』って、一気にまくしたてたものだから、彼女、とっても驚いたような、警戒するような表情をしてね。でもやがて『外は寒いでしょうから』と親切にあたしを家の中に入れてくれたの。あまり若くはないけれど、大きな灰色の瞳の美しい人・・・そして大きな窓のあるサロンに通されたの。

『ヴヴ、やっと巡り会えたのね』って、窓辺に走り寄ろうとしたら、ヴヴったら降りて来て足許にすり寄って来たの。あたし、もう涙が止まらなくて・・・抱き上げたとき、そのまま連れて逃げ出したいくらいだったわ」

 チビのジャコモが叫んだ。
「どうしてヴヴを連れて帰らなかったの?ママ、どうしてだよーっ?」
 パオロ小父さんがジャコモを膝の上に抱き上げながら諭すように言った。
「ジャコモ、そんなに駄々をこねないで、ママの話をきこうじゃないか。ヴヴは元気に生きているんだよ。嬉しくないのかい?」
「娘さんは年取ったお母さんと二人だけで住んでいて、家の中もいかにも英国調の、しっとりとした落ち着いた感じだったわ。
『ブリアン(ヴヴはそう呼ばれているの)は、私たちの宝物なのです』
お母さんはあたしにお茶をふるまってくれながら、控えめにそう言うの。

あたしがヴヴの生い立ちや、ヴヴをずっと探し続けていたことを話していると、娘さんは涙をいっぱいためて、じっと聞いていたけど、やがて顔を伏せてしまった。あたしも娘さんが肩をふるわせているのを見ていると、ジーンとなってしまったけど・・・

気を取り直した彼女は、
『一年前、大雪が降った翌日の朝早く、ドアの近くで一匹の猫が凍えて死んだように横たわっていたのです。足に大怪我をしていたので、すぐに獣医さんのところに運んで、長い看護のあとやっと元気になったのです』

大きなガラスの破片が後ろ足に深くささっていて、あまり傷が深くて、まともに歩けるまでとっても時間がかかったけど、今では元のように元気になったのだって・・・
『でも、きっと飼い主の方が探しているにちがいないと・・・こんなに綺麗な猫なんですもの・・・あたしと母は、ご近所を尋ねて聞きあたったりしていたのですけど・・・でもそのうち猫も私たちにすっかり懐いてしまって、一年経ってしまったのです』」

黙って聞いていたパオロ小父さんが口を開いた。
「ルチア、もうヴヴのことは忘れるんだよ。幸せに生きていることがわかったのだからそっとしておこうよ」
ルチア小母さんは、ほっと溜め息をつくと、小父さんとジャコモの顔を代わる代わる眺めるのだった。

「まだ、話は終ってないのよ。最後まで聞いてちょうだいな」


「・・・そして娘さんは言うの。
『ブリアンは月の出る夜はちょっと様子が違うのです。じっと、取り憑かれたように月を眺めていたり、無性に外へ出たがったり・・・そう言えば、傷ついて見つかった日の前夜は、雪が止んだあと嘘のように月が出ていたのを思い出したのです。

あの夜は、月の光が信じられないほどこの部屋に射し込んで来て、私はランプを消して、窓辺に立って外を見ていたのでした。きっと私はブリアンを待っていたのですわ。私たちはブリアンと出会う運命にあったのだと、今でも母と話すのです』
そこまで言われて、わたしも黙っておれなかったわ。
『あの大雪の降った夜、ヴヴは美しい自然に魅せられて家を出たのです。そして道に迷い、怪我をして助けを求めていつの間にかここまで来てしまった。ほら、見てちょうだい。また、あたしにすり寄って来たではないの。昔の飼い主を慕っているんだわ。ヴヴは私のもとに帰りたがっているのです』

『この猫はすなおで、優しい人には誰にでも、信頼を示すのです。
・・・私だって、ブリアンを自分の子供のように育てて来たのですわ。私達は来年の二月にはここを引き払って、故郷のリッチモンドに戻ることになっているので、ブリアンも連れて帰ろうと決めていたのです。何て皮肉なこと、もう出発も後わずかという時になって、飼い主の方が現れるなんて・・・』

けなげにも、毅然として娘さんが言ったとき・・・

それまでじっと耳を傾けていたお母さんが、物思いに耽ったように、ぽつんとこう言ったの。
『待つのよ。・・・あの夜のように。そのとき、きっと全てが解決するわ。ブリアンが自分で決めるでしょうから』」

そしてルチア伯母さんは帰って来たのだった。



クリスマスも過ぎたのに、珍しくいい天気が続いていた。
だが、年もとっくに明けて、2月もすぐ手の届く頃、気温は急にさがって、空一面鉛色の低い雲に覆われ、ついに池に薄氷が張り、裏庭のボンプが凍ってしまって水が出なくなるほどになった。

朝、固く凍った地面に雪が降り始めていた。大きなぼたん雪は一日中降り続いた。鉄の門の明かりが灯る頃には外は一面の銀世界と化した。 
ラジオがこの一帯の国道が閉鎖されたことを伝えていた。
真夜中になって、ついに雪は止み、あっと言う間に重い雲は払われて、月が姿を現し、夜空いっぱいに星が瞬いた。

「ヴヴはきっと帰ってくるわ。そうよ、間違いないわ。
ルチア小母さんが、身支度をしながら、自分に言い聞かせるように繰り返した。

                         *



遥か遠くに一匹の猫が姿を現した。紛れもなくヴヴだった。
そしてその後ろから、ずっと離れて女の人の姿も・・・月の光に加護されたように、雪よりも白いヴヴは、ゆっくりとこっちに向かって歩いて来るのだ。時々立ち止まってあたりを見回し、空に向かって首を掲げ、そしてまた数歩。未知の世界に足を踏み込むように用心深く・・・

やがてオレの姿に気が付いたのか、ヴヴは立ち止まった。ちょうど、国道のあるあたりだ。 
ヴヴはじっとこっちを見ている。思い出そうとしているのだろうか。

冗談はよしてくれよ。サングを忘れるなんてことがあるのかい?
ヴヴの眼は明け方の露のように輝いている。
やがて慎重に一歩前へ進み出た。そしてオレも。又,一歩・・・オレ達の間隔は数十メートル、そして数メートルの近くまでに狭まった。

鼻の先がほとんどくっつけ合うほどに近かまったとき、野草の花の蕾みのようなヴヴの匂いをかいだ。
ヴヴ、お前は何て綺麗なんだ。

「ヴヴ、久しぶりだな。お前、本当に月の王子様みたいになったな」
オレたちは体をすりよせ、鼻をくっつけんばかりに、夢中で匂いを嗅ぎあった。
「さあ帰ろう。ルチアおばさんもパオロおじさんも、ジャコモも、みんながヴヴが帰って来るのを、首を長くして待っているんだよ」
遠く離れたところで、ルチア小母さんがマントにくるまって、かたずをのんで立っている。時々,まっ白な息を吐きながら・・・その数歩下がったところにパオロ小父さんも。
vuvu 2

「なにをぼけっとしているんだよ。嬉しくないのかい?明日から楽しい事がいっぱいだ」
オレとヴヴは体を擦り合わせるようにして、おばさんのほうに向かって歩き出した。ヴヴの柔らかく暖かい体のぬくもりがこっちに伝わってくる。ヴヴにしたって同じ事にちがいない。オレたち兄弟なんだから。これからはいつも一緒なんだ。

ついに小母さんと僅か10数メートルの所まで来た。
ルチア小母さんはもう我慢できなくなって、手を広げてヴヴに走りよろうとした。おじさんがそれを制した。
「ルチア、待つんだよ。ヴヴがたどり着くまで」


そのとき・・・  
ヴヴがふと、座り込んでしまったのだ。どうしたんだよヴヴ?さア,行こう。
ヴヴはもと来たほうを振返った。
星屑の中に溶けてしまいそうな遥か彼方で、女の人が手を振っていた。

 『ブリアン、さようなら』

ヴヴは身動きもせず、じっと 彼方を見ている。

 『幸せになってね,ブリアン』

ヴヴは立上がると、再びオレに体をこすりつけてきた。綺麗に曲線を描いた尾が、やわらかくオレの鼻先に触れた。
 それは優しい別れの挨拶であった。

ヴヴは、もと来た道を歩きだした。自分の足跡に忠実に従うように・・・

暫く歩いた後、立ち止まって振返る。そして、じっとオレ達を見つめていたが、再び前へと・・・そしてもう、二度と後ろを返り見ようとはしなかった。

「ヴヴ、行ってしまうの?」
呆然と立ちすくむルチア小母さんの震える肩を、小父さんはしっかりと抱き締め、無言のまま、ヴヴを見送っていた。

やがて小さな白い姿は女の人に抱き上げられた。



ヴヴ、達者でな。あんまり夢ばかり見て、人騒がせするんじゃあないぞ。


                 (『月夜のヴヴプリン』おわり)
                         
      
スポンサーサイト

| 猫が語る10の物語 | 00:23 │Comments0 | Trackbacks0編集

perusya


第一話 コーヒーはいかが?


ややっ!

バルコニーのバジリコもパセリもクチナシも、霜を冠ったようにまっ白けなのだ。

何とそれは積もり積もった猫の毛らしい・・・のであった。


上のほうから、ミャーオー。

すぐ上、4階のバルコニーの鉄格子の隙間から、一匹の猫が首を突き出してこっちを見下ろしている。
初めてお目にかかる猫・・・うーむ!犯人はおまえか?


逆光ではっきりとは分からないが、ペルシャ系の毛フカフカの大猫。

多分、淡いグレー?

すごく値の張る猫って感じ。普通の雑種しか飼った経験のないボクは,このびちゃっとへしゃげた顔が苦手だ。
そこへもう一匹、ピンク色のもっと小さなペルシャ猫が割り込んできて、顔をのぞかせる。何とも奇妙な光景だ。

2匹とも物珍らしげにボクを見おろしているのだった。



男がバルコニーに現れたので、ボクは反射的に身を引っ込めた。

またまた猫の毛を冠らされたらたまったもんではない。

男は白っぽい布をぱっぱっと叩いて家の中に入ってしまった。

真下からなので、顔は見えない。

降ってきたのはパン屑だった。
やれやれ、これから先どうなるんだろね。

peru.jpg


そんなことがその週だけで3回もあった。

バジリコ、パセリその他、人間の口に入る物はすべて急遽台所の窓辺に非難。

一度、午後のパッパッパの直後、殴り込み(実はただの抗議だけど)にボクが上がっていったとき、髭づらのぽちゃりした若い男がドアを4分の1だけ開けて顔をのぞかせて、ぼそぼそっと「わかった。わかった、安心したまえ」
そしてドアを閉めてしまった。

そして翌々日また、猫の毛とパン屑、爪楊枝までも、我がバルコニーを覆った。

また抗議に行ったら、例の無精髭の丸顔が二匹のペルシャ猫を両腕にだいてドアを開けた。そして可愛いだろうって言わんばかりにチュチュッと、頭にキスをしながら、分かってる!と言うようにうなずいて、ドアを閉めてしまった。

こいつ失業中?
このおにいちゃん、ちょっとアタマに欠陥が・・・




一階にアトリエを持つ画家のZと、真向かいのBARでアペリティーボとポテトチップをバリバリやりながら、だべっていたときだ。

いきなり彼はあごをしゃくり僕の肘をつっついた。

「おい、あの女だよ」
「何が?」
「猫の毛降らせるお前の上の住人だよ。バルバラっていうんだ」

この無名画家、アパート住人のことなら何でもかんでも知っている。ここに移って来てたったの2年しか経っていないなんて、とても思えない情報魔だ。
「へえー?」と答えて,女の姿を追う。

サングラスの女は進行方向とは逆に止めてある車に乗り込もうとしていた。

ボルドーカラーのランチャ。

女はドアを開けて、乗り込む前になぜかこっちを見た。

ボクを見ているようにもみえた。
やせたいかにも気のきつそうな女だ。
すらっとしていてセンスはまあまあってとこ。白いブラウスと黒のパンタロンが、ボルドーカラーによく合っている。


彼女はすばやく車に乗り込むと、ドアをバタン!と乱暴にしめた。

エンジンをかけると、いきなり逆に走り出したので、向かってくるタクシーとぶつかりそうになったが、強引に急斜めに反対側に行こうとする。

窓があいて、運ちゃんが大声でののしった。

Puttana Eva!!

随分下品な辛辣な言葉だが、運ちゃんの怒りも分かる。

だが、いっこうに無頓着、女の車は遠ざかって行った。

ボクは何とも憂鬱な気分にならざるをえなかった。 



門番のおかみさんが言った。

「あなたがとっても迷惑してるって、バルバラさんに言っときましたよ」
「ご親切にありがとう。彼女なんて言ってました?」

「あたしだって、うるさいオペラで、寝付きが悪いのよ。お互い様でしょ、だって」

何だって?

一度、CD止め忘れて、夜中の3時までマリア・カラスが派手にやっていたことあったけど。
たった一度だけの過ちだった、一度だけの。

「3枚もペルシャ絨毯もってるらしいの。猫の毛が充満すると、弟さんがバルコニーで、ぱっぱっとやって、ネ。分かるでしょ?」

「掃除機くらい持ってるんでしょう?ぱっぱってやらなくたって、シュッシュって」



<バルバラ夫人へ。
猫の毛でとっても迷惑をしています。
もう夏も近づいているのに窓も開けらないのです。
あなたがやめてくれないのなら、警察に訴えます。
それでいいのですか?   K>


ボクは手紙をしたためて、彼女の郵便受けに入れた。
いよいよ戦いは始まったぞぉって感じだ。
これからは敵と敵、エレベーターで一緒になっても、じろりと一瞥するだけで、知らん顔。議論は無用。弁護士を立てて解決してもらいましょう!

考えるだけでうんざりしてしまう。




2日後、バルバラからの返答の紙片を郵便箱に見つけたときは、ちょっと緊張した。

<Caro Kenji
(Caro?親愛なるケンジだって?これまた随分馴れ馴れしいではないか)

ごめんなさいね。
あなたがとっても迷惑しているってこと、よくわかっているの。

いつもお詫びに伺おうと思っていながら、新しい仕事にかまけて、そのままになってしまって・・・

お願いよ、もう少しだけ辛抱していただけないかしら。

猫は弟のものなの。弟にはこの猫たち画大切なの。

私はたびたび掃除機で毛を取っているんだけど,間に合わないのよ。

だけど、もうしばらくして弟にはトスカーナの施設に入ってもらうので、それまで我慢してね。


あなたはグラフィックデザイナーなんですってね。
お仕事頑張ってね。

バルバラ>



人のいいボクは、ついぐらぐらっと来てしまいそう。 

翌日門番のかみさんが言った。
「そんなに悪い人でもなさそうよ、バルバラって人。とっても弟さん思いで」



お近かづきにバルバラをコーヒーにでも呼ぼうかな。

「バルバラさん。コーヒーを一緒にいかがです、我が家のバルコニーで?」(K)


アパートに住むと必ず起こる日常茶飯の出来事を書きました。ボクも苦労したことたびたびです。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

第2話 千春さんとニコライ氏のペルシャ猫
赤の広場
                          
 ペルシャ猫を二匹飼っている歌手の千草嬢から帰郷中彼らの面倒を見て欲しいと頼まれた。8月、彼女はスカラ座合唱団員の婚約者と二週間ほど島根に里帰りするとかで,その間、我が家で預かってもらいたいと電話をかけてきたのだ。
 でもその頃のボクは、我が家の猫、パンと弟分のノリ助が手を取り合って家出をしてしまった直後で失意と虚無感が大きく,人様のネコを預かるなんてとてもって心境だった。           
 しかもその頃住んでいた安アパートは五〇平米と小さく、大型のペルシャ猫二匹を預かるなど、想像しただけで身がすくむ思いだ。
 自分が飼っている猫なら、部屋中ピッピーをふりまかれても、吐かれたり植木をひっくり返されたりしても,何とか我慢はできる。これも猫好きの運命だと受け入れて。
 でも、よそ様の猫・・・
ペルシャ猫は毛が長く多くて、脱毛は凄いに決まっている。
 普通の猫だって夏はそうなのだ。しかもうだるような時期に。
 それを言うと、千草嬢、
『預かってくださるならバスルームの中でもいいのよ』
 平然と言い放ったのだ。    
『バスルームの中だって?』
 哀れなネコ達は二週間もバスルームの中に閉じ込められているってことなのだろうか。
 彼女、正気なのかな?
 猫も僕も気が狂ってしまうだろう。
 そしてだ。こっちが用足しにでも入いろうものなら、ハーッ、爪を立てて飛びかかって来るのでは・・・
 ボクは隣の家に駆け込むだろう。
「シニョーラ・マリーザ、トイレ貸してください~ッ!ああ、もう・・・」
「あらまあ、お宅のトイレ故障なの?」
「いえ、今、猫が使用中でしてェ~ッ!」

 僕はガン!として断った。失望する千草嬢。
彼女が気の毒で、結局、ボクは毎日ポンコツでミラノ市内を東から西に横断して、彼女の家まで餌を与えに通うことを申し出たのである。
 八月はヴァカンスで人も車も少ないから、片道四〇分足らずか。幸いミラノは大きくない。
 二匹のペルシャ猫は何とかいう純血種だそうで、その見事な毛並みとオパール色には見とれてしまうが、僕はあのぐしゃっとつぶれた顔が苦手だ。いつも怒ったような顔しているし、どうして鼻があんなに上についてるのだろう。
 猫であれ牛であれ、ボクは整った美男美女型を好むのである。
 専門書には、ペルシャ猫は一般におおらかであまり構われるのを好まないとでているので,ちょっと安心する。(雌の)爪もちゃんと切っとくわ、と彼女は言った。
 [性格はそれぞれ違うの。テオドールはおっとりしているけど、雌のフィクセーニアのほうが何とも気がきついの」
 込み入ったお名前。寄りによって何でこんな名前を?
 実は、ロシアの作曲家ムソルスキーのグランド・オペラ『ボリス・ゴドノフ』の皇太子と王女様の名前なんだそうな。
 イタリア人の旦那は半分ロシアの血が混じっているとかで、ロシアは第二の故郷。名前だってロシア読みに、ニコラをニコライと呼ばせているほどなのだ。そして彼の最も敬愛するオペラが,この『ボリス・ゴドノフ』なのだそう。ボクもスカラ座で見たことがあるけど、長ーいながいオペラだった。物語りもすっごく込み入っていて難解きわりなかった。
 猫ちゃん達のなまえ・・・ピンケルトンとチョチョサンだったら、ボクだって簡単に覚えられるんだけどね。
まきこさん 2

 彼らが出発した翌日。
 留守の人様の家にそっーっと入るのはよい気持ではない。ミラノに来て初めての経験だ。

「お邪魔しまーす」

 この匂いは何だろう?猫の匂い?ウンチの匂い?毛が長いからお尻の回りにくっついているのかな?夫妻が出発してまだ一日も立っていないのに、ねとッとした蒸れた匂いが鼻をかすめる。ミラノの真夏は猛烈湿度が高い。  
 猫どもの姿は見えない。まず窓をいっぱいに開け空気を入れ替える。
 ご飯用にお皿が二つ並べてあるので,指示されただけの量を盛りつける。ピンクとグリーンの器。水用の器は共用。
 いつの間にか皇太子と王女様はグランドピアノの上に乗っかって、おこってるのか笑っているのか分からない顔でご飯と僕を代わる代わる眺めている。

 準備ができても動こうとしないので、サロンで本でも眺めているふうをする。さすが、ムソルスキーはじめロシアの作曲家のオペラの楽譜 や写真集、解説書などがいっぱい。夫妻の旅行写真が飾ってある。サン・ピエトロブルゴらしい風景。

『ペルシャ猫の飼い方』という本を見つけたのでパラパラっとページをめくる。

<眼と鼻の距離が短いため、器官が詰まりやすいので、涙をきれいに拭ってあげてください>

やれやれ、大変だね、ペルシアーノを飼うのも。
<とても長いもつれやすい毛なので、毎日朝晩必ずコーミングが必要。鼻が短いので食べるのが下手です。食後は必ず口のまわりを綺麗に拭いてあげること>

 はじめの四、五日間、猫達と情愛を交えるまでには至らなかった。ガツガツ、なりふり構わず喰い終わると、プイっとどっかへ姿を消してしまうのだ。千草嬢は感謝の気持ちを表現する教育はしなかったのかな?

 テオドーロは段々とボクに近づきはじめた。
ボクが訪れると、尻尾をすりつける。可愛い。へしゃげた面もご愛嬌に見えて来るというものだ。
フィ~ィ~・・・フィクセーニアはそうはいかない。そっくりだから、間違えて抱こうとしたら、ハーッときやがった。
 食欲のほうは、雄、テオドーロ以上だ。

 話が前後するけど・・・
 日本への出発の前日、アパートの鍵を届けにきてくれた千草嬢が言った。
「もし出来ればだけど・・・毎日だいたい同じ時間に来ていただけないかしら?」
「あ、そう?何時くらいに?」
「我が家では毎朝,八時かっきりにごはん与えてるの。ニコライがとっても几帳面で、これは彼の仕事なの」
 ちと早いけど,まあいいや。その方が涼しいもんね。

「お宅のネコちゃんは規則正しい生活に慣れてんのか」
「あらっ!それ、とっても大切なことなのよ。ネコにとって規則正しい生活は」

 知らないのォ?あんた、それでよくネコ飼えるわねェって、口調なのだ。
 でも、キミ、トイレに閉じ込める気だってあるんだろ?要するに飼い主の感性と習慣の相違なんだ。
 ボクの猫飼哲学はこうだ!
 ネコはもともと野生の動物。基本的に決まったごはんの時間なんてなかったのだ。
ボクも駆け出しフリーデザイナー。食事の時間なんて決まってない。そのときの都合と気分と胃袋の加減で1~2時間早くなったり遅くなったりは毎度のことだ。忘れてしまうことなどたびたび。ネコ達も右ーィ、習えってこと。

 perusia.jpg
       
 さて、ある日、千草嬢のアパートに午後四時ころ行ったことがある。まる八時間の遅刻だった。朝6時半発の日帰り出張でボローニャまで出かけ、どうしても時間が取れなかったのだ。

 ドアを入るなり、方っぽうは待ってましたとばかり体をすり寄せてきた。
「ボクお腹すいてるよー、ミャオ~ミャオ~」
 悪かったな、勘弁してな。
 だが、フィクセニアのほうはハーッと牙をむき出して、遅メシに抗議するではないか。

 お前ら、たまにはこんなこともあるってことも、経験するんだ。
 ネコは水さえ飲んでいれば3、4日くらいは平気で生きているって、専門書に書いてあったぞ!もともとおまえらは大げさな奴。半日遅れても3日くらい食べてないみたいな悲壮な声で迫ってくる。オレは充分知り尽くしている。ダマされないぞ。
 まあ、明日はいつもの時間に来るから、ハーっなんてするの止めてくれよ、ニャ。(完) 
      

ひとこと その後、千春さん(仮名)ともご無沙汰していたが、最近、ぱったり出会いました。旦那も定年になって、ヴェネト地方で畑を耕して二人でのんびりと田園生活を送っているとか。前のペルシャ猫はとっくに死んでしまい、新しい猫はやはりペルシャ猫。あの、へしゃげた顔が苦手だと言ったら、『そこがいいのよ』と笑っていました。

| 猫が語る10の物語 | 17:24 │Comments0 | Trackbacks0編集

okurineko_20160123061937d6f.jpg


おくりねこ


「・・・わたくし、ティンティンに枕元で見取られながら死にたいの」
老婆はうわごとのようにくりかえす。

医者・・・この言葉、3日間に20回は聞いたな。

「あなたのネコへの情愛に頭が下がります。ネコちゃんはきっとあなたの望み通りにしてくれるでしょう」
「・・・ティンティンはまだ、8歳なの。わたしが死んでしまったらどうなるんだろう」

「ロザンナさん、ご心配要りません。わたしが見てさしあげますわ。わたしとティンティンはとってもいいお友達になりましたの」
アンナは老婆の手を取ろうとした。
だが、老婆は手を引っ込めた。
「あんたがティンティンの面倒をみてくれるんだね?お礼としてわたしの資産全部あんたに託すんだから、それくらいのことはしてくれないとね」

医者・・・おやおや、ネコの面倒くらいで、気の遠くなるような資産を譲るんだって?やっぱり正気ではないな。
「ロザンナ夫人、あなたの生命力はすごい。93歳とはとても思えない。気持をしっかり持つのです」
「わたしは孫を失ってから、どーっと年老いたてしまったのよ。ぐうたらでどうしようもない孫だったけど・・・」

アンナはひとつひとつ老婆の言葉にうなずいてみせる。

「ティンティンはどこだい?わたしの枕元に連れてきておくれ」
アンナは口ごもったが、やっとこう言った。
「今日はとってもいい小春日和なので、お庭を散歩しているようですわ。うっとおしい雨季が終わって、ティンティンもうれしいのでしょう」

老婆はレリーフの天井を、うつろな目で眺めている。
「この天井が私には高すぎてねえ、吸い込まれそうだよ。目がくらくらしてくるよ」
医者はあいづちを打って言った。
「4メートル以上はありそうですからね。全く立派なお屋敷です」
「あなたは誰?バルビエ-リ先生ではないのね?先生はなぜいらしてくださらないの?」
オッホン!小さく咳きをして医者は言った。
「すでに(もう8回も)ご説明申し上げたように、バルビエーリはですね、暫くの間どうしてもうかがうことが出来ず、わたしが代わりとしてロザンナ夫人の健康管理をさせていただいているわけです」

「・・・わたしはティンティンの傍で死にたいんだよ」
うわごとのように繰り返すと老女は目を閉じた。




「先生、ちょとお話が・・・」

医者とサロンに移ったとき、アンナは声を落として言った。
「先生、実は今朝、ネコのティンティンが死んだのです」
「ええっ?死んだ?」
「私が夜明けに病室に入っていったとき、ティンティンはすでに死んでいたのです。いつものようにロザンナさんの足元に丸くなって寝ているのではなく、彼女の枕元で寄り添うように横になっているので、不審に思って近づくとすでに冷たくなっていたのです。私は夫人が目を覚まさないように、そっとネコを抱きかかえて病室をでると、獣医さんにすぐに電話をしてここに来ていただくようにお願いしました・・・ティンティンは老衰で息絶えたのだそうです」
「老衰だって?だってあのネコはまだ8歳なんだろう?」
 娘は顔を横に振った。
「いいえ、本当は18歳なのです。3週間くらい前かしら。お知りあいがお見舞いにいらしたとき、いつまでも綺麗ねえ、ティンティンは。7、8歳くらいにしか見えないわ、とおっしゃったので、ロザンナさんはそれ以来、ティンティンを8歳と思うようになったのです」
「綺麗で毛並みの見事なネコだったものね。私もそう思い込んでいたんだ」
「ロザンナさんの最期まではなんとか生きていてもらおうと、獣医さんもいろいろ手をつくして大変でしたの」
「待てなかったんだな、ティンティンは。ご主人のために頑張ったんだろうけど」
「綺麗でやさしいティンティンは私にもとってもなついてくれたし。わたしの気分もなごませてくれましたわ」

医者は考えているふうだったが、やがて真顔で聞いた。
「アンナ、立ち入ったことを聞くようだが、ロザンナ夫人が他界したあとは、あんたの将来はどうなるんだね?あんたは看護婦の資格も持っているそうだし、新しい勤め口を探すくらい私だって力になれると思うよ。老バルビエーリが死んで、私が代わりとしてくることになり、まだ5日しかたっていない。でも君の献身的な介護ぶりは胸をうつものがあるんだ」

アンナは感謝の眼差しで医者を見た。やがて・・・
「・・・ロザンナ夫人のお孫さんが亡くなってしまって、わたしが今では唯一の身内の者なんですって。2ヶ月前、私が勤めていた老人ホームに、ロザンナ夫人の知人が訪れて、身内の老婦人が病床で先も長くないから、看病に携わってほしいとおっしゃたのです。それでこのお屋敷に伺いましたの。そして弁護士さんから、私がたった一人の相続人だと聞かされたのです」

医者は驚きを隠せない。
「そうだったのか。まるでシンデレラ物語だな」
医者はしみじみと娘を眺めた。
全く化粧はしてないが、顔立ちの整った品のある娘だ。

「あたし、ロザンナ夫人に何とお呼びしたらいいのかしらってお聞きしたら、ロザンナと呼びなさいとぶっきらぼうに言われましたの。無理もありませんわ。わたしたちは他人と同じようなものですもの。書類上の身内なんて何の意味もありませんわね。そのときはまだ夫人は頭もはっきりしてらして」
「そのうちボケがひどくなってきて、ネコの面倒を見てくれるお礼に、莫大な資産を全部プレゼントするんだなどと・・・」
「先生、お金持ちになるって、そんなに重要なことなのでしょうか。お金がたくさんあっても不幸だったり、惨めな一生を終えた方も、たくさん見てきましたわ」
すると医者は笑った。
「そんな屁理屈言わないで、もっと驚きと喜びを感じてほしいもんだね。私も名乗りを上げればよかったよ。おばあちゃま、覚えていますか僕のこと?あなたに会いに40年ぶりにニューヨークから戻ってきたんですよって」
娘は微笑んだ。
「ロザんナさん信じるかもしれませんわ。でも弁護士さんが・・・」
「弁護士もボケてくれないとね」

「先生、ロザンナさんがティンティンはもう死んでしまったことを知ったら・・・あたしそれが辛くて」
「私にもどうしていいか分からんのだよ。君が心をつくして看病するしか方法はないと思うよ」

医者が帰ったあとアンナは寝室に引き返した。
看護婦と家政婦が老女の体を洗い、シーツを変え終わったところだった。
薬が効いているらしく老婦人はうつらうつらしていた。

看護婦や使用人が出て行った後、アンナはベッドの傍らに腰を下ろして窓の外を眺めた。
赤い西日が高い窓枠を染めていた。

本を読む気にもなれず、過ぎ去った出来事が脳裏を横切った。
自分はこの屋敷に送られてきた。
自分は唯一の遺産相続者なのだそうだ。
それがどういうことなのか実感が今でも湧かない。
わたしは小さな2部屋のアパートさえ持てなかった両親の、貧しい育ちなのだ。
死もま近かな老女が目の前によこたわっている。
こんなちっぽけな、今まで会ったこともない娘が,唯一の身内であることを受け入れなければならない老婆・・・


「ティンティンは・・・?」
目をさました老婆はつぶやいた。

あの・・・アンナは言葉につまった。

「ティンティンは19歳だものね」
老婦人が天井を見つめたままぽっつり言ったたので、アンナはぎくりとした。

老婦人はティンティンのことをそれ以上聞こうとはしなかった。
彼女はまじまじとアンナの顔を眺めていたが、やがて力なく手をさしだした。
アンナはそれをやさしく受け止めた。
骨ばった皮だけの手だったが、わずかの温もりを通してはじめて老婆との交流が出来たことが嬉しかった。
手を握られたまま、老女は再び眠りに落ちて行った。



その夜・・・

「先生、こんな夜更けにお電話して申しわけありません。ロザンナさんが亡くなったのです」
「え?すぐにそちらに向かうからね。気を落ち着けて」


「とっても穏やかな顔だね。まるで気持ちよくお昼寝をしているようだ」
「昨日先生が帰られて、ベッドのところにいましたら、ロザンナさんが目を覚まされて、『ティンティンも18歳だものね』って。あたしびっくりしてお顔を眺めたけど、何かいつもとは違っていたみたい。しっかりとわたしの顔をみていらしたわ。そして、手を差しのべたので、わたしもにぎり返しました。ご自分からそんなこと一度もなかったのに。そしてそのまま眠ってしおしまいになったの。そのうちわたしもうとうとっとしてしまったけど、目が覚めたとき冷たくなっていたのです」

「ともしびが消える直前に一瞬の正気をとりもどしたんだな。そして君のことをみとめたんだ。おばあちゃんもネコも最後まで生き抜いて、至福の死をとげた。さあ、これからは君の新しい人生がはじまろうとしているんだよ」(K)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひとこと 数年前に『おくりびと』というすばらしい映画が評判になりましたが、タイトルがとてもきにいったので、『おくりねこ』で書いてみました。k

| 猫.cats,gatti 100の足あと | 03:37 │Comments4 | Trackbacks0│編集│▲

【続きを読む】

| 猫が語る10の物語 | 21:14 │Comments0 | Trackbacks0編集

jiji tytol

「あれっ、また食べられちゃったよ」
ドロの奴、よっぽどお腹をすかせてたんだな。でも何たって厚かましいよ。よその家にずかずか入って来てさ、ボクのご飯をぺろっ平らげて、ぎょろっとボクを睨んで出て行ってしまうんだもの。バスルームのドアの下にボクのご飯があるんだけど、律子さんが足許見てギョッとしたのも当然だよね。柱の陰でボクがぼけっと見てるので、律子さんはそれにも腹をたててしまうんだ。
「ジロったら、何て情けない子なの!『これはオレのご飯だよ』って、どうして立ち向かって行かないの?あんたのママって、とっても気性が激しかったと聞いているけどね」 


 ご主人のチェーザレ氏が出張から戻って来た。
大きなスーツケースをどんと玄関に置くと、僕を抱き上げてくれる。そしてタワシみたいな頬を僕の顔にすり寄せて言った。
「ジロ、留守の間もいい子だったかい?」
 律子さんは待ってましたとばかりまくしたてる。
「あなた、あの泥棒猫のこと憶えてる?ほら、ここまでずかずか入って来るんだから。信じられる?きれいに食べてしまって、『もう、喰う物はないのかよ』と言わんばかりにあたしを見上げるの。スリッパを振り上げたら、すごい形相でハーッと牙をむくので、ぞっとしたわ。それから我がもの顔でゆっくりと出て行くの。完全になめちゃっているのよ」
ジロ 1

 誰だってドロを見たら怖くなってしまうよね。 顔半分黒であとの半分が白で、鼻のところがぐちゃぐちゃっとした感じで、うす気味わるい緑色の眼で睨まれたら、震え上がってしまう。
 チェーザレ氏はびっくりしたような、面白がっているみたいに聞いていたけど、
「入って来れないようにドアを閉めてしまえば、簡単じゃあないのかい?」
「いつもってわけにはいかないわ。ジロは外に出たり入ったりするのが大好きなの。お庭で遊んでいると、お友達も来るようだけど、ドロがやってくると、みんな早々にどっかへ行ってしまうみたい」
「入り口の所に毒入りケーキでも置いといたらいいだろ?」
「ばかねえ。ジロが食べてしまったらどうするのよ?」
「そうだな、ジロもぼけっとしてるから、喰ってしまうかもしれないね。そののドロってやつは野良猫なのかい」
「そうじゃないのよ。れっきとした飼い主がいるの。いたって言うべきなのかしら。ワイン店の横を入ってつきあたりを右に曲がったところのアパートに住んでいるガティーニっていう家の猫なの。ワイン店の若主人がそんな話をしてくれていたとき、偶然、当のガティー二の奥さんがお店に入って来たの。そこで、あたし勇気出して言ってやったのよ。
『お宅の猫らしいドロ・・・いえ、名前は知らないけれど、我が家にどかどか入って来て、うちの猫の餌を食べちゃうんで、困っているの。お宅では充分餌を与えていないのですか?』って言ったら、『ああ、ダヴィデのことね.我が家にもいたことがあるけど』なんて、他人事みたいに言うの。(へえ・・・ダヴィデって名前?まあ、あんな猫にもったいないわ)
『ダヴィデはもううちの猫ではないんですよ。行儀が悪いし、性格も良くないから、追い出してしまったんですよ』なんて、放蕩息子でも追いだしたような言い方をするの。籍は外してしまったんだから、もう関係ないって感じでね。
『でも、お腹が空いたら戻って来るのではないのかしら?』
『どんなに欲しがっても一切与えないのよ。家では台所以外は絶対食べ物を置かないことにしています。それにいつもドアを閉めていますからね。そのうち猫のほうが諦めて寄り付かなくなったの。お宅もそうなすったら?』なんて、しゃーしゃーして言うのよ。
『我が家ではドロって呼んでいますの。泥棒のドロのことよ』って言ってやったけど、話していてしまいには馬鹿馬鹿しくなったわ。」
 聞いているチェーザレ氏がげらげら笑うもんだから、律子さんも吹き出してしまって話にならないのだ。

             *

 ローマに住んでいるチェーザレ氏のお兄さんの子供がやって来た。
 まだ小学校の2年生。 日曜日の朝、チェーレ氏が飛行場へ迎えに行って、連れて帰って来たけど、『ステファノ、疲れたかい?』、『ステファノ、何が食べたい?』、『パパとマンマと別てて寂しいだろう?』などと、ものすごい可愛がりようなんだ。お母さんがおばあさんの看病に行ってるし、お父さんは仕事で夜も遅いので、ここに一週間ばかり預けられることになったのだ。
jiro 2

 ステファノは長い睫毛のとっても大きな眼して、その上度の強い眼鏡を掛けているので、顔中、眼がいっぱいという感じだ。
 彼は大切そうに、小さなヴァイオリンを抱えていた。
「聖チェチリア音楽院で、アルビノーニの『アダージョ』を聴いて、バイオリ二ストになることに決めたの」と幼い少年が、ちょっとませた口調で言う。
「ほう、すごいなあ、兄貴からそんなこと聞いてはいたけど。練習を始めてもうどのくらいになるんだい?」
「3週間とちょっとくらいかな」
「ふーん。じゃあ、食事が終ったら聴かせてもらえるかい?」
「もちろん、人に聴いてもらうことはとってもいいことだと、先生も言ってたから。みんなの感想も聞きたいし」
と、また、ませた感じで答える。
jiji mozart

 お昼の食事が終って、みんなはサロンに移った。小さなステファノはヴァイオリンを取り上げて、くそ真面目な顔になり、譜面を見ながら重々しく弾き出したのだけど・・・キーッと鳴り出したとき、チェーザレ氏と律子さんは思わず顔を見合わせた。それからキィッキィッキィーツと始るヴァイオリンの音に、二人は耳を塞ぎたい気持ちになっているのがわかった。でも我慢して聴いている。本人は一生懸命だから聴いてあげないとね。
 音楽がちょっと中断したとき、すかさずチェーザレ氏が言った。
「すごいなあ、ステファノは。将来は大ヴァイオリニストだな。アルビノーニの『アダージョ』って、とってもいい曲だね」
「これは、『アダージョ』ではないの。先生が、まだ僕には早いって言うから。これはね、モーツアルトの初歩のための練習曲なの」
 律子さんが吹き出したいのをかみ殺して苦労している。『この人ったら、イタリア人のくせに、アルビノーニのアダージョも知らないんだから』

 ステファノは、我を忘れたように弾き続けるのだ。回りのことなんか何にも頭にないって感じ。律子さんも、『この子、偉いわねえ、根性があるわ』と感心して眺めている。

 玄関のベルが鳴った。
 律子さんが出てみると,お隣のリーザおばあちゃんが微笑んで立っていた。
両手に大きなチョコレートケーキをのせて。

「おい子さんがローマからいらしたのね。いいわねえ、にぎやかになって。はい、これをみなさんで召し上がって。今朝、娘が来て作ってくれたのよ」
「まあ、素敵。主人の大好物よ。さあ、リーザさん、入ってくださいな。コーヒーでもいかが?」
「いいえ、これで失礼するわ。・・・バイオリンを弾いているのはおい子さんなのね?今までは聴かなかったもの」
「そう,意外と真剣にやっているみたい。ローマではちゃんと先生についているんですって」
「偉いわねえ・・・ところでお願いがあるのよ。気にしないで聞いてちょうだい。甥子さんのヴァイオリンのことだけど、しばらく滞在されるんだったら、弾くのは朝と夕方にして頂けないから。午後からは、ほら、おじいちゃんがお昼寝をするでしょ。だから・・・」
「わかったわ。ご心配なく。すぐに止めさせますわ。」
 おばあちゃんは、ほっとしたように帰って行った。

 リーザおばあちゃんはとっても柔和で感じがいいけれど、おじいちゃんの方は、律子さんも一寸敬遠ぎみなのだ。挨拶をしても返事がかえってこないこともある。おばあちゃんの話によると、おじいちゃんは極度の神経痛らしいのだ。2軒はあまり離れていないので、律子さんは窓を開けているときは、テレビのボリュームなども、いくらかは気にしているくらいなのだ。

 朝の散歩から戻って来ると、ちょうど僕の食事の準備が出来たばかりだった。
「ドロが来ないうちに早く食べてしまうのよ。ジロ、わかった?」などと律子さんは言い、出かけてしまった。
 ボクが食べようとしたときだ。・・・ふと振返ると、ああ、やっぱり。ドロが怖い顔をしてボクの鼻すれすれに顔を近づけていたので、震え上がってしまった。
「ほらね、君のために手を付けないで取っておいたんだよ。どうぞ」

 ボクが身を引く前に、ドロはもうガツガツと食べはじめた。ガツガツ、ガツガツ、凄まじいなどというものではない。怪物のようだ。ボクは柱の陰から,息を潜めて眺めているだけだった。
 そして、半分くらい食べてしまった頃だ。
じじ

 キィッキィッキイッと、ステファノのヴァイオリンの音が、サロンから聞こえてきたのだ。例のモーツアルトの練習曲が。
 ドロのガツガツがぴたりと止まった。酔ったように、頭を上げて聞き耳を立てているようだった。ドドソソララソー、ファファミミレレー・・・
 あれ?ドロはいきなりドアの方に向かって猛烈な速さで突進した。そして、食べたものをゲーゲー吐き散らしたのだった。
ヴァイオリンの音色がキィッキィッキッィッと、まだ聞こえてくる。ドロは気が狂ったように体をよじって、走り去っていったのだった。
rituko fb

 次の日、ドロは午後にやってきた。
 僕はサロンの絨毯にうずくまってお昼寝をしていた。律子さんはソファーに横になって本を広げたまま眠っている。
 僕は眼を開けた。
あ、又来た。ドロはしなやかに窓から律子さんの頭の上を飛び越して僕のお茶碗のある所へ直行し、いつものようにガツガツと食べ始めたのだ。
 突然・・・あれ?不思議!また、あのキィッキィッキィッのヴァイオリンの音が聞こえてきたのだった。
 きらきら光る、お空の星よ・・・
律子さんがヴァイオリンに合わせて小声で口ずさんでいたっけ。とっても素朴で、快活なメロディー、モーツアルトの可愛い練習曲。小学校の音楽の時間を思い出すわねェ、なんてつぶやいてたけど。なのにドロったら、悪魔の暗示にでも掛かったように、食べるのを止めて、苦しそうに喘ぐように首を動かすのだ。。
ヴァイオリンの音に飛び起きた律子さんは、混がらがった頭で、天井を見上げている。律子さんはソファーから飛び降りると、階段を飛ぶように上って行った。
じじ
「ステファノ!よーく言ったでしょう」
 律子さんのちょっと厳しい声が聞こえてくる。
「お隣のおじいちゃんがお昼寝するから、午後は絶対、ヴァイオリンを弾かないでって」
「ごめんなさい、リツコ叔母ちゃん。ボク、そんなつもりではまったくなかったの。ボクもお昼寝してたんだけど、ぱっと目が覚めてね、衝動的に弾きたくなったの。自分でも分からないの。どうしてそんな気持ちになったのか」


翌日1日中ドロは来なかった。
 ボクはすっかり安心してしまった。もうドロは来ないのだ。ドロはステファノのヴァイオリンの音が嫌いなのだ。ステファノの奏でるヴァイオリンは、ドロにとって、呪いの音なのだ、きっと。
 ステファッノがローマに帰らずに、もっとここにいてくれたらいいのになあと思う。
「ジロはこの頃、ぱっぱっと食べてしまうので助かるけど、時々吐いてしまうみたいね。慌てないで食べるのよ。胃が普通よりもちょっと上の方についているんだから注意しないと。ところで、この頃ドロを見ないわねぇ」

 でも・・・3日後にまた、ドロがやってきたのだ。夜の一時もとっくに過ぎた頃に。
 ボクは、サロンのソファーの上で眠っていた。気配を感じて眼を開けると、廊下に灯された小さな電灯の下を黒い陰が通りすぎた。やがてボクの食べ残しをガツガツと食べている音が微かに聞こえてきたのだ。

 そのとき・・・おや?
 例のきらきら星のヴァイオリンが、静まり返った深夜に響いて来たのだ。
 ガツガツはぴたりと止まった。ドロの唸り声を聞いたような気がした。そして、ゲーゲー吐き散らす音までが。やれやれ、また、律子さんに叱られるのはボクなんだ。そして彼女『ジロを獣医さんに一度見せたほうがいかしら』って思うかもしれない。
JIJI

 ヴァイオリンはまだ鳴っている。夫婦の寝室は2階にある。ステファノの寝ている小さな部屋の隣だというのに聞こえないのかな。何と、お隣のおじいちゃんの方が先に眼を覚ましてしまったのだ。

「うるさい!気違い小僧、ポリスを呼ぶぞ!」

 おじいちゃんが怒鳴っている。やっと律子さんが眼を覚ましたようだ。けたたましい足音。
「ステファノ、どうしたのよっ!頭がおかしくなったの!真夜中の2時っていうのに!」
「ごめんね、リツコおばちゃん。自分でもさっぱりわからないの」
「真のアーティストには時間の観念がないのだ。ステファノは世界的なヴァイオリニストになるぞ!」
チェーザレ氏が大あくびをしながら叫んでいる。
JIJI
      

 ステファノがローマへ帰る日が来た。
チェーザレ氏がお土産をいっぱい買ってあげたので、来たときよりも3倍くらい荷物が膨れ上がってしまった。
 チェーザレ氏のステファノの可愛がりようにはおどろいてしまう。たった1週間の滞在だったけど、ルナ・パークや,この街で一番美味しいピッツェリアに連れて行ったり、あれやこれやの持てなしなのだ。
 でもステファノは、それほどうれしかったのかなあと、ボクは思ってしまう。
beethoven 2-1

『広場で子供達がサッカーして遊んでいるわよ。ステファノもやってきたら?』
『ううん、ボク、ローマに帰るまでに、この『ベートーヴェンの生涯』読み終わってしまいたいの』って調子なんだもの。

「夫は今、ステファノを飛行場まで送って行ったの。何しろ甥への愛情はすっごいのよ。チェーザレは小さいときに両親を無くして、お兄さんに自転車で毎日小学校の送り迎えしてもらってたのが忘れられないんですって。イタリア人の肉親への絆の強さといったら、あたしたちには信じられないくらいよ」
 律子さんは電話でそんなことを話している。
 ボクはといえば、ステファノがいなくなったら、またドロがやって来るだろうな、などとこわごわ考えてしまうのだ。


 ステファノがローマに帰ってしまっから、十日くらい経った。幸いにしてドロはやって来ない。やっぱりあのヴァイオリンに懲りたのだな。きっと。
 夕暮れも真じかだった。
 ボクが散歩の帰り途、煉瓦造りの塀の上を歩いていたときだ。
 道の反対側の植え込みから、いきなり黒い影が飛び出してきて、塀の上に飛び上がったのだった。なんとそれは忘れもしないドロだった。やがて彼の形相が変わった。両の眼が、緑の炎のように燃え上がった。
 ドロ、お願いだからそんな怖い顔でボクを見ないでくれよね。
 お願いだから・・・ドロの毛はハリネズミのように膨れ上がった。そして醜い顔に牙をむき出してハーッと・・・ボクは後ずさりした。きっと殺されるだろうと思った。
 でも後ずさりしたのはボクだけではなかった。ドロはいきなりきびすを返すと塀を飛び降り、矢のような早さで逃げて行ってしまったのだ。
 赤い夕陽の中に消えてしまったドロ・・・僕、どうしても信じられないよ。(完)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ひとこと サロンの家具の位置が変わったために、飼い猫が不機嫌になったり凶暴になったり・・・家族の団らんの笑い声が大嫌いなネコもいるそうです。そんな話を読んでいて、この物語の案が生まれました。K

【続きを読む】

| 猫が語る10の物語 | 22:54 │Comments0 | Trackbacks0編集

koiwa


日本から訪れた新婚さんを夕食にご招待。
新郎は東京のF広告代理店の友人の後輩だ。

新郎クン「おせんべいお好きですか?」
ボク「もっちろんだよ!」
「よかったーっ。おみやげ、なんにしようかと迷ったんだよねェ~」
新婦サン「そうよねえ。外国にいらっしゃるから、やっぱり日本の味がいいんじゃないかしらってねェ・・・」

「ハイッ、これ、つまらんもんすがっ!」
「アッリガトウッ!」
嬉しそうな顔しないと。
こんなにかさばるもの(靴でも入りそうな箱)を、地球の裏側からわざわざ持って来てくれたんだもん、失望させてはいかんって気持ちが先に立つよね。

 でも、正直言うと・・・その季節はどうしたわけか。魔?のセンベイシーズンなのであった。
 次から次ぎへと届くお土産のおせんべいを、一日中バリバリ、バリバリ。
 駆け出しフリーランスの閉じ込められた毎日。ついつい食っちゃう、バリバリッと。
 こういうのを意地汚くなるっていうのかね、バリバリッ。
 口の回りに吹き出しものができそうだ。

 でも、告白しよう。ボクはもともとは大の甘党なのであった!

大丸地下のはかり売りダイフク待ってんだーァ、オレは!!
 でも、悲痛な叫びは地球の裏側までは届かないのだ。

                     *

 新婚サンが帰ったときは、もう夜中の一時を回っていた。
 ともかくガバガバっと包装紙を解くと、
『小岩の手焼きせんべい』と力強い書道が眼に飛び込んできた。
 箱を開ける。
 びっしりと詰まった大型せんべいは、漆喰の黒光りした浅草海苔で完全武装された超高級品なのであった。今までにもらったのもの中でも、超高いのは間違いなしだ。こんなにいっぱいノリ使ってるなんて勿体ないなァなんて気も。

 ガワ(海苔のところ)をはいで口にもっていく。美味しいなつかしい。その頃は商社マンならともかく、われわれ貧乏アーティストにこんな高級品、気ままに入って来る時代ではなかったのだ。
 ノリだけはがして、むしゃむしゃやっていたら、誰かにじーっと見られている気配を感じた。

 寝室のドアの隙間からチビが眠そうな顔で、こっちをみている。兄貴のパンに寄り添って熟睡しているはづのチビは、夢遊病者のような足どりで近づいてくるのだ。
 ボクの足許までくると、しきりに鼻をクンクンやっていたが・・・
 いきなりジャンプで、エイッ、ボクの手から、両手でノリを奪い取ったのだ。そして一気に食べてしまった。あっと言う間の出来事。そして次を待っている目は真剣だ。

「自分だけオイチイモノ食べてるなんて、ズルイッ!  ミャーオ」
 生まれて5ヶ月しかたってないチビ。
 またガワをはいで与えると、しっつこくお変わりを要求する。
中身(せんべい)も喰わせようとすると、そっちの方はしっつこく拒否する。
 こいつ、ぜいたくな。
 浅草ノリに胃と魂を奪われたイタリアンネコ。
それにしてもだ、隣の部屋で熟睡しているのに、ノリの匂いを嗅ぎ付けるとはねえ。
ノリ助,お前すごいぞ。
あ、名前が決まった。
 『ノリ助と命名しよう』
えーとーっ、イタリア語では海藻のことを何て言ったっけ。
 ア、ル、ゲ。
 うーむ。悪くない。イタリア人には『アルギーノ』だ。
「アルギーノ、もう寝るんだ。おかわりは明日」

 騒ぎ?で夢を破られたパンが、でっかい図体で、これまたよたよたとドアから出てきた。
「あれ、お前もかい?、遅れる猫はもらいが少ないって言うだろ。でも、一切れだけなら」

 兄貴ネコは鼻をクンとやっただけで、
『コレって、真夜中にぎゃあぎゃあ騒ぐほどのモノなの?』
 そしてのろのろと寝室へ戻って行った。(K)
nori

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
イタリアに来て初めて飼ったのがキジのパンでした。でもボクがたびたび留守をするので可哀想で、1年後に同じ母親から生まれた子猫をもらってきました。それがノリ助です。我が家にもらわれてきたノリ助はネズミのように家の中を走り回り、追っかけるパンは噛み付いたり、投げたり悪さを続けていたけど、翌朝ボクがサロンに入って行くと2匹は抱き合って寝ていました。それからはいつも一緒、とっても仲良しでした。でもパンは手術をしていなかったので、エネルギーをもてあまして、とうとう出て行ってしまった。ノリ助はすっかり元気を失い、食欲もなくなり、大好きだった浅草海苔もまったく食べなくなりました。そして10日ぐらいたって、雪の夜、ノリ助も出ていってしまいました。うまくパン兄貴に巡り会えただろうかと、そのことばかり考えている日が続きました。涙、涙で、もう絶対にネコは飼うまいっと決心したのですが、今のホフィは5匹目です。(笑)

| 猫が語る10の物語 | 15:51 │Comments0 | Trackbacks0編集


恐怖の大晦日


クリスマスも終って一段落ついたはずなのに・・・

年越しも近くなると、我が家の女主人はまたまたそわそわしてくる。
「やっぱりアンティパースト(前菜)は3種類はなくてはね。そしてプリモにポルチーノのリゾット、そのあとは・・・ああ、ありふれたものばかりだわ。今年は趣向を変えてみようかしら・・・・」
「ねえ、君、年越しパーティをまた我が家でやるのかい?ロッシの女房が引っ越し祝いに、今年は自分ところでやりたいって言ってたじゃあないか」
「無理よ。あんな小ちゃなアパートでは。今年はカップルが多いから12人くらいになるの。それに加えて、あなたの弟夫妻もローマから来るかも知れないし・・・」
「やれやれ、年越しくらい静かにノンビリと過ごしたいよ。大騒ぎはテレビだけで充分だ」

とにかく、大晦日のパーティーは今年もこの家で。
ボクは憂うつになる。動悸が早くなってくる気がする。
一年中で一ばん嫌いな怖ーい夜が訪れようとしているのだ。

31日は朝から、お手伝いさんも特別出勤して、ごちそうの準備。
すごいよねえ。14人分なんだから。
夜,9時前後から、客達は次々とピンポーン!とチャイムを鳴らして、手みやげを持って現れる。ご婦人達はめかしこんでいるけれど、男性はノーネクタイがほとんど。


                    〜

ああ、それにしても懐かしいクリスマス。

クリスマスの昼の正餐会はよかったなあ。
ミサにあずかった後、家庭の一同が集って・・・スキーに行くために欠席、などという我が侭は許されないで、家族以外の人間といっても、独身を貫き通した叔母さんとか、従兄弟くらいだから、本当に『身内だけ』の集いなのだ。
お腹いっぱいになったら、今度はプレゼントの交換。
猫が見たって下らない物ばっかり。
嬉しそうに開けて喜びと感謝のポーズをしたりされたり。
全員、すごく上手に演技する。毎年だから、演技もだんだん訓練されていくんだよね。
でも、見てて楽しいんだ、これって。
そのあとトンボンというゲームをやったり、みんなそろって広場の『キリストの誕生』のペルセピオ(雛人形)を見に行ったり・・・・ちょっぴり宗教的で悪くないなあ,クリスマスって。
ボクも美味しいものいっぱい食べて(クリスマスにしか出ないさい最高級のムースだって、たっぷりとね。旦那さんはちょっとつっついただけで、ぼくにまわしてくれるんだ)、あとは窓辺で、雪景色を眺めながら、うとうととする・・・

                       *


でも,年越しパーティは様子が変わってくる。
スキーに行ったりディスコに行ったりで、残された夫妻はのんびりとテレビを見ながら過ごすって家庭も多いらしいけど、レジーナさん(ここの女主人)は、まだまだ若いのだ。大勢集って、食べて喋って人生を謳歌する年齢なのだ。
彼女、まだ39才だけど、30過ぎにしかみえないのが自慢。
旦那さんはおっとり型の42才。

数年前までは、大晦日にはレストランに行ってたのだ。
レストランの中は溢れんばかりの客達。人息で気がふれんばかりだったとか。
だから年越しのレストランはご勘弁,ということになったらしい。
「我が家で騒ぎましょうよ。カップルだけで」
物静かなご主人シルビオさんの、無言の抵抗もなんの、パーティを始めたのが3年前からなのだ。

そして,今年も。

男も女もよく食べるなあ。
そしてよく喋ること。そしてよく飲むこと。
「飲酒運転の規制がきびしくなったんだってさ」
「交通取り締まりはどうせエピファニア(1月6日。冬休みの最後の祭日)後だろ。今夜はうんと飲まなきゃあ!」

3種類のアイスクリームとケーキが終った頃には、すでに11時55分をまわっている。
旦那さんはバルコニーに出してあったシャーペーンを取って来て栓を抜く準備をする。
奥さんはテレビのスイッチを入れる。どのチャンネルもばか騒ぎのショーばっかり。
彼らは刻々と迫る新年を待機している。

あと、6秒、あと5秒、4、3、2、1!
シルビオさんが、ポーンと栓を抜いた。タッポ(栓)は勢いよく天井まで飛び,跳ね返って花瓶の中に。
開け放した窓からドードードーンと爆音が。ボクは、一瞬、五感が麻痺し、体がふわりと宙に浮いた。

そして又、ドドドーン!
つんざくような、脳の奥までショックを与える爆音。目が回る。視界が白くなってくる。
「まあ、きれい!これを見なきゃあ年越し気分がでないわね!」
「ほんとだ!それに年ごとにエスカレートしてくるみたいだ。すっごく大掛かりだ」

サロンの窓をいっぱいに開けて、感嘆の叫びが続き、客の溜め息が漏れる。

ドーン、ドーン

「あ、今度は広場の方からだ」
彼らは、一団となって寝室の方に移動する。そこからテラスに出られるようになっている。
乗り出して、白い息をハーハー。
大人の花火鑑賞なのだ。

ドーンドーン。

「すっげえ!火の粉が家の中まで入って来そうだ」
そして、またどやどやとサロンに移動する。そんなことを繰り返す。
ボクはといえば、うろちょろヨタヨタしていたが、やっと家具の隙間に紛れ込むとうずくまった。
ああ、この地獄はいつまでつづくのだろうか。

ドドーン、ドドーン!

               
                 *

「もう、2時半を回ったわ。ああ,疲れた。明日は寝たいだけ寝てていいのよ」
奥さんは化粧を落しながらしんどそうに呟く。
「そうこなくちゃあ」

先にベッドに横になった旦那さんが、奇声を上げて飛び起きた。
「臭せえっ。メルダ!」
『ほんとだ。強烈だわ。どこからかしら?ねえ、ちょっと起きて見て!」

KYOUFU
               
                
「あっ、ここだっ!!」
「まあ、マックスったらなんて子なの。こんなこと初めてよ」
「花火でショック受けたんだよ。哀れな老マックス・・・」

普通ならちゃんと砂箱のなかで・・・だのに、ボクはベッドと壁の隙間に逃げ込んだときにやっちゃったらしいのだ。
精神分裂を起こした哀れな老ネコ。
肉体と魂は急速に衰えていく。
マックス、お前、もうおしまいだ。

「それにしても、随分立派なのやったなあ。マックスは」
旦那さんが感心している。そして彼は叫んだ。
「これぞ、幸ウンの印!2016年はきっといいことがあるぞ。ブラヴォー、マックス!」
意外なことでお褒めの言葉を頂いた。

「あれっ、こいつテレビの後ろにもやってらあ」
「サイドテーブルの下にもやってたわ」
そうなんだよね。ボクは4日間も『幸ウン』を家中まきちらした。
そして分裂症は正月5日になってやっと回復したのだった。

ふっと、ホシムクドリのおじいさんとの話を思い出した。

『花火こそ、われわれホシムクドリを衰退させる最高の恐怖じゃ』

ミランが勝ったから、インテルが勝ったから・・・・ワールドカップで勝ったから・・・・

歓喜のドドドーンで、心臓マヒで何万というホシムクドリが命を落すそうだ。

旦那さんはボクを抱き上げながら言った。
「マックス安心しろ!もう、大晦日パーティーは禁止だ。田舎に行って静かに年を超そうよな」
「まあ、そんなのって・・・・」不満顔の奥さん。
「可愛そうだよ。マックスが」

やさしい。
そんなこと聞くと、もっともっと長生きしたいなあって気持ちになっちゃうよね。

(K)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
作者の一言/これは5年前に書いたものです。大晦日のドンチャンさわぎは下火になってきているようです。このごろは高級レストランもメニュー均一のところが多くなっています。ロンドンに住んでる日本人の学者は宇宙放送で毎年『紅白歌合戦』を見るのがとっても楽しみと言ってました。

【続きを読む】

| 猫が語る10の物語 | 02:44 │Comments1 | Trackbacks0編集

マーポのクリスマスイヴ

「あらっ、可愛い。頭の格好がマーポみたい!」
 これが、初対面でのステッラの第一声だった。
 マーポって何か知っている?
 マはマンダリーノ(蜜柑)のマ。ポはポンペルモ(グレープフルーツ)のポ。この二つを掛け合わせて生み出された新種がマーポってわけさ。マンダリーノのように甘過ぎもせずず、ポンペルモのように酸っぱ過ぎもせず・・色は赤味の足りないちょっと栄養失調的オレンジ色、これがマーポなんだ。何とここに貰われて来る前の僕の名前はアインシュタインだったのに。
 ずばり僕の頭はマーポみたいに小さくて、色もぱっとしない。体も小さくて、それが幼いときからのコンプレックスだった。喧嘩やっても図体の大きいのに噛みつかれ、引っ掻かれ、傷跡は絶えなかった。内弁慶でさんざん悪さして、それでいくらか、不満を発散させた気分になるんだけど、やんちゃも度が過ぎると、とんでもないことになる。でもね、『悪戯』って一言で言っても、それは人間たちの勝手な判断からで、僕ら猫族の行動にはれっきとした理由があることは解ってもらいたい。猫は人間のように感情だけで行動する動物ではないってことも。

 子供は僕の最大の敵だった。子供とまともに喧嘩しても、いつも無条件に悪いのは猫のほうなんだもの。前に住んでいた屋敷の、あのちびっ子ミンモは、すごかった。勉強が嫌いで癇癪持ち。病弱なため、親は甘やかせっぱなしだったから、気に入らないことがあると、手当たり次第ものを投げつける、僕の尻尾をつかんで振り回す、ああ、猫にとって、尻尾を掴まれることが、いかに辛い事か皆さんはご存知だろうか?
 蹴っ飛ばされて、階段から転げ落ちたとき、こっちも堪忍袋の緒が切れたんだ。僕はミンモの足の親指をがぶりと噛んでやったのさ。顎の筋肉が麻痺してしまうほど思っいきりね。ちょっとやり過ぎだったかな?と思ったけど後の祭り。とにかくすっごい血が吹き出して、さあ大変、医者だ救急車だと大騒ぎになったけど、悪いのは無条件に僕のほう。あげくのはて、僕はステッラの所に追いやられるはめになったって分け・・・


 ロメオが自動車の修理工で,ステッラは家で花嫁衣装を縫ってるんだけど、彼女、結構腕が立つらしくて、旦那のよりちょっと収入が多い月があったりするので、恐妻どころか、この家はれっきとした女尊男卑なんだ。
「あんた、コーヒーが切れてるわよ!もう店が閉まるからすぐに行って来てよ、さあ,早く、早くったら!」
 なんてことは日常茶飯、かき入れ時などには、気が立つのもわかるけれどね。
「ローザ夫人に『エピファニア(一月六日の祭日、魔法使いが帚に乗って飛んで来る日なんだって。この日で長いクリスマスの休暇も終るのである)の翌日には必ず納品してよ、春の結婚の支度で、年明けからどっと客が押しよせるんだから』ってしつこく言われているの。昨日も電話でハッパかけてきたわ。でも、あたし三着も縫えるかしらん。あーあ、これじゃあクリスマスもお正月もないんだわ」

 ローザ夫人こそ、僕を下請けのステッラに押し付けた女なのだ。ミンモの足の指噛み付き事件以来、僕に対する態度はがらりと変わったのだった。
『ミンモとアインシュタインとは性が合わないのね。こんな猫、我が家に飼っておけないわ。ミンモが殺されちゃう。さて、どうしよう。捨てるなんて動物愛護教会の顧問として、やるべきことではないし・・・そうだわ、ステッラにやってしまおう、猫は好きだと言ってたし、絶対嫌とは言わせないわ。あたしは大切なお得意さんなんだから』

「とっても可愛い子猫がいるの。でも、家では飼えないの。ミンモが猫アレルギーになってしまったのよ。欲しいという人もいるんだけど、あなたのようなごく親しい人に貰ってもらいたいの。お願いよ、ステッラ、どう?」そして、即座にOKさせたのだ。
「可愛いでしょう?ああ、アインシュタインとお別れなんて、ほんとうに悲しいわ・・・今までのようにいい子ちゃんでいるのよ。わかった?」だーとさ。
『すみれコンパニー』のマネージャー、ローザ夫人は、ステッラのお得意様々だから、「お願いよ」などと言われて、彼女嬉しくなってすぐに僕を引き取る気持ちになったのだ。多分、百着のウエディング・ドレス注文の夢を見てね。


 街はずれの小さな平屋に猫の額にも等しい庭がくっついている・・・それがロメオとステッラと僕のささやかな貸家だ。
 サロンと寝室とキッチンと物置だけなのに、サロンは年から年中,ステッラの花嫁衣装製作工房になっている。何しろまっ白でふわふわした布ばっかりだから、ステッラの、その気の使いようったら凄いんだ。僕は勿論一度だって入れてもらったことはない。彼女が出入りする時に、足の隙間からちらっとたまに見たのと、隣の家のサクランボの樹に登って、遠くからかすかに覗けるくらいが精一杯だった。実は旦那のロメオだって、めったに入らせて貰えない『禁域』なのである。
「ステッラ、今夜はインテルとレアル・マドリッドがやるんだ。こればっかりは何が何でも見のがせないしな。君の『十年後の愛』は明日の午後に再放送されるんだろう?」
「アパートを買う為に、こうして夜も昼も働いているのよ。男の人ってすぐサッカーなんだから・・・仕方がないわ。入って来る前に、ガウンに猫の毛がくっ付いてないかよく調べるのよ」
 許可を得て、神妙に入って行くロメオ・・・そして癇癪玉が家中に響く。
「汚い手でふれないでよっ!」
 二言めにはこれなんだ。ロメオはタイヤの修理工でいつも爪は真黒で、指紋の溝の中まで汚れがへばりついていて、一見汚らしいとはいえ、毎日仕事から帰って来ると、ちゃんとシャワーを浴びる綺麗好きなんだから、そんなにガミガミ言うこともないと思うんだけどね。
マーポのクリスマスイヴ


 さて、クリスマスもま近かに迫った昼前・・・ステッラは忙しさにかまけて、僕のご飯のことをすっかり忘れていた。寒い外をうろついて家に戻って来たんだけど、マーポ専用の皿の中は、今だに空っぽなのである。
 台所でステッラが、テーブルに肘をついてコーヒーを飲んでいる。彼女は『ラ・トラヴィアータ』を聴きながら、さも気持ち良さそうに煙草をふかしている。ステッラはオペラが大好きなのだ。
「オペラ歌手になって、スカラ座でヴィオレッタを歌うのが、少女時代からの夢だったの」だが、ボルドー色に白い線の走ったジョギング・スーツの上下で・・・これが彼女の仕事着なんだ・・・せっせと花嫁衣装を縫って生計を立てなけでばならないのが現状。夢と現実には、引き離された二つの星のように距離がある・・・と粋なことを言ったのはロメオだ。彼だってパイロットになるのが夢だったんだもの。
 鼻歌まで口ずさんでいるのは、よっぽどのご機嫌らしい。旨くウエディングドレスが一着仕上がったのだろうね。さっそく僕は尻尾を立てて、最高に情感をこめて、奥様の足もとに体をすり寄せたのだった。
「あらまあ、ごめんね。マーポのことすっかり忘れていたのよ。もう、仕上げに夢中だったものだから」
 彼女は積んであったヴィスカスの缶を開けようとして、ふと手を止めると、歌うように言ったんだ。
「あらーッ、昨日の鶏のペット(胸のところ)残っていたのをすっかり忘れてたわ。マーポ嬉しい?」
 嬉しいともさ。やれやれ、食べ物は保証された。彼女が冷蔵庫を開けてラップサックを掛けた皿を取り出し、ごそごそ準備を始めたときである。僕は空き腹抱えて、台所の中を、せかせかあっちに行ったりこっちに行ったりしていたんだけど・・・
 一瞬、我が眼はある一点に釘付けになった。サロンのドアが見える。いつもはきっちりと閉っているのに、意外!開いているのである。たった五センチ足らずの隙間にはちがいないけど、確かに開いているのだ。ステッラはトイレに行くときだって、ガチャンと必ず閉めるとっても用心深い女なのに、これは一体・・・魔が差したとしか言いようがないではないか。

マーポ花嫁def


 ・・・小さい頭を突っ込んでドアを押し開らけ、すでに僕は中を覗き込んでいた。一度は入って見たかったサロン。それが僕の切なる願望だった。こんな小さな家なのに、マーポ禁断の部屋があるとは絶対に許せない!気になるのは当然ではないか。いや、どんなところか知る権利があるのだ。このチャンスを逃せるもんかと、僕は足音を忍ばせて中へ入って行ったのである・・・
 でも,期待は裏切られた。ただのありふれた部屋に変わりはなかった。ソファーがあり低い小テーブルがあって、糸やハサミやアイロンなど、商売道具があり、そして白い布切れが積み上げられていた。大きな丸いテーブルがあり、ここでステッラは仕事をするのだろう。そして小さな機械も。これがミシンという奴に違いない。部屋の外から僕はジクジクジーッと機械の動く音を毎日聴いていたのだ。あのかすかな音がいつも僕の鼓膜を刺激し、一層謎めいた世界を想像させていたのだった。どれどれとミシンの上に飛びのろうとしたときだ、台所のステッラの声が聞こえたのである。
「マーポ、ご飯の準備が出来たわよ。あんたの大ぁーい好きなポッロよ。いらっしゃーい」
 声につられてドアの方に振り返ったときだ。ぎょっとして体中の毛が逆立った。部屋の角に白い衣類をまとった一人の女が、直立不動の格好で立ちふさがっていたのだった。女には首がなかった。首無しの白装束の女。僕が牙を剥き出しハーッやったときだ。
「マーポッ、あっ!」
 つんざくようなステッラの声と同時に、僕は女に飛びかかっていた。不思議なことに首無し女は抵抗もせず、叫び声も上げず、ただゆらゆらと前後左右に揺れただけだった。胸の飾りのところに僕の爪が食い込んだ。女の体は堅く掴みどころがなく、そのためザンピーノ(前足)は衣装に食い込んだままで、体はずるずるっと下がっていき、同時に布がびりびりっと裂けていった。
「マーポッ!」
血相変えて飛び込んできたステッラは、僕を捕らえ、レースにひっかかった爪を外そうとしたが、死にものぐるいで身をよじっているんだから、全てが逆効果、白い布はその反動でビリビリと裂けて行くばかりなのだ。
 ステッラの奴、やっとのこと、しっかと僕を抱き込むと、腿を思い切り打ったのだ。二度、三度・・・凄いピンタで股から下がしびれそう、でも、レースに食い込んだ爪はそう簡単に外せない。彼女も僕も、もう夢中だった。ついに彼女は僕のザンピーノを力負かせに掴むと、強引にやっと引き離したのだった。瞬間、僕がくるりと向きを変えたとき、ステッラの胸を思いっきり引っ掻いてやった。悲鳴を上げて彼女がちょっと力を抜いたとき、僕はさっと身をかわして床に降りると走り出したのだった。
 何処へ逃げればいいのだろう。冬だからどの窓も閉っていて、マーポの得意なジャンプで窓から外へ飛び出すことは不可能だ。台所の隅に納屋に通じる小さな穴がある。あそこを潜りぬけてしまえば後は簡単、いや簡単な筈なのだけど・・・でも、そんな所でもぞもぞやっていたら、ステッラに尻尾を捕まえられて引き戻されて死ぬほどぶたれるだろう。ステッラはかーっとなったら、何が何だか解らなくなる超過激派なのだから・・・


「マーポの奴、随分派手なことやってくれたな」
 ごちゃごちゃした中に身を寄せて,一眠りして目が覚めたとき、ロメオの声を微かに聞いた。あの時一体何処へ逃げ込んだのだったけ。僕は気が触れたみたいに泣き叫んでいた。この真っ暗な場所はどこだろう・・・ああそうだった。物置の中に逃げ込んだのだ。ここには靴や傘や古い雑誌や僕専用の籠、そのほかなんやかやと詰まっている物置なのである。ステッラはこれ以上しっつこく僕を追っかけようとはしなかった。それどころか、ご丁寧に鍵まで掛けてしまったのだ。
「あんた、あの猫どっかに捨てて来て!殺したいくらいだわ」
仕事から戻って来た夫に、ステッラはヒステリックに叫んでいた。
「捨てて来いと簡単に言ったって。ローザに『マーポは元気?』なんて言われたらどうするんだい?」

 ・・・暫くの沈黙の後。
「いい案があるわ」と、ステッラの堅い声。
「ダヴィデにエピファニアが終るまで預かってもらうわ」
 え?そんなことしないでくれよ。ダヴィデはステッラの弟で大の猫嫌い。僕が姿を見せただけで真っ青になって、しーっ、しーっと追い払おうとする小心な奴、どんな猫だって彼を好きになる物好きはいないだろう。

「ダヴィデ?あたしよ。うちは今、仕事でてんてこ舞いなの。あんた暫くマーポを預かってくれない?そんな長い間ではないのよ。エピファニアが終るまで・・・そりゃあ、あんたがネコをあまり好きでないってことは知ってるわよ。・・・でも犬と違って朝夕散歩に連れて行ったりする面倒もないしさ、毎日一回缶詰をやってくれればいいの・・・いちいち面倒見なくっても、猫は自分で砂箱の中で始末するから大丈夫。砂と箱はちゃんとこっちで準備するからね。・・・え?ベッドにごそごそ入って来るって?そんなこと絶対ないったら!・・・どう、姉さんの頼みを聞いてくれるの?くれないの?・・・そう、嫌なのね。決定的?・・・分かったわ、あたしもこれで、あんたに来月のお小遣い上げなくてすむので助かったわ。・・・ダメ、物事はすべてDare e avere(Give and take)、姉弟だって同じことよ・・・ところで仕事はみつかったの?・・・まだ失業中?じゃあ切るわよ、良いクリスマスを迎えなさいね」
 ガチャンと受話器を置く音がした。でもすぐにベルがけたたましく鳴り響いた。
「予想通りだわ」と勝ち誇ったステッラの声。
「あんたなの?・・・あら、OKしてくれるの?ブラーヴォ。じゃあ今日中に引き取りに来てくれる?・・・え?何よそれ、我が家も大変なの知ってるでしょ。来年からまた家賃が上がるのよ。あんたのお小遣い毎月二百五十ユーロ捻出するだけでも精一杯なのに・・・しようがないわねえ、じゃあ、いくらか上乗せするわ。あまり遅くならないで来てね。今夜は夕食は期待しないで来て、悪いけど」
 受話器を切り、さっそく旦那に命令する。
「マーポを物置から出して籠に入れるのよ。気を付けて。気狂い猫なんだから!」
 僕はでっかい雨靴の横で小さくうずくまっていたけど、いきなりぱっとドアが開いて、明るい電灯を背に黒い姿を見た。
「臭え!マーポの奴,洩らしてしまったらしいな」
 そうなのだ。ここへ逃げ込んだとき、興奮のあまり引きつけを起こしたらしく洩らしちゃったのだ。お洩らしは、死期も間近い耄猫のやることだと聞いていたのに。たった三歳の若さで、もうこの始末とは!
「マーポ。いい子だから出ておいで」
 女房よりも人間的なロメオが、僕を蹴ったり殴ったりしないのは分かっている。でも、ダヴィデの家に行きたくないのは事実だ。僕は差し出したロメオの手をすり抜けると、物置を飛び出し、一目散に廊下を走り出した。だがそのとき偶然!ステッラがサロンを出て来たのである。ステッラよ、今日はオレと同じく全くついてないんだね。僕は彼女の足元をくぐるとサロンに再び突進したのだった。ソファーの上にふわりと置いてあった、あの破れたウエディングドレスの上に駆け上がり、テレビからテーブルへ、飾り棚へと・・・瀬戸物の人形と一輪ざしが床に落ちてこっぱみじん、水が飛び散る。
「ああ、終局だわ!こいつめ、殺してやる!」
 ステッラの絶望的な叫びが追ってくる・・・
ma'po


「なんだか臭えなあ、こいつ」
 日が沈ずみ始めた灰色の田舎道を、ぽんこつのフィアット・プントを運転しながら、ダヴィデは不機嫌そうに独り言を言った。サロンで、夫婦二人がかりで捕らえられた僕は籠の中に押し込められ、ダヴィデが訪れるまでの二時間を、暖房の真近くに居らされたから、毛は完璧に乾いて、黄金色にふっくらと形をなしていた。でも、臭いまでは取れなかった。
「これでよしと。水浸しでは風邪を引くからな。それに猫の濡れざまほど、さまにならないものはないのだから。あんまりおいたしないでダヴィデに可愛がられるのだぞ。そうだ、念のため、ちょいとオーデコロンをふっとこうか」

 ひと間のダヴィデのアパートは、思いのほか広いが、その混雑ぶりは凄い。掃除なんか何ヶ月もしてないみたいだ。しかもめっぽう寒い。暖房は完全に切れているのだ。僕が「ミャーン!」と泣いたので、ダヴィデは、あわてくさって「お前、ウンチがしたいのかよ」と言いながらこわごわと檻から出してくれた。籠の中でされたらたまったもんではないと思ったのだろうか、猫は犬と違ってそんなだらし無い動物ではないことを知らないようである。彼は砂箱を用意し部屋の角に置いた。
 それからダヴィデは冷蔵庫からサラミと生ハムの端切れを取り出し、堅そうなパンにはさんでがつがつと食べ、口直しにグイーッとワインをひっかけて、いかにも不味そうに顔をしかめた。それからベッドに潜り込もうとしている。僕の飯のことは綺麗に忘れているのだ。
『お腹ぺこぺこなんだよ。今日、丸一日何も食てないんだよ』
 僕が催促がましく泣き続けているので、ダヴィデはベッドに片方の膝を乗っけたまま,不思議そうに僕を見た。そしてやっと事情が納得できたらしく、袋から缶詰を取り出して蓋を開けたのだった。ムースの香りが僕の空きっ腹を刺激し、グーと胃袋が鳴る。
「こいつ、猫のくせにこんな旨そうなもの喰いやがって」
 彼は缶に鼻を近づけて猫まがいにクンクンやっていたけど、やがて意を決したように、引き出しからスプーンを取り出すと、まるでパンナコッタでも食るように、掬って口に入れたのだった。
「ゲーェ!」
彼はトイレに飛び込み派手にゲーゲーやりだした。想像はしていたけど、やっぱり猫と人間の食べる物は完全に違うらしいのだ。やがてデヴィッドはまたワインを一気に飲みくだした。電灯を消し、ベッドに潜ってテレビを見ていたけど、五分も経たない間に軽い鼾をかきはじめた。
 満腹してやっと落ち着きを取り戻した僕は、部屋の隅っこにうずくまっていた。冷たいタイルが居心地悪い。部屋の何処に行っても寒そうだ。ステッラの家でこんな寒い思いをしたことはなかった。僕はいつも夫婦のベッドの掛け布団の上で寝ていたけど、二人の体温がほんわかこっちに伝わって来て朝まで気持ちよく熟睡出来たのだ。
 こんな所でエピファニアまで過ごしたら、きっと肺炎になって死んでしまうだろう。ダヴィデだっていっぱい着込んでベッドに入っているのだ。すり切れた皮ジャンを脱いで,その上にタオル地のガウンを着込んでベッド入りなのである。

 僕はむっくりと起き上がると、そっとベッドに這い上がり、ダヴィデの顔に鼻を近づけた。つけっぱなしのテレビと微かに射し込む蒼い光で見るダヴィデの顔は疲れ切っている。まばらな無精髭の痩せた顔は蒼白で、反り返ったまつげで閉ざされた寝顔は幼く、悪党の兆しなどまるでない。だのに、人間って起きているときは、どうしてみんな悪人になるんだろう。哀れなダヴィデも猫と同じように、寝ているときが一番幸せでいい子になるんだろう、きっと。
 僕は恐る恐る奴の足許に丸くなった。そしていつの間にか布団の中に紛れ込んでしまったようだ。とっても寒かったからだ。

 電話が鳴っている。瞬間僕は床の上に叩き付けられた。鋭い悲鳴を上げたが悲鳴をあげたのは僕だけではなかったのだ。
「この野郎!ベッドに潜り込んで来やがって!」ダビデは凶暴に、だが怖じ気づいたように叫んでいた。
「枕だと思って抱いてたら!気持ィわるい。しっ、しっ、オレの眼の届かない所にとっとと消え失せろ!」
 ・・・そうなのだ。布団の中で僕は無意識に少しずつ上へ上へと登って行ったらしいのだ。暖かい手が僕の体に触れて・・・やがてその手は僕を持ち上げ優しく抱いてくれた。小さいときにかあさんの懐に入っていたときのように・・・
小僧

 ダヴィデは悪魔と化し、箒を振り回してわめいていた。開け放されていたトイレに逃げ込んだのが、最大の失敗だった。
「朝までトイレの中でゆっくりしな。ここがてめえの寝室だ!」
 再び電話が鳴るのが聞こえて、ごそごそ話していたが、やがて僕をトイレに押し込めたまま、ダヴィデはそそくさと出かけてしまったのだった。
 僕はミャーミャー泣き叫んでいたけど、そんなこと無駄なことだとは解っていた。トイレの中を走ったり飛び上がったり、コップや瓶をひっくり返したり大げさにやっていたけどそれも無駄なことだってことも。いきなり下の方から、トントンと乱暴に突っつく気配がして太い男の声が怒鳴った。
「今何時だと思ってんだよ!」
 バスタブの中に、歯磨きチューブの蓋らしいのが転がっていたので、僕は気分転換にそれを転がして遊んでいた。そしてそれにも飽きてしまってバスタブから出て来て、汚れた敷き布の上に丸くなって夜を明かしだのだった。


 明け方、すっかりいい気分で戻ってきたダヴィデは、地震の後のようなトイレを見て呆然とした。一生懸命いきさつを理解しようとしていたようだったが、うずくまっている僕を見つけるや、その顔は残酷極まりない表情に変わった。
「この野郎ッ!」
 僕を蹴飛ばそうとしたが、こっちが得意のジャンプで奴に飛びかかってやったのだ。敏しょうに先に出るが勝ちというのは猫の世界の鉄則なんだ。思いっきり手を引っ掻いたが、手応えはたしかにあった。吹き出した血と同時に叫びを上げたダヴィデは、部屋のなかに駆け込んだ僕を、昨夜のステッラのように追い回した。僕がハーッと牙をむき出すごとに、彼は恐ろしさのために色を失い、ますます凶暴になった。
「出て行けッ!」と叫ぶや、奴はいきなりアパートのドアを開けたのである。冷たい空気が下から吹き込んできた。僕はドアを走り出ると、猛烈な勢いで階段を駆け下りて行った。果てしなく続く階段がやっと終って庭に出るガラスドアを見たとき・・・幸いにして若い男女がドアを開け、中へ入ろうとしていたので、難なく外へ飛び出すことが出来たのだった。
                        
                 *



 凍り付くような田舎道を僕はとぼとぼと歩いていた。掘り返されて裸の土がむき出しになった畑の中を一本の道が続く。果てしない不毛の地。僕は知ってるんだ。春になったらお百姓はトウモロコシの種をまき、やがてそれは信じられないほどの早さで伸びていき、猫達のかくれんぼうの絶好の場所となるということを・・・懐かしいなあ、あの季節が。
 小さな石の橋の向こうに古びた家が並んでいる。橋のしたから出て来た灰色の猫と眼と眼があったとき、そいつはじろりと僕を見た。その威圧におののいた僕が、気が付かぬふうを装って橋を渡ろうとしたら、別のキジ猫が姿を現した。そして何処からとも無く又一匹・・・

マーポのクリスマスイヴ

 遠くで自転車のチリリンという音がして、振り返ってみて驚いた。五、六匹の猫がうろついていたのである。自転車に乗った,着膨れしてまるまるした女がこっちに向かってやって来るのが見えた。やがて橋の所まで来て自転車を降りたので、猫たちは女のまわりを取り巻いた。猫たちが我慢出来ないというふうに「ミャーン」と泣いたので。僕も同じように「ミャーン」と泣いてみせた。
「お前、新顔だな。誰の許可を得てここにいるんだよ」
 あのでっかい灰色の猫が僕にドスのある声で言うのだ。
 女は袋から大きなポリステロールの箱を出し、蓋を開けた。一斉に近づく猫達を追い払うように、女は怒った声で、
「そんなにせかすんじゃアないよ。何時もこうなんだからねえ。」
 どんどん猫たちがやって来て、もうゆうに十五匹くらいになっていた。彼らは争って、ガツガツと食べはじめた。
「あら、コリンったら、お腹空かないの?今朝、もうネズミ捕って食べたのかい?ブラーヴォ」とか「ミリーはどうしていないの?風邪でも引いたのかしらん」などと、小母さんは猫達に話しかけるのである。
 僕がやっっとこさポリ箱に近づいて顔を突っ込もうとしたときだ。あのでっかい灰色の猫が、前足で乱暴にオレを押しのけ、ハーッとやった。
「チッチョ!お前はどうしていつもこう意地が悪いんだい?さっさと消えてしまいな!」拳を上げて怒鳴る小母さんにチーチョはすごすごと後ずさりした。彼女は僕を見て言いった。
「あら、初めて見る顔ね。さあ、お食べ」
 僕はパスタをいきなりほうばった。不味かった。こんな不味いものは生まれて初めて口にした。再び口をつけようとしない僕を女は抱き上げて、まじまじと顔をのぞいていたが、ほっぺたの真っ赤な顔がおやっという表情をした。
「飼い猫なんだね。可愛そうに寒さと飢えで震えているよ。こんなに可愛い猫を真冬に放り出すなんてねえ 。飼い猫がこんな物食べられないのはわかっているよ。これは,パスタとトマトソースだけの物なんだもの。でもお前も見放されてしまったのだから、これからは鼠を捕る練習をしなきゃあね」
 彼女は地面に下ろすと、もう僕の事なんか忘れてしまったように、空になった箱を片付けはじめた。あれほど沢山いた野良猫達は一匹残らず姿を消していた。


 ダヴィデの家を飛び出して多分三日はたっている。随分歩いたと思う。その間、エンジンの切れたばかりの車の下や、町工場のボイラーの近くの壁に身を寄せて寒い夜を過ごした。小さな鼠も二匹捕って食べた。
 小さな広場にたどり着いたとき、教会の十字架がちいさなランプに縁取られて輝いているのを見た。
 ああ、何て綺麗なんだ。向かい側の赤煉瓦の二階家の窓はこんもりと電灯が灯っていて、とっても暖かそうだ。クリスマスツリーの赤や黄色や青い豆ランプが点滅するのが微かに見える。もう、クリスマスもすぐそこらしい。いや、僕の記憶からいくと、明日はクリスマスイヴなのかも知れない。でも、はっきりしたことは分からない。何しろ飢えと寒さで神経がぼけっとして、脳みそがうまく回転しないのだもの。

マーポのクリスマスイヴ

 僕がぼんやりと二階家の明かりを見上げていたときだ。窓辺に一匹の三毛がひょっこり現れた。赤い首輪をした小柄な猫は、お行儀良く座って窓の外を眺めていたが、やがて僕に気が付いたようだった。大きく見開かれたあどけない瞳は不思議そうにじっとこっちを見つめていた。
「君は幸せだな。まるで女王様みたいだよ。君のご主人はきっとやさしい人だろうし、君はボクのようにひねくれ者ではなく、お気に入りのネコちゃんなんだろうね。クリスマスには何を食べるんだい?鶏のペットをこんがり焼いたもの?それとも赤肉の切り身に胡桃の粉をかけたもの?」
 

 昨日の夜から雪が降り出した。昨日は何処で寝たんだったっけ。そうだ、民家の裏庭の兎小屋の板に体をくっつけて寝たんだ。その近くに干し草が山盛りになっていたから、その中に潜ってしまうと、いくらか寒さしのぎにはなった。金網の向こうで大きな兎が一匹、黒い影のようにうずくまっていたが、僕の気配を感じてか、むっくりと起き上がった。僕の三倍くらいも有りそうな図体の奴は僕を見るとそんな危険な大敵ではないと思ったのだろうか、またうずくまって寝てしまった。


 今日も随分歩いた。街に近づいて来た気配だ。もうとっぷり日が暮れて一面銀世界である。何時の間にか雪はやんで、空には無数の星が輝いていた。
 小さな民家が建ち並ぶ一帯に入ってきて、一本の樹を見つけたとき、おや、と思った。紛れもなく、あの見慣れたサクランボの樹に違いなかった。確かにそうなのだ・・・ということは、僕はいつの間にか家に戻って来たのに違いない。雪の上の転々とした自分の足跡を振り返って思った。四日もかかって僕は帰って来たのだと。

 隙間から納屋に忍び込んだ。そして小さな穴をくぐって、こっそりと台所へ・・・あれほど窮屈な狭い穴だったのに、何てことだ、やせ細った僕の体はやすやすと通過することが出来るなんて。きっとこの四日間で一キロは痩せてしまったに違いない。

 微かに聞こえて来るあのジクザクジーという音は・・・あれは紛れも無くミシンの音だ。サロンのドアはきっちりと閉まっているが、ステッラが仕事をしているのは間違いない。クリスマス・イヴだというのにご苦労なことだけど、これも、もとはと言えば、僕の責任なのだ。
 旦那のロメオは何処だろう。寝室のドアは少しばかり開け放しになっている。微かな寝息がもれてきた。僕は忍び込むと、ロメオの寝顔に鼻を近づけた。ロメオを眺めていると、彼だけが僕の味方のような気がする。でも、分からないさ、人間は気紛れな動物なんだから。それに尻に敷かれた男は、どうも芯がなさそうで当てにならないもの。
 ベッドの端っこのところに丸くなって横たわった。『今夜一晩だけここに寝かせてくれよね』たった一週間前まで毎夜そうしていたのに、まるでそれが一年前のことのようだ。ステッラが僕を見つけたらどうするだろうか。息の根が止まるまでぶつかもしれない。それとも雪の中に放り出すかもしれない。もうどっちだって構わない。このまま死んでしまえば本望というところさ。とにかく眠い。叩き起こすなら、最後のお願いだ、八時間後にしてくれよね・・・
マーポのクリスマスイヴのクリスマスイヴ


 あれ?オレ、叉またウエディングドレスの前にいるんだ。ハーッと牙をむき出して、オレの一ばん得意のおっかない顔をしてみせる。だのに白いドレスの女はにっこり笑っているのだ。以外!顔がまともにくっついているんだ。きゃーっ、お化け!オレが逃げ出す前に女はさっと掬うようにオレを抱き上げる。
『まあ、マーポったら、どうしたのよ?あたしよ』
 ステッラなのだ、助けてェ・・・ボクは彼女の腕の中から飛び出すと、どんどん走り出した。明るい緑の野原を。ステッラは白いドレスを蝶のようになびかせながら、追っかけて来る。もう走れないよ。ボクが雑草の中にひっくり返ったとき、ふわふわした白いものが体を覆った・・・

マーポのゆめ

・・・窓から冬の太陽がいっぱいに射し込んでいた。
「あ、眼をさましたみたいだ」
「あら、本当だわ。ときどき、変な声出してたけど、夢を見てたのかもね」
「よっぽど疲れていたんだね。もう昼近くだよ。」
 男と女の顔が心配そうに僕を覗き込んでいた。
「マーポ。良く帰ってきたわねェ。とっても心配してたのよ」
 二人の顔が真近かにあり、笑っているのだ。ステッラの眼に涙が光っている。夢を見てるのだろうか。それとも天国にいるのかも知れない。
 ステッラは僕を抱き上げた。
「マーポったら、こんなに痩せてしまって・・・食うや食わずだったのね。ダヴィデから電話があって、マーポが出て行ってしまったなんて言うんだもの。あたし心配で心配でご飯も喉に通らなかったのよ。でも、マーポはきっと帰って来るって思ってた。とっても頭がいいから三十五キロの道だって絶対大丈夫だって。あたし、毎日教会に行ってお祈りしてきたけど、神様が聞いてくださったのね。あらまあ、耳のところが血が出てるけど、また喧嘩したの?」
「やっぱりマーポにはこの家が一番いいんだよな、そうだろう?これで楽しいクリスマスが迎えられるね。マーポももう子供じゃあないんだから、あんまりお悪戯をするんじゃないぞ」


            * 
 
 僕も少しは悪戯が減って、ひがみ根性も影を潜めてきたみたいだし、ステッラもあまりヒステリーではなくなった。つまり,お互いに年と共にいくらか成長したって分け。
「こいつ、またサロンに入り込んでいるぞ」
「かまわないわよ,布の肌触りがとっても好きみたい。あんなに気持ちよさそうに眠ってるわ」
 山と積まれた布の頂上に身を埋めてうたた寝するって、とっても気持ちがいいんだ。ざらざらした触感が最高だ。ジーンズって、夏は涼しく冬は暖かいって聞いてたけど、本当だと思うよ。
 ステッラは『ラ・トラヴィアータ』を聴きながら、たまには一緒に歌ったりしながら、ミシンでズボンにファスナーを縫い付けることに余念がない。

 さらば過ぎし日よ・・・
 悲しい歌なのに、ちっとも悲しげでなく口ずさんでいる。
「おい、『ブルースカイ・ジーンズ』のロッシから電話だ。どうする?」
「またア?留守だと言って。あの男,なまじっか電話に出ると、一時間もまくしたてるんだから。あの口にファスナーを縫い付けて、しゅーっとしめてやりたいくらいよ」

 これでお分かりだと思う。ステッラは神経をすり減らされるウエディング・ドレスの内職を放棄して、ジーンズにファスナーをつけるという新内職に転向したのだ。こんな事になったのも、ちょっぴり僕の責任でもあるんだけれど。儲けはどうだって?さあ,アパートを買うまでにはまだまだ時間がかかりそうだけどね。
                                 (完)               










| 猫が語る10の物語 | 03:38 │Comments0 | Trackbacks0編集

| Top |

すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

すむらけんじへメールする

名前:
メール:
件名:
本文:

イラスト、写真、文の無断使用を禁止

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。