上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- │Comment- | Trackback-│編集

sumurakenji(36)

sumurakenji

ピエモンテの田舎で見つけた野良猫たち。
この頃は野良もメッタに少なくなった。見つけ次第保護されたり去勢されたりするからだ。これは人のため市や村のためにもなるからである。写真の子猫達は計6匹の兄弟で、古い自動車修理工場の周りに住んでいる。日曜だったから工員もおらず、静まり返っていた。餌は充分に与えられているみたいだ。近所の情の厚い人が缶詰を持って来るとか。
秋は深く、あっという間に冬はやってくる。
彼らに取って冬はきびしい。
ホフィよ、おまえは幸せだよ。

sumurakenji



眠り続けた左耳・・・
71年目に『人工内耳』に挑戦する!(13°Story)


ドクター・ダルフィの指示に従って、またボクは補聴器を新調することにした。
いわゆる耳掛けタイプというヤツだ。
耳の後ろにだらんと下がった感じだが、耳の中に耳栓(イヤモールド)を詰め込む仕掛け。

今までの補聴器店から別の店に変える。
某広告代理店の知り合いの従兄弟がやっているところだそうで、安くしてもらえるよう頼んであげようと言ってくれた。

経営者は若い男性2人。健康保険があるなら、70パーセントは州が払ってくれる、などと嬉しい情報をくれた。それまでのF店はそんな事は言わなかった。
ただし、買い替えるたびに州が払ってくれるわけではない。5年に一度だけだそうな。

2週間のテスト期間を終えて、その補聴器を買うことに決める。
音質が良くなったとは思えない。
でもドクターが言ったように、馬力はあるのかもしれない。
何となくそんな感じ・・・と言う程度だ。
乾電池もぐっと大きくなり、やっぱり馬力はありそうな気もする。

州が70パーセント払ってくれるので、店の人に聞きながら手続の用紙に書き込んで州に送った。
幸いにも、前払いではなく自分が払うのは30パーセントだけ。70パーセントは州から補聴器店に直接支払われるのだそう。

                      ”””””””

耳が悪くなって、退化して行くばかり・・・少しばかり徐々に退化して行くのではなく、階段式にガタンガタンと悪くなって行く。勿論、人それぞれらしいけど。

音楽に変わる物を何かしなければならない・・・それが生活のテーマになった。

不愉快な、いや不安な生活を忘れる事の出来る何かを見つけ出さなければならない。

その頃からボクはものを書くようになった。
2年くらい書いてみたが、何とかいけそうなので、ちょっと長い物を書いてみようと思い、さて何を・・・と迷ったあげく、金を貸しても返してくれない友達の事を書いてみた。

タイトルは『金と友情』
結局は金のために友情を断ち切ってしまうというストーリーである。
勿論、実話である。

イタリアに来たときからの親友だったから、決意する(手を切る)のは簡単ではなかった。

さんざん世話にもなったのだから、貸したのではなくプレゼントしたのだ、と割り切ろうというところで、終わりだ。
でも書く習慣が身に付いたのは、難聴と引き換えに与えられた神様からのプレゼントであろう。
その他いっぱい書いた。
本を出すつもりで頑張ったけど、今のところ見込み無し。

今でも、書き集めた物を読み返してみて、
『悪くないのになあ。どうして拾い手(出版社のこと)がみつからないんだよ?』
などとため息をつくことがある。
なんで、あんなひっどいのが本になってるんだよとか、恨みつらみも少々。
でも、先の事はわからないよね。ある日ぱっと!
sumurakenji

若い人と違って、年取った者には未来は希薄だ。
「その日その日が勝負なのよね。だから無駄にしないで」
そう書いてくれたたひとがいた。

そうそう、猫がいたんだったっけ。
イタリアに来て4匹目の猫、名前はカロータ。
それまでの猫は逃げられたり、旅行のために預かってもらってたら、そっちになついてしまった猫とか。

でもカロータは違う。手術を施したために17年も生きた。
可愛かった。虎の子のように大きかったが、足としっぽが長く、正座すると古代エジプトの猫のように天下一品だった。内気で大人しかったが、しつけ方が良かったのか、誰にでもなついた。

カロータのことも結構書いた。
カロータは1992年うまれ。その頃ボクの右耳も健在だったので、カロータの可愛い声をきくことができたのだった。
1998年、耳が悪くなり出した頃、カロータの声がざらざらして来たのを、早く気がつくべきだった。どうしてあのとき、すぐに医者に行かなかったのだろうか。
テレビの女の声が汚く聞こえるようになったのは、その後だったと思う。
カロータが、まずボクの耳の変化をおしえてくれたはずなのだ。

              ’’’’’’’’’’’

イタリアに来て暇にあかしてよく旅行をした。
ヨーロッパは小さい。車があれば何処にでも行ける。ユーロになる前でさえそう思えたのだから、現在のこの変わりようト便利さはすごい。運賃も安いからその気になりさえすれば・・・

親友のマルコと以前からたびたび旅行をしていたが、耳が悪くなって、この友人は前以上にボクにとって必要な存在となった。
マルコはミラノ銀行に努めていた。(もう定年退職している)

こんなに旅行をする人間もボクの周りでは珍しい。
彼がサラリーマンでありながら、有給休暇を超フルに使えたのは、出世コースとか同僚の白い目などを一切無視することに徹したからだろう。
良き時代に入社した高級サラリーマンの典型と言える。

だが時代が変わった。
銀行は若い大卒を安く入れたいから、マルコのように適当に?やっている古狸は目障りになる。
上役(と言っても、2歳マルコよりも年下だそうな)はある日打診した。

「マルコ、まだ定年まで2年あるけど、辞める気はないかね?」

マルコは不機嫌に答えたのだった。
「人のことを言う前に、まず自分が辞めたらどうなんだい?」(つづく)
えと文・すむらけんじ

''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''

訪問者の方のコメントと拍手お願いしますね。よろしくK
スポンサーサイト

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 06:40 │Comments2 | Trackbacks0編集

sumurakenji (34)
sumurakenji

ホフィが我が家にきて4ヶ月足らずになります。ホフィは水が大好きです。洗面台の中で前足をほとんど見ずに入って遊んでいます。バスルームのドアは日頃は閉めてあるので,ボクが入るときは必ずさっと入り込み蛇口の所で水をまっていると言う具合。
一度,ボクが風呂に入っていると,滑って落っこちてしまい下半身びっしゃり。それにも懲りず湯船のふちで遊んでいます。

sumurakenji
ホフィはボクがコンピュータの前に座ると必ずその後ろに行ってごそごそやり出す。コンピュータの後ろは暖かいからだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ー眠り続けた左耳・・・
71年目に『人工内耳』に挑戦する!(12°Story)


そして、2001年の年も明けて。

「これからは、少しづつ君の耳は低下して行くと思う。そのためにも、信用ある専門医とコネをつけとくのも一つの手だよ」
そうアドヴァイスをしてくれたのは、夫妻でアンティックの店を営んでいるクラウディオという男だった。
夫妻ともパヴィア大学の医学部を3年前出たばかりだったが、意気投合して薬剤師の道を断絶し、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会と道を一つ隔てた超高級地に骨董店を開いていた。
お金持ちのお坊ちゃんなのである。

この夫妻とは、開店したばかりのときから、親しくなったのだった。
「2年間だけは、ただ同様の特売価格。買うなら今のうちだよ」

ウインドウにうたい文句こそ出さなかったが、とにかく安くしてくれたので、小銭があると、たびたび通ってこまこましたものを買っていた。一体に、若い骨董屋は気まぐれで時間や約束を守らないのが多くて、信頼できる付き合いはほとんどなかったが、彼らは育ちの良さと博識さで好感が持てた。

「「ミラノの家」という有名なクリニカがあるんだ。そこのアマデオ・アマンディというドクターが優秀といわれているよ」そして、
「あのクリニカはちょっと高いけどな」と笑いながら付け足した。


予約して一週間後にドクター・アマンディとのアポイントメントが取れた。
国立病院の近くの高級地の、アールデコー風の建物の中にあった。
そこは総合クリニックで、耳鼻科専門のアマンディ氏は火曜日だけくることになっているとのことだった。

面会はたったの15分たらず。
それまで聞かれた事もない質問もたくさん受けた。だから、やっぱりこの先生は偉い先生なのかも知れないなどと、単純に考えた。今までの他の医者よりも2倍以上取られたが、訪れた効果はあったようだ。

「君は国民保険をもっているかね?」
ハイ、先生。持ってます。(まじめに税金を払ってますので)

何と5日後に、僕は彼が主治医をしているH市の国立病院に一日入院出来たのだ。
やっぱ、違うんだよね。コネがあるってことは。普通は何ヶ月も待たされるのが、常識なんだけど。
しかも入院のカテゴリーのために、全額タダだそうな。
(イタリアでは入院費は一切ただということになっている)

朝6時前にミラノの我が家を出て、車で1時間ちょっと。7時半の出頭にかつがつ間に合う。
イタリアの病院の朝は早い。 そこで色んなテストを受けた。
基本的な血液の検査から始まって、聴力検査はは勿論、歩かせられたり、耳の中に水をぶっ掛けられたり、いろんなテスト。設備はよく整っていて、初めて見る検索器などたくさんあった。
看護婦さんも奇麗で、みんな親切。ミラノとは違う。

かと言って、何か良い結果が出てくることは、まず期待してなかった。

丸一日もかけた検索の結果は、予想していた通りのものだった。
sumurakenji



また補聴器を買い替える。
一週間テストをしてみたが、補聴器屋が言うほど進歩しているとは思えない。
もう、大好きなオペラともコンチエルトとも、全て手を切っていた。
必死で集めた名盤のレコードともCDともおさらばか・・・という悲壮感。

レシーバーを付けて聴きなさいと言われて試みて見たが、とてもじゃないがって感じ。

結論として出たものは・・・
難聴のための治療の世界はまだまだ遅れている。
補聴器がいい例である。
高額払って買い換えても、音楽だって聴けないのだ。音階は狂う。
耳がまともなとき、あれ程聞き返していた「Yesterday」だって、聴き終わって、今のは何の曲だい?って調子なのだ。

ある日、テレビのダイヤルを回していたら、公開放送で、結構名前のあるソプラノ歌手が唄っていた。
聴いたような曲だが、何の曲だかわからない。辛抱強く聴き続けて、最後の一章節で、それが ナポリ民謡の「コーレングラード(カタリ)」であることが分かったのだった。

これを分析してみると、こうだ。
ナポリ民謡は、絶対に男(テノール)が歌うものだと僕の記憶が確かなために、女が歌い出したので、驚いてしまった。さあ、これから(女性が)カタリを歌うよという指令を脳に伝えることが出来なかったことが、こういう結果になったのだと。
Yesterday だって、聴く前にその曲名を知っていたら、いくらかはましだったはずだ。

「耳が聞こえなくなって、余は自分自身を取り戻したのじゃ。沈黙の世界は素晴らしい。人間どもの愚かしい煩わしさがが耳に入ってこないからじゃ」

ある老建築家は、そこまで到達したそうな。
仙人だよね、この建築家は。
いくら理屈で分かっても、余(ボク)はそこまでたどり着けないのです。俗物の悲しさよ。

俗物でもいい、やはり頑張りたい。じゃあ何を?



2003年の春だったと思う。
ある朝、目が覚めると、何も聞こえない。補聴器はちゃんと耳についているのにである。

何も聞こえないのだから、電話もできない。

すぐに決心する。
一人でブレシャの耳鼻科、救急病院に行こうと。
紙に言いたい事を全部書いて、必要なところはイラストまで入れて、ぱっと見せてぱっと分かってもらうようにする。我ながら良いアイデアと感心する。人間、どんな苦境にあっても、それなり知恵は働くってこと。

何も聞こえないで,家を出るのは初めてではなかろうか。ちょっと怖い。
補聴器屋で調整してもらおうかと思ったが、まず、医者だ、ときめる。


汽車で1時間。江戸川乱歩を読んでいたら気分が落ち着いて来た。
ブレシャ駅に着く。ぱっと勢い良すぎたのがわるかった。立ち上がったら強烈な目眩がしてうずくまってしまった。この病には、目眩は付き物なのだ。
充分承知してるんだから気をつけるべきだった。

起き上がろうとしたら、まだ目がグルグル回っている。
絶対に乗り越しは出来ない。早く病院に着きたい。

向かい側に座っていた中年のカップルが、手をかしてくれたので、無事に下車する事が出来た。
それでもまだ、クルクルって感じは止まらない。灰色の自分の面(つら)を思い浮かべる。

やれやれ、この厄介な病いも本格化して来たぞ、と思うと実に不安というか不快な気分になる。
いくら難聴がひどくなっても、目眩は困る。これからタクシー拾って行き先も言わなければならないんだ。


病院に着いたときはすっかり元気を取り戻していた。

この病院のプロント・ソッコルソ(救急部)が、実に充実しているのに驚く。
一般に救急部と言ったら、まるで、戦後の引揚者の溜まり場みたいな混雑と不快感が伴うもの(ミラノの救急部はそうなんだ)であるが、ここは違う。訪れる患者を次々と専門の科に送り込むので、血だらけになってフーフー唸って人間など一人もいないのがいい。

書いて用意してきた物を見せると、受付の女性は微笑んでうなずき、すぐ耳鼻科に連絡をしてくれた。



「君が望むなら、手術をしてもいい。どうする?」
3年前にこの病院で検査をしたカルテを眺めながら主任の医者は言った。まだ40半ばくらいの若さだ。
後で分かったことだが、彼は、アマンディ主治医のもとで働く精鋭なのであった。

ボクは首を横に振った。
補聴器がまだ役に立つのなら、手術は先に延ばしたい、とはっきり言う。

理由は・・・難聴学はまだ遅れているから。
補聴器が良い例ではないか。
これまで、ひっきりなしに変えた補聴器でボクが満足した物はなかった。どうしてもっとマシな補聴器が発明されないのだろうと。そんな不満な気持ちで手術を受ける気にはなれない。

医者はうなずいてから言う。
「君の補聴器、こんなお上品な物を付けてたってダメだよ。ここまで悪化しているんだから、もっと馬力のあるヤツを付けなきゃあ」

ボクがそれまで付けていたものは、耳の中に押し込む型の高級品で外からは見えない代物。外にニョキっと出ているのはみっともなくてとてもする気になれなかったからである。

そのニョキっと丸見えの物を使用するようにと先生はおっしゃるのだ。
「音質のデリケートさにはいくらか遜色があるが、こっちの方が馬力があるんだ。しかも安い!」

先生の名前はジョルジョ・ダルフィ。

そして7年後・・・ボクはドクター・ダルフィから手術を受けることになる。(つづく)
''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''''
訪問者の方のコメントと拍手お願いしますね。よろしくK

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 05:10 │Comments5 | Trackbacks0編集

sumurakenji(33)

sumurakenji
すむらけんじ
情愛の表現が暴力的になってきたこのごろ。,起こしに来てしばらくは枕元で辛抱強く待っているようですが,そのうち我慢出来なくなるのか、『起きれッ!”とばかり腕やお尻やふくらはぎに軽く爪を立てます。そのいたいこと!僕は飛び上がって台所に駆け込みます。餌を点検し,その後,コーヒーを湧かし、そのうまいこと!
こうして、ホフィと僕の一日が始まります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


眠り続けた左耳・・・
71年目に『人工内耳』に挑戦する!(11°Story•––––)




降り注ぐ太陽。
ガラス窓の出窓から、部屋いっぱいに満たされる、明るく幸せなひととき。

ぼくがまだ幼い頃に、大連に住んでいたときの家には出窓があった。
その、ほぼおなじ出窓に今の自分が足を投げ出し、本を読んでいる。

・・・音楽が聴こえてくる。
その響きは部屋の中をはみ出さんばかりにいっぱいになる。。

高らかに響き渡るトランペットは、パリ音楽院のオーケストラなのだろうか。
ジョルジョ・プレートルの指揮を思い起こさせる。

それとも、ずっと高いところから響いて来るのは、天上からなのだろうか?
ぼくはすかり酔いしれてしまっている。

そして、ふと思う。耳の病いは治ったのだと。
そして、幸福感でいっぱいになる。

輝かしいメロディの中で、遠くからソプラノの声が。

その声はどんどん近づいてくる。
透明だが硬い声だ。イタリアのソプラノではない。
ドイツ系のワグネリアンのような。
硬い声だし快いものではない。好きになれない。
不快感さえ感じる。やがてその声はぼくの耳元で、粗悪な不快極まりない声になり、憎悪感さえ感じるほどなのだ。
そのとき、ぼくは何か叫んだような気もする・・・・

そして、眼が覚める。


耳が悪くなって1年以上もたって、初めて見た夢だった。

やはり耳は回復していなかった。絶望と現実。
のろのろと起き上がって、台所でコーヒーを沸かす。

そんな夢をたびたび見るようになった。

納得しなければならない・・・と自分に言い聞かせる。
お前は今まで素晴らしい演奏を湾さ聴いてきたではないか。
スカラ座、メトロポリタン、ウイーン、パリ、ミュンヘン、そしてバイロイト、その他数えきれない劇場で、世界的な演奏をたくさん聴いた。
70年から90年にいたるまで、名演奏家は溢れんばかりに存在した。オペラばかりではない。あらゆるクラシックの。sumurakenji

カール・リヒターのバッハのオラトリオを聴くために、僅かな金を叩いて何度ミュンヘンへ通ったことか。
あれは無駄だったのか?お前にそのときの刹那的快感を与えてくれただけなのか?
そうではないだろう?アートの金字塔として、今だって輝かしくお前の魂の中に生きているのではないか?

リヒターの突然の死にはショックだった。
その前年、ミラノでのオルガン演奏会があり5メートル真近かで演奏にふれた。
そのときにはサインを直々にもらえ、我が家の家宝とし、今でも大切に飾ってある。

リヒターが始めて日本に訪れたのは、60年代の後半で、ボクがイタリアへ経つ数年前だった。
バッハの「マタイ受難曲」、「ロ短調ミサ」、オルガン演奏会などを堪能し、今までオペラに夢中だった自分を、バロック音楽の世界まで広げてくれた、記念すべき出会いだった。
厳しい追求を超えてにじみ出るカール・リヒターの音楽とは何か?それは南国的とも言いたい魂の喜びではなかろうか。リヒターがイタリアを愛していたのは確かだ。スイスやドイツなどでの演奏の後は、逃げるように姿をくらませていたリヒターだったが、ミラノでは一人一人のファンにサインをしてくれた。

リヒターが毎年5月にミュンヘン・バッハフェスティバルを開催していたので、ミラノに住むようになってからは毎年必ず聴きに行ったし、復活祭前夜の、ドイツ・ミュージアム・大ホールでの「マタイ受難局」は、ぼくの一年間での最も重要なプログラムでもあった。だが・・・彼は数年後、呆気なく他界した。

一晩寝られないくらいのショックをうけたが、今、考えんるにつけ、彼の最盛期を惜しみなく聴けたその頃は、ボク自身にとっても、成長期の最も恵まれた時代だったのだと思う。だから、今聴こえなくなったからと言って、泣き言は言うまい。運命がそうなっていたのだと、言い聞かせよう。
耳が聴こえなくなっても、記憶はしっかりと残る。
それは、親しい掛け替えのない人を失っても、魂の中に生き続けることと同じことなのかも知れない。


耳鳴りがひどくなってくる。最初のセミの大合唱から、7つも8つも、いろいろな耳鳴りが、我が世の春と言わんばかりに歌い続ける。
「先生、耳鳴りのために気が狂うってことはないのでしょうか?」

医者はすかさずは答えた。
「ありますよ。たとえばヴァン・ゴッホ」
そして、現代医学では、これを取り除く治療は見つかっていないというのだ。

耳学は遅れているのだ。補聴器をみればわかることではないか。

「耳鳴りに慣れるようにするのです。ある程度までは可能です」
日本人の知人で、子供のときに耳を殴られて依頼、耐えず耳の中でピーンとなっているという人にであったことがあった。ぼくが難聴になるずっとずっと前に話しである。

耳の中で、たえずピーンと聞こえる?自分だったら気が狂ってしまうだろう、そのときはそう思ったものだ。
そして、今自分が耳鳴りに閉口して、将来気が狂ってしまうのではないかと考えたりしているのだ。

「他に気を紛らせるのです。友達と話したり街を歩い足り、動物を飼ったり、気を紛らせる事はたくさんあるはずです。そのうちに気にならなくなります。その度合いは人によって差があるでしょうが。」

そしてその医者はこうもいうのだ。
「目を開けていると、視界にいつも蚊のような黒い斑点が飛び回っているという人がいましたが、その人はそのうち蚊と友達になったと言うのです。思い詰めると逆効果になります」

本当だろうか?

死ぬまで、蝉とおつきあいができるのだろうか?(つづく)
えと文・すむらけんじ

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 19:20 │Comments2 | Trackbacks0編集

sumurakenji(32)
sumurakenji

バルコニーのオリーブの木で爪研ぎをするホフィ。家具が傷まなくて大助かりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


眠り続けた左耳・・・
71年目に『人工内耳』に挑戦する!(10°story)


だが、悲しいかな、その頃はまだ、突発性難聴の初期だったのだ。
ミラノに戻って数ヶ月したときにはっきりした異変を感じた。

半年後に、エッセン歌劇場で聴いた時は、万事休すってな感じだった。
R・シュトラウスの「エレットラ 」は、めちゃくちゃに音が外れ、ときどき口ぱくぱくで声さえ届かなかった。
翌日、気を取り直して別のオペラを観たが、途中で劇場を出てしまった。


補聴器を付けていてさえも、レコードやCDもレシーバーをつけなければ聞けなくなり、それさえも満足させてはくれない状態になっていた。

映画館に行く事も止めた。それまではよく友人たちと行ったし、終わった後食事に行くのも楽しかった。
音響のいい映画館で、スピーカーに近いところに席を取ってみたが、スピーカーから耳までの空間で音が分解し、しゃべっていることも理解出来るのは、せいぜい20パーセント、そのうち全く理解出来ないようになる。

音楽への未練を断ち切ろうと真剣に考えたざる自分。


そして、2000年の夏。

ヘルシンキ在住ののクラスメートが幹事になってのクラス会に出席。
(1996年にはボクが幹事で北イタリアでクラス会があった。その頃は耳もまともだったし、ボクの人生での一番いい思い出の一つかも知れない)

ボクは気の進まぬ想いで、ヘルシンキに向かった。
こんな醜態をクラスの連中に見せるのが、耐えられなかった。
でも、ヨーロッパ狭しといえども、フィンランドには一度も行ったことはないので、もしかしたら最初で、最後のチャンスかもしれないのだ。
自分の弱気にも勝ちたいと思った。難聴よりもっと辛い病気だっていっぱいあるではないかと。

思いの他、クラスメートは皆親切だった。みなさんはボクの不幸!を知っているらしかった。
だから、どこへ行くにもボクが迷子になったり車にひかれないよう、気を使ってくれるのがわかった。
SUMURAKENJI

ヘルシンキ市郊外の湖畔に近く、3人の建築家が建てた 3つの家は、博物館になっていて、今回の見学の白眉になっていた。
だが、説明は一切聞き取れない自分を再認識し、聞くのをやめて自分勝手に見学していた。
その湖畔にサウナがあって、それに入るのも、プログラムになっていたので楽しみにしていた。
見学が終わって、幹事はサウナの事を説明している。


「・・・さあ、行動開始!サウナに行ってください」
彼らの後からボクもいそいそと歩き出した。
ばらくして、後ろから幹事の息をきらした声を聞いた。

「違う違う、最初は女性だけ!男はまず食事だよ!」

自分のの失態にボクは笑い出した。
後へ戻ると、男どもは皆笑っている。
「気がつくまでほっとこうかって話してたんだけどね」
B君がちゃめっけたっぷりに言った。(つづく)
すむらけんじ

sumurakenji
この頃、巷のカップチーノの質が落ちたような感じで不満だったけど、昨日、僕のコンピュータのマエストロ、H君と、ミラノのど真ん中、レストランSavini の前でばったり。
彼とそこのカップッチーノを飲んだら,おいしかった。器も大きくこぼれるくらいたっぷりで、見栄えも抜群。
生クリームも入っているらしく味も良かった。ちなみにスタンドで2ユーロ。
(普通の店では1.2から1.3ユーロが相場だけど・・・)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
訪問者の方のコメントと拍手お願いしますね。よろしくK

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 03:56 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(31)
sumurakenji

ホフィをこっそり観察しているビンバちゃんの真剣な顔。
こんなに愛らしいのにねえ。嫉妬深いのがタマに傷。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦!(9° story)


2週間もたってスイスから何やら書類が届いたが、もちろんボクにはちんぷんかんぷんである。
とにかく、ミラノの医者のところに持って行って、説明してもらったが、見込みなしとの回答と又又血液循環のための処方箋。

その後、どうなったか、どんなクスリを飲んだか、全く記憶にない。覚えていることといえば、スイスからべらぼうな請求所が届いたことだ。
気が遠くなるほどの・・・ますます耳が遠くなるほどの。

とにかくクスリは飲みつづけた。
血液の循環をよくする薬である。何も効果が現れない気がする。
でも、ちゃんと飲み続けた。
理由は・・・顔のひどいシミが、少しづつ消えていく気がしたからだ。simi

全く顔のシミには閉口していた。
目の下にピエロの涙のようなシミには参った。

ところが平成天皇がミラノに来られたときのニュースで、天皇のこめかみのところにはっきりとシミがあるのを見て、びっくり。
天皇だったら、世界中の最高の染み抜きの薬を駆使しているに違いないのに、このご様子では、我々下々(しもじも)がフツウの薬でシミがとれないのはごく正常な事と諦めていたのだ。

ところがある日、鏡に向かってシミジミと顔を眺めていたときだ。
シミが取れている。側面のシミも薄くなっている気がする。
これはどうしたとだろう。
ずっと血液の循環を良くする薬を飲み続けていたからに違いないという結論に達したのだがどうだろう。

                      ^^^^                  
補聴器をつけることにする。
ある医者が紹介してくれた補聴器屋さん。
補聴器のことだって、随分考えていたのだが、躊躇していた。
つけたはいいが、実際に本人が調節するのが、大変などとあちこちで聴いていた。

爪の先でダイヤル?を調節したりしなければならず、何しろ老人にはもう大変な仕事らしく、彼らは途中で放棄して、使っていないと聞く。つまり、タカラの持ち腐れってヤツ。
それに、想像していた以上の値段だ。

「この数年間に、すごい進歩をしています。それにあなたのような若い方には、すぐ慣れてしまいますよ」
ボクよりもず~~と若い補聴器屋は、ニコニコ顔でいう。
2週間くらいのテスト期間の後、購入した。

調子は悪くない。その頃、陶芸の学校に行ってたが、隣の部屋のおばあちゃんたちの雑談まで明瞭、きめこまかく聴こえて来てくるのだ。
久しぶりに生き返った気分になった。
生活が蘇ったような・・・・

SUMURAKENJI

そして、ニューヨークへ。
友人が誘ってくれたので、仕事もキャンセルして行くことにする。

耳のことで疲れる果てていた生活から、気分転換に。

人様にあうと、耳のことばかり、ヒステリックに喋りまくる自分。
そんなことを、誰もまともに聞いていないということもそろそろ分かって来た。
孤独感と苛立ちにさいなませる。

同情してくれるのも最初だけである。何事もそうだけど。
愚かしい、みっともない自分に嫌気がさしていた。

オペラはしばらく聴いていなかったし、もうまともには聴けない耳になってしまったと思い込んでいた。
でも、補聴器を付けたんだから、いくらか聴けるかもしれない、という期待もあった。

スカラ座はシーズンオフだったし、だいたい以前のようにスカラの切符をたやすく手に入れることも不可能になっていた。
親切にゲネプロなどの券を回してくれていたスカラ座博物館の親友が、癌のため他界していたこともある。
辛抱強く並んで、券を買う余裕ももうなかった。



メトロオリタンはスカラより安かったし、簡単に当日券だって買えたのだ、その頃は。

さて、補聴器をつけてのメトでのオペラは、ダークスーツにピアネス・タイで。

プログラムはヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」だった。

すっごい!
よーく聴こえる。やや金属的ではあるが、とにかくはっきりと。
声量があまりなさそうな歌手の声だって、ビンビン響くのだからすごい!
信じられなかった。僕はすっかり気を良くして、翌日のオペラも観に行った。
そこまでは良かったのだが・・・(つづく)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
訪問者の方のコメントと拍手お願いしますね。よろしくK

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 06:38 │Comments0 | Trackbacks0編集

ho
(30)
sumurakenji
一週間ぶりに我が家に戻って来たホフィ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今日は何も書くものを準備していないので,先週行ったスペインのアリカンテという街の写真を数枚。
アリカンテはもうすでに夏のヴァカンスのシーズンは終わったと言うべきか。どこかのんびりとした空気。


sumurakenji
『聖バルバラ城』街中の切り立った山の上にある。約300メートルのモダンなトンネルを歩き、
そこからエレベータで150メートル上へ。城に突き抜ける。


sumurakenji

城の中で唯一見た老猫。びっくりするほど人懐っこい。



sumurakenji

観光客の少ないアリカンテの夕食時間は遅い。8時半頃から。
11時過ぎになっても若い女の子達の客がが訪れるのはめずらしくない。


ali


sumurakenji

印象に残ったデザート。卵、砂糖、ミルク、バ二リアの素材でオーブンで焼いた物。つまりカラメッロ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
訪問者の方のコメントと拍手お願いしますね。よろしくK

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 10:03 │Comments0 | Trackbacks0編集

ho
(29)

昨日スペインから戻って来て、そのまま車を飛ばしてホフィを引き取りに行った。
ミラノから120キロのピエモンテの田舎だ。

ホフィを一週間見なかったけど,その成長に驚いてしまった。顔立ちだってもう子猫の愛らさも薄らいできているって感じ。

スペインから2度電話を入れたとき、「ホフィが、何やら丸っこい物を転がして遊んでいるので何かと思ったら、それは自分のウンチだったのよ」
奥さんに聞かされたときは,唖然としてしまったものだ。

奥さんは笑って「かちかちになって石ころみたいになっているの」

閉じ込められたサロンの中でのウンチ転がしに夢中になっていたということ。

sumurakenji
僕の留守中、奥さんは朝夕、ホフィを散歩に連れ出してくれた。



ウンチはを砂の中に埋める習性が猫にはある。
もともとは敵に存在を見破られないための,匂い消しのための習性だそうだが、砂に埋まっている間に水分は吸い取られてウンチはカチカチになる。
現在市販されている砂は数年前の物よりずっと改良されていて、その吸水力はすごい。

こいつ、汚物愛好ネコだったらどうしよう、将来思いやられると深刻な気分になった。

「何でも構わないから、ころがる物を与えてください。ホフィはミラノの我が家では、1日中手当たり次第に転がして遊んでますので」
それにしても、おもちゃを沢山与えておくべきだった,と後悔した。スペイン出発で大切なことを忘れていたってことだ。

sumurakenji


翌日ミラノに戻る高速で,免許書を持っていないことを思い出した。
スペインに出発する前に、自宅に置いて行ったそのままだったのだ。

しかもこの2週間は目眩がひどい。
もう収まったようだったが,運転中に起こったらどうしようかと心配だったので,注意深くハンドルをにぎった。

猫は籠のなかで泣き続けるし、万がいちポリスに止められたらどうしようという不安、目眩が起こったら困るなあという不安での1時間半の超ストレス・ドライブだった。

でも何事も起こらずに我が家に帰れた。ヤレヤレって感じ。

目眩は収まったようだが,ちょっと辛い思いだ。
目眩は聴力(右耳)が退化するときに起こることを経験から知っている。これで又いくらか退化したのである。自分でそれがよくわかる。

人の声が鼻にかかったような高い声になり、聞きづらくなる。今日、親友に電話したら,いつもの声とはいくらか変わっていた。

ついでの話だけど,免許書を持参してないのが発覚した場合・・・
罰金は40ユーロ弱とか。24時間以内に警察に届ければそれでおしまいだそうだ。
だから、あまり神経質にならないでいいってこと…と教えられた。
『眠り続けた左耳・・・71年目に人工内耳に挑戦する』は今日はお休みです。

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 08:35 │Comments0 | Trackbacks0編集

| Top |

すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

09 | 2011/10 | 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

すむらけんじへメールする

名前:
メール:
件名:
本文:

イラスト、写真、文の無断使用を禁止

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。