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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦!(23° Story)


五月に入って,早くも初夏の兆しもあふれる朝。

9時頃、眼が覚めたら何となく胸が重苦しい。
ベッドでぼんやりしていたら、吐き気はどんどん酷くなって来る感じだ。
だが,吐き出す物は何もない。昨夕食べた物はきれいに消化してしまっている。
トイレでゲーゲー試みても吐き出す物が外全くないのだ。

昼過ぎ,掃除婦のリーザがやって来た。
彼女は,これは今大流行りの流感によるものである。水を少しでも飲めばいくらか吐けるので,水を飲みなさい、そして徹底的に吐き出しなさいという。彼女の幼い一人娘も同じ病にかかったとき,水を飲ませて無理矢理吐かせ、ケロリと回復したとのことだ。

それで、僕も水を飲んだ。その後とろりとした膵液を数回吐いた。

便器にしがみついて,思いっきりげーっとやったが、気分はすっきりしないどころか、もっと重病人になって行く気分だ。
たまたま訪れた5階のアンナ夫人が,食欲が全くないのなら、あたしが美味しいおかゆを作って上げようと言ってくれた。
彼女とそのご主人には,日常非常に世話になっている。何でもしてくれる世話好きの人たちだ。たまには,頼まないことでも親身にやってくれるご夫婦。
sumura
床の中で苦しくて唸っていたら、おかゆが届いた。
アンナ夫人がスープ皿を僕の枕元に近づけたとき,妙な匂いがした。

『とっても美味しいわよ。ほんの少々ニンニクとオリーブ油を加えたの』

ニンニクとオリーブ油だって?

ゲーッと胃袋が叫びを上げたような気がした。
『ありがとう。すこしづついただきます』
僕は最大の努力をして力なくお礼をのべた。

アンナ夫人がすぐに帰ってくれたので僕はほっとした。
体が熱っぽく、胸は苦しく,このまま死ぬのではないかとさえ思った。
死ぬ前に,遺言書を書き直さなければ…などと瞬間思った。

日本人のK嬢が夜遅く飛んで来てくれて、僕のかかりつけの医者に連絡を撮ってくれたけど,今夜は詰まっていて,無理だとのこと。電話で処方箋を伝えてくれたという。
血圧を計ってもらったら、249。K嬢はさっそく救急車を申し込んだ。

幸いにして、我が家の同じ建物の中庭の奥に救急車の詰め所がある。今まで世話になったことはない。
詰め所の名前は『MARIA BAMBINA(幼きマリア)』。
たくさんの若い男女がボランティアで働いている。
彼ら、路上に駐車の仕方が時たま雑で抗議しようかと何度も思ったことがあるが、『明日は我が身か』ということもあるので、黙認していたけど、つくづく抗議なんかしなくて良かったと思った。

若い男女が3人くらい消防士のような出で立ちでやって来て、僕を運び出し担架に乗せてくれ,車の中へ。
黙々と、細かく気を使って。
本当に頼もしいと思ったし感謝した。

クリニカに着いて、血圧を測ってもらったら250以上。
点滴をしてもらい、うとうとっとしていたら、『どう,気分は?』と、看護婦の元気な声で目が覚めて、『いくらかいいですよ』とつい言ってしまったのが大失敗、クリニカを追い出されてしまった。
『あんたってバカねえ。ちっとも良くないって言えば,今晩ここで寝られたのに』
とは、K嬢の言葉だ。
後が控えているので,彼らは追い出すことばかり考えているんだそうな。


翌日、友人の両親が車で迎えに来てくれて、
『心配だから、我が家で面倒見るわ』と、奥さんが言う。
血圧は230もあるのだ。
様子を見に来てくれた5階のアンナ夫人は、例のおかゆを一口しか食べていないのを見て、ちょっと不機嫌な顔。
『こんなに美味しいのに、どうして食べないの』とつぶやいている。


一週間後にミラノの我が家に戻った。血圧が190を下がらない。
かかりつけの先生が、
『薬で提げることが出来るから心配しないで』

そして薬のおかげで、150、140、一週間後には130まで下った。

僕には心配ごとがあった。
こうして次々と起こる障害は、耳の手術から来ているのではないかと。
そんな不安が僕を悩ませた。

又又,血液の総合検査などやったが、異常は全くなかった。(つづく)
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 00:55 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(46)
sumura

そのうち人形の髪の毛も喰いちぎってしまうかもしれない恐怖のホフィ。
上段の額は,先代のカロータ氏。ホフィと違って穏やかな方だった。ニャオ!

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sumura

プラハ散策より N°2
冷たいプラハの夜明け。ホテルの窓から。

sumura

夜明けのモルダル川。白い息を吐き、カメラを覗きながらスメタナのモルダル(我が祖国より)を口ずさむ。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦!(22° Story)


3月11日の東日本大震災の直後だったと思う。その頃は早朝から真夜中までテレビにかじりついていたが、ある朝コンピュータでYou tube でニュースを見ていたら、ものすごい目眩が起こった。机が45度くらいゆっくりと傾く感じで,瞬間、震災がミラノに起こっているのだろうかと思ったほどだ、冗談ではなく。

その後2時間してまた、You tubeで震災の動画を見ていたら、再びさっきよりも大きな目眩が。
画像の中に後ろ向きの男性の上半身があり,その人物がカメラの方にゆっくりと振り返ったときに、目眩が起こったのである。
人間の顔を見て驚いて目眩が起こったのではなく,ゆっくりと体をねじるその動きに眼がまわったのである。

やれやれ、一体これはどうしたことか?

メールでさっそく手術医の事情を説明する。すぐに返事が来て、これは手術した耳とは関係がなかろうが,しばらく様子を見るようにとのことだった。
すむら

その頃、東京のK出版社の本のイラストの仕事をしていたが、ちょうど催促のメールをもらったのは、大震災の翌日だったと思う。

日本中、いや世界中がこの事件に恐怖と驚きでごった返しているときにである。

東京の人たちはいつものように出勤し、自分の仕事の責任を全うするために働いている。
恐れ多いというか言葉もない。地下鉄や電車が遅れても、それで、欠勤しようなどとは考えないのだ。
凄い、さすが、やっぱり日本なんだよね。

お見舞い状を出したら,皆さん全員ご返事をくださった。
ある出版社の女性は、当日、新宿から荻窪まで歩いて帰ったそうだ。
「フラメンコで足は鍛えているから平気だったわ」と。


やっと仕事を納めてほっとした時だったと思う。
仕事場のごちゃごちゃした所を体をねじるように横断!?していたときだ。体のバランスをくずして、派手にひっくり返ってしまった。

又,目眩い?

ひっくり返っただけではない。
尾てい骨あたりをクリスタルの小テーブルの角で思い切り打ってしまったのだ。
それだけではない。瞬間ソファーの上に横たえようと思い切り体をよじったための激痛などで一瞬気を失ったみたいだ。

30分ほどそのままの状態で転がっていたが,ベッドに戻って暫くしたら、背中の鈍痛がややマシになったようでほっとした。



「ウーン,こりゃあまた、随分派手にやったねえ」
片方のお尻がサッカーボールのように膨れ上がり、痛い痛いを我慢して,翌日かかりつけの医者を訪ねたら医者はいつもの元気な声でいった。

「先生、尾てい骨のレントゲンをかけてもらいましょうか」
「いや、その必要はないよ。ぎりぎりのところでそれているんだ。薬を飲めば自然になおる。尾てい骨が変形しても、だんだん元にもどるんだから安心したまえ」
医者の確信ある活発な声はいくらかとも患者に元気を与えるものだ。

ま、そんなわけで、完璧に痛みと腫れが引くまで2ヶ月半もかかった。
その間、車の運転は無理だった。定位置に座っていることが無理だったからだ。

サッカーボルのようにはれたお尻は日ごとに小さくなり,やがて野球ボールくらいになり、ピンポン球からさくらんぼうのようになってやがてスベスベになった。

災難はこれで終わったわけではない。
それは2ヶ月後におこった。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 07:31 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji

kenji
おともだち

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SUMURA

プラハ散策』より N°1
地下鉄で見つけたプラハ国立歌劇場の11月のプログラムのポスター。
その出し物の豊富なのに驚いてしまう。
12、3のポピュラーなオペラやバレエがほとんど毎夜の公演だ。
スカラなどとは比べ物にならないほどエネルギッシュだ。
プラハ国立歌劇場オーケストラの質の高さは知られている。
70年代、ここでカール・ベームやB.ニルソンなどで録音された『ドン・ジョヴァンニ』は数多くある中で。僕の最も好きなドン・ジョヴァンニだ。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦!(21° Story)

2011年の年も明けて・・・

アメリアという女医さんのところに,ほぼ一回、毎週通うことになる。

彼女はLOGOPEDIA(ロゴペディーア)専門の先生である。
人工内耳後は人間の耳を通してでなく、機械によって外部の音が脳に伝わるので、脳は驚いてしまうというか反応を示さない。だから脳が、正しい言葉として聞き取ることが出来るようにを学習させなければならない、その訓練をしてくれる専門家である。

A,E、I、O、U・・・彼女は口元を隠して発音するわけだが、ボクにはそれさえ困難なことなのだ。
ましてや、赤い、青い,すみれ色、きいろ、黒い・・・などと込み入って来ると,なおさら難しい。
音はまだ聴こえないから、振動で判断しなければならない。
こんな苦労、何時まで続くのだろうか。

アメリアさんは、ロシア人を思わせるショートカットの灰色の髪と目、色白で、丸いふっくらした丸顔とやはりふっくらした大柄の人、でも100パーセントイタリア人なんだそうな。
彼女の発音の美しさには驚く。RとLは同じくエッレと発音する。Rの場合は巻き舌になるが彼女はきれいに明確に発音するので,じきに区別出来るようになる。

ボクにとっては難しいレッスンだが、でも、3回目のとき、いくらかの進歩は見えると激励してくれる。

本当かな?

「勘とファンタジーで答えることがたびたび」と言うと,彼女はそれが大切なのよ、と言ってくれる。

理想的には毎日欠かさず,20分でもいいから続けること、とアメリアさんは言う。

親友達にその苦労をお願いする。
だだの言葉の反復のようだが、かなりのエネルギーを必要とする仕事なのだ。
どうかして分からせようと、しっかり発音することにエネルギーがいるのだと思う。

友人のマルコは辛抱強く,長時間やってくれる。
だが,彼自身としてはとても否定的なのである。

71年も眠っていた神経が目を覚ますなんて,笑いごとだと言い切る。激しい苦論になったので、もう頼むのをよそうかと思案していたら,2日後に電話がかかってきた。
「今日、午後から,オレ,空いてるよ」
そして,ボクが気が済むまで、辛抱強くつき合ってくれる。

マルコは母国語の日本語もやるように進めてくれる。
意外と適当な日本人の友達が少ないのに我ながら驚いた。


病院のマッピングにも1ヶ月に1回くらいの割で行く。2月のマッピングのときは、1時間以上もかかった。そのときは、ドクター・デルフィもびっちりのフル立ち会いだったので、メーカーからの派遣指導員のも一生懸命だった。

ドクターの言うこと、テクニコの言うこと,アメリアさんの言うことにも、少しずつ違っている場合もある。そのときは自分で判断するしかない。


ともかくまだ,効果は表れていないのが現実だ。
無理もない。最初のマッピングから2ヶ月経ったばかりなのだから。
4ヶ月で、効果が少しづつ現れ、1年後にはかなりの進歩・・・というのが、一般的らしいのだが、ボクの場合,それは無理なのである。71年後に目覚めた神経は,そう簡単に起きてはくれないのだ。

インターネットでよく勉強している外科医看護士のロっコが言った。
「6ヶ月なんてとても無理、最低1年くらいはかかるよ」

「先生、6ヶ月で、効果を見るのは無理と、友人に言われましたが」
「そうかもしれない。1年半、いやもっと。2年かな?」

失望は隠せない。長い、なんぼなんでも・・・

「でもね。絶対聴こえるようになるんだから,頑張らなくちゃあア」
ドクターの快活な声で我に返る自分。

本当にそうだと思う。
もし結果が期待したように出なくても,この手術をしたことに後悔はしないだろうと自分は確認できたから、前へ進んだのだった。
希望に向けて気を取られるってことは素晴らしいことだし、必要なことなのだ。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 06:25 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(44)

kenji


1週間のプラハ旅行から戻って来てホフィを引き取りに行ったら200グラム増えていて(4800グラム)、見た感じもぐっと成長した感じだ。

預かってくれた家族はホフィの性格をほめてくれる。誰か新しい人がやってきても、警戒は数秒だけ。その後は好奇心丸出しで、そろりそろり近づいて行くそうな。

どちらかと言えば犬派のご主人にも,少しづつ距離を狭めて行く(写真)

ミラノに戻る車の中では泣きっぱなしだった。
籠も小さくなったから我慢しづらいのかもしれない。

カロータをはじめ、籠の中で辛い思いをしたら、2度と入らないことが多いし、籠にも近づかない傾向があったが、ホフィは別だ。
家にもどっとてけろっとしているし、又籠の中に入って遊んだりしている。さっきの泣き声は一体何だったのだろうかね。

kenji
今日は電気屋の若い衆が来たけれど,働いている若い衆のジーンズにしがみついて、それからガリガリ。

僕は怒って止めさせたが,お兄さんは笑っていた。

僕が朝起きてジーンズをはき始めると、ホフィは必ず飛んで来て爪研ぎガリガリやるのだ。

アルマーニのジーンズではないので構わないけどさ。

でも人様のジーンズガリガリは良くないと思うよ。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(20°Story)


退院した日は、久しぶりの快晴。

窓から入る朝の光がまぶしい。
昨日ボクが手術を終えて病室に帰って来たとき,向かい側のベッドの高校生が、入れ替わりに手術室へと向かうところだった。息子の姿が消えると、若い母親は嗚咽のため涙を拭っていた。小さな手術でも可愛い一人息子のためには不安な大出来事なのだ。夫は彼女の肩をやさしくをささえていた。

その息子も無事に今日退院である。ホッとした表情の両親、彼らの声は明るい。

病院で大きなお土産?をもらう。段ボール製だがスーツケースのような、取手も着いているかっこいい箱で,結構重い。大きく印刷されている文字は製品の名と,メーカーらしい名前だ。アメリカ製か、オーストラリア製か?

「何が入ってんだよ」
「この中には、今後の聴力復活のための必要部品,マニュアル一切がいっさい入ってるんだ」

今回の手術とこれらの器具で、経費は40,000ユーロ(約400万円)懸かることは聞いていた。
手術に200万円、この箱に200万ってところらしい。昨日頭に埋込んだ器具もこの中に入っていたという。
手術が終わったとき、ロッコは手術担当の女性から受け取ったのだそうだ。

「受け取ったときサインでもしたのかい?」
「いいや、ハイ、これ,なくさないで、とポンと渡してくれただけだよ」
サインもさせないでポン!なんて、やっぱりイタリアだ。

「忘れるなよ,その箱、200万なんだからな」
病室を引き払うときロッコが念を押すように言った。
「100万だろう?」
「違うよ。200万なんだよ」
「だって,100万はもう頭蓋骨の中に埋込んでしまったんだろ?」
「あそうか・・・細かいな」
sumura


その日からしばらくロッコの両親の家に泊めてもらうことになる。
5日間ほど、抗生物質を飲まされる。痛みや化膿止めのためだ。

1日2回の抗生物質で、何となく体力が・・・気のせいだろうか。夜はロッコが傷口のガーゼを取り替えてくれる。さすが本職だけあって細かく手際いい。起きていると何ともないが、床に着くと,傷口が枕に触ってその痛いこと。
2時間ごとに目が覚める。時計を見るとまだ2時、夜は続いている。

5日間の抗生物質がおわって、ミラノの我が家に戻って来てほっとした。

腫れはなくても後部の半分がしびれたような感じだ。起きていると何ともないが寝ると痛い。
退院して一週間後に、糸を抜くために病院を訪れる。
ぱちぱちっと糸を抜いて、消毒液で奇麗にしてもらう。小さなガーゼをつけてくれた。

手術から2週間経っても一向に痛みは退かないので、ドクター・デルフィにメールを送ったら,「これは当然のことです。もし心配なら,明日の朝見てあげよう」との返事がすぐ届く。



ドクター曰く、手術後はすべて順調にいっているとのことだ。
ガーゼを取り,消毒液でごしごし擦るので、びっくりする。傷はしっかりと定着しているそうだ。

その日,手術後初めて風呂に入った。2週間後の風呂。手術後5日で入っても良いことなど知らなかった。

手術の後の痛みは年を取った人間ほど長引くことが、インターネットでわかった。痛みで2ヶ月も膨れ上がったりする患者もいるそうだが皆中年以上なのだそうな。顔面神経と聴覚神経との距離は1ミリくらいだそうだから、何となく顔の動きが不自然になったらする人もあるそうだが,一時的なことらしい。
赤ん坊や未成年は、頭蓋骨ゴリゴリでも数日後にはいたみがなくなるそう。なら、この年では仕方ないよね。


手術からちょうど一ヶ月後、最初のmapping(マッピング)があった。
頭蓋骨の中に埋込んだ機械と、これから付ける外部の機械を磁力で接触させて音を内部に送り込むわけだが、その活動に先だって,コンピュータでのセッティングがある。

メーカーから出張して来た子供のような若い(今流行のヘヤーをジェルでピンピンとさか毛にした)専門技師が、東芝のコンピュータを拡げて座っている。小部屋だが,合計8人くらいが先生の講義を聴くような感じで座って,待機していた。例の贈り物のケースから外装部の部品を取り出して,耳の装着してくれる。

やがて、キーン!という鋭い音が飛び込んで来て飛び上がってしまう。その後、フォアーン!という大小の響き。
音ではなく響き。つまりコクレアから脳に至る聴神経は生きていることは、証明されたことになる。それだけだって凄い喜びだ。
今後の問題は脳を目覚ませることである。71年も眠り続けた脳がそう簡単に目を覚ましてくれるとは思えない。

いろんなテストがあり,エンリーコというこの若造さんから、いろんな注意事項を聞かされる。脳が目覚めてなにがしの音が聞こえるまでは、最低6ヶ月は懸かるというのだ。

その後、ドクター・デルフィに挨拶をし、クリスマスを3日後に控えてお礼をかねたプレゼントも渡したいと思っても、先生は現れない。手術が長引いているとのことだ。これから長いおつき合いになると思うので,年末の挨拶はして帰りたいものだが。


一緒に来てくれたロッコが体の調子が悪いと言い出した。
彼はヘルニアの持病があり既に3回手術しているが、回復にはいたらず、4回目の手術をすることになっており,今は長期休暇をとっているのだ。

だからプレゼントは看護婦に預けて帰ろうと思った。
ところが、ロッコはそれはやめろという。星の数ほど前を行き来する看護婦の一人に預けるなんて、とんでもないこと。ドクターの手に渡るまでに行方不明になったらどうする?と言うのだ。長いこと看護士として勤務するロッコがそう言うのだ。
実際、入院中のときの看護婦達のズサンさ二は眼に余るものがあった。
女医さん、アシスタントの女性は親切で,姿もきれい。カテゴリーは数段上だろうし品がある。

やっとのことで,ドクターのアシスタントが見つかったので,彼女にことづける。マッピングのときに確かいた彼女。スラリとして、はっとするような美人、女優さんのようだ。これがドクターのアスタントねえ。医者は色好みとかよく聞くが、なるほどなるほど。
ロッコは彼女だったら間違いないと言う。彼女がドクターの部屋に持って行くのを見届けて一応安心する。



帰りの車の中で、ほんの微々たるものだが,カーステレオのドラムやコントラバスの響きが聴こえて来て狂気する。もう効果が表れたのだ!

だが残念、それは左耳からではなかったのだ。補聴器を取り除いた右から聴こえていたのが後で分かる。補聴器を取り除いたら100パーセント聴こえないものと思い込んでいたがそうではなかった。ほんの少々、聞こえていたのだ。だからこそ補聴器が役に立つのだというわけ。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 00:10 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(43)
sumura

ひとりぼっち。
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眠り続けた左耳・・・・
71年後に『人工内耳」に挑戦する!(19°Story)


意識がはっきりしてくるに従って,手術したあたりがずきんずきんと痛みを感じる。

手術は2時間半。ドクター・デルフィーの他に若い医師が2人と5人の看護士が参加していたという。

まず、頭蓋骨をガリガリ削って、機械を埋込む。機械の端っこから出ている紐の先を蝸牛につなげ、まだ生きている脳神経にうまく接続されたかをコンピュータで調べる。植え込まれた機械の中には12ポイントの反応ポイントがあって、9ポイントは反応したそうだから、まあまあと思わなければ。

再び病室に運ばれてやれやれ、やっと済んだわいって気持ち。
看護婦が僕の頭を持ち上げて、枕を2つ差し入れようとするので拒否する。枕なしで寝たいと言うと、だめ!1個は必ず付けとかなきゃと注意される。面接のときも、聞かれたものだ。あなたは普段寝るときは,枕を1つ,それとも2つ?枕の1つか2つかは大切なことらしいのだ。
sumura

そして絶対に体を起こしてはいけないと注意される。寝相の良くないボクに取っては,大変なことなのだ。

ロッコは又明日来るからと言い残して5時頃帰ってしまった。
痛みはいくらか退いていた。

パンカレーと紅茶と桃のシロップのまずい夕食が終わって,長い長い夜が始まった。
ほとんど寝られなかった。本当に長い夜だった。
『消えた女』を読みたいと思うが,体を動かすのが怖くそれも出来ない。数時間経ったと思うが、夜勤の看護婦さんが入って来て何か囁いた。

全く聞こえない。それもそのはず、右側の補聴器の電池が切れているのだ。瞬間、上半身をパッと起こしてベッドの隣のロッカーを開けようとしたら、真っ黒などろりとした血が一滴、そしてまた一滴、白いパジャマの上に落ちた。
「血だ」と、小さく叫ぶボクに看護婦はびっくりして急ぎ足で出て行ったが、すぐに別の貫禄のありそうな女性を連れて戻ってきた。
「血は鼻から出たの?それとも耳から?」
鼻からだと云うと、安心したようだったが、とにかく体を起こさないでねと言って出ていった。
そして又、長い夜。
手術前をしたあたりが枕にあたると痛い。だから少し位置をずらす。そんなことを繰り返しても、時間は経ってくれない。

うとうととして目が冷めたときは、もう朝食の時間で、給食の女が乱暴に盆を置いて行ったときだ。挨拶もなく微笑みもなく荒んだ扱いである。

小便がしたい。
真夜中にやってしまったのはすでに引き下げられていたので、変わりの空のパッパが置かれているべきではなかろうか。フレボーのチェックに来た看護婦にパッパガッロを持って来てと頼むと,頷いて出て行ったが、すぐに監督役らしい別の女が入ってきて言った。

「あなた、一人でトイレまで行けないの?」
これが女の開口一番。

「いけますよ。だけど、起き上がったら絶対にダメって言われてるんだ。ああっ、漏れそう!」
と、おおげさに答える。
「聞いてみるわ」そして、女は出ていったが、しばらくして、パッパガッロさげて戻ってきた。
「もう,自分でトイレに行っても構わないそうよ。今回はこれ持って来たけど,次のときはトイレに行って頂戴」
どうも、彼女達は粗暴だ。刺々しいって訳ではないんだけれど。

僕はイタリアに来てそれまでに2回入院した経験がある。車で大事故を起こしたときと盲腸をとったとき。そのときは私立の入院保険を持っていたので,勿論、スイーッ。高級ホテル並みの扱いだった。大体看護婦達の教育が点と地の差だ。

『ミャけんさん。お早うございます。今日のメニューを持って参りましたの」

愚痴を言っても仕方がない、事情が違うんだ。今回はフル国民保険なんだから。

しばらくして,2人の30代の看護婦が入って来る。にこにこして挨拶してくれるので気が和らぐ。
体をふいてくれて、何と『マエ』まで拭いてくれる感じで、シーツをはごうとするので、手で押さえて恥ずかしいという動作をする。薄暗がりならともかく?、太陽が部屋いっぱいに降り注ぐ窓の下ではちょっとねえ。
くすくす笑う彼女ら。
「自分でするの、ね?」「そう」
子供扱いなのである。

するとベッドの両脇の2人はシーツを4方に持ち上げて空間を作ってくれる。その中でごそごそ。
それが終わると「自分のパジャマは持って来たの?どこ,ロッカーの中?」そして慣れた手つきで着せてくれる。
北京で買った絹100セントのピジャマなんだ、これ。
その後、彼らは他愛無く僕に質問したり、冗談を飛ばしながらシーツを変えてくれる。
こんな看護婦さんばかりだったら,楽しいんだけどね。

しばらくしてドクター・デルフィの朝の検診。
この先生が僕の手術をしてくれたんだと思うと感謝の気持ちがわく。昨夜,鼻血が出たことなどを告げると,うなずいただけ。そして,彼の部屋に案内されて,お椀型の包帯をとってくれる。

「これでよしと。すっきりしたでしょう」そして、
「12ポイントのうちほとんどが反応を示したので、私は満足している」
「ありがとうございます」(つづく)
文とえ・すむらけんじ
明日から旅行をいたしますので、1週間お休みいたします。
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 21:39 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(42)
sumura
夜中の2時。ホフィも寝ないでつき合ってくれてますが、この下で仕事しているので、置物が蹴られて落っこちてくるのではないかと。ヒヤヒヤの毎日。
sumuraFacebook の金澤さんの誕生日祝いのメッセージ。

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眠り続けた左耳・・・
71年後に『人工内耳』に挑戦する!(18°Story)


2010年11月22日

昨日と同じく猛烈な寒さ,本格的な真冬の厳しさが身にしみる。朝6時過ぎに家を出た。
厚い雲がはり,夜中じゅう小雨が降ったためか道は悪い。あの脅威の猛暑がどうしても信じられないほど。
ともかく予定よりずっと早く、7時前にはサン・ジェラルド病院の正面玄関に着いた。

一階の入院手続きをする事務所の中は既にあふれんばかりの人。眠そうな顔、不安げな顔,不機嫌な顔ばかりで,笑顔の人など全く見かけない。隣にある血液検査の採決手続きの部屋は,これまたすっごい人で,ドアから人が溢れ出ている。
イタリアの病院は朝が早いのは知っている。日本はどうなんだろうか。

入院手続きを済ませ,言われたように9階の耳鼻咽喉科に出頭する。

イタリア語では耳鼻咽喉科のことをREPARTO-OTORINORINGOIATRIA(レパルト・オトリーノリンゴイアトゥリーア)と言います。
絶対に覚えられないと諦めていたけど,こうもおつきあいが華々しくなると,すっと口を出るようになる。

耳鼻科の待合室に落ち着いて,トイレに行ったり本を読んでいると声がかかり、事務室に呼ばれて最終的な質問を受ける。
担当者は違うが10月3日に精密検査のときと全く同じ質問ばかり。
プラスアルファの質問と言えば,『最後にトイレに行ったのは何時?』くらいだ。
つまり最後にウンチをしたのは何時ですか?ということである。

ボクは誇り高く答える。「15分前です」
そうなんだ。めったにないほどの快便だった。
『これはPORTA FORTUNA(幸ウン)の印だ』とつぶやいたほどだ。

笑って書き込む担当の女性。
そして、看護婦が来て入院室につれて行かれる。3人部屋である。

着替えさせられて点滴が始まる。
藤沢周平の『消えた女』を読んでいると、手術医のドクター・デルフィーが挨拶に来られた。
若々しくテキパキとして感じがいい。もう信頼100パーセントなので,良いところしか見えない。
簡単な質問の後「手術は10時にやります」と言い残して出て行った。

ロッコは朝食を取るために一回のバールに行ってたが、やがてチョコレートやジュースを片手に戻って来てくる。何しろ凄い喫煙家なので、近寄ってくるだけでタバコのにおいがするほどだ。戻って来て同室の人たちと話しが弾む。彼は誰とでもすぐ親しくなる。イタリア人は一体にそうだ。
外科医の看護士なので,つい専門的な話題となるらしく、周りは色々質問してくるが、それに調子良く答えているロッコ。
ボクの隣のベッドには中年の男性がいるが、ロッコの話しではノド手術だそうで、もう前日手術は終わったとか。午後家へ帰るそう。
sumura

もう一人は高校生くらいの背がめった高い若造で、何とも頼りない生っちょろい感じ。アデノイドを取る手術で、前日から入院。体調を準備して手術は明日らしい。今日1日何も食べられないそうだ。
こっちはずっとずっと大手術なのに、出頭して2時間後には,もう手術ってわけ。こんな簡単に扱われてると,『大手術なのだ!』という実感が起こらない。

小僧の付き添いの奇麗な金髪の女性、すらりとして、姉さんかと思っていたら実はマンマ。
このごろテレビ映画で親子が皆若くて兄弟姉妹に勘違いしてしまうことがよくある。
午後から来た親父も若いがそっちの方は貫禄があって一応父親に見える。


看護婦が「時間よ!」といってお迎えに来たが,「トイレ!」というと、点滴をはずしてくれたので,急いで用を足しに行った。点滴しても体の方が慣れていなく、栄養になる前にそのまま尿になってしまうって感じなのだ。


ベッドに寝かされたまま、部屋を出る。
全く恐怖など起こらないが、ふと、おふくろの最後の大手術のときのことを思い出した。あれは1983年の2月。癌と宣告されての大手術だった。今ボクと同じようにベッドに寝かされて病室を出て行く母親を姉弟は、涙涙で見送ったときの悲しい思い出。
おふくろは片手をちょっと上げて,『バイ、バイ』と言った。7時間も掛けた大手術も実は手遅れで、6ヶ月の命と宣告されたのだった・・・

そんな思いが専用エレベーターに入りながら,頭をかすめたときは、ちょっとしんみりした。

エレベーターの中にロッコも入って来たので看護婦が、「あら、ここは患者専用よ」と抗議する。
「そう?」ロッコの恍けた声。出ようとしない。

エレベーターを出て、手術室に向かっているのが分かる。この病院の作りすべてがそうだが、直角の作りではなくすべて斜めに通路は走っているらしく,迷路に迷い込んだ感じだ。ついに、レストランのカウンターみたいなところで,寝たまま手術室のピカピカのステンレスの上に移動させられる。幅はもっと狭い。これがまな板ってことか。

手術室って感じよりホテルのレストランのキッチンって感じだ。ライトブルーの衣類に全身固めた看護士や看護婦達は,腹の底からテキパキと喋り、冗談をいい患者にもメッタ愛想がいい。行き来する看護士の顔・・・と言っても目だけだが、イタリア人がいかに大きな目をしているかを改めて実感する。真っ黒な瞳、青い瞳・・・輝いてる。

それにしても手術室ってもっとしめやかな感じだと思っていたけどね。

「BUON GIORNO. COME STA?(こんにちは、ごきげんいかが』

ブルーずくめの大男が目だけをぎょろつかせて、ステンレスの横に立った。
ドクター・デルフィーではない。初めて見る看護士、と思ったら,実はロッコ。ぎょっ!

「おまえ、どっから混じれ込んだんだよ?」
「ドクター・デルフィーの許可さ。手術が見れるガラス窓はないのですかって聞いたら,看護婦に衣装ひとそろい着持ってこさせて、これを着て入れだってよ。勿論、オレの身分証明書は看護士のボスに見せたよ」
ドクターはロッコが優秀な看護士であることを感じているのだろう。
初めてドクターとも面接のとき、ロッコは冴えてたもん。

いよいよ麻酔というときになって、猛烈な尿意を感じる。
「ピッピーが・・・」
近くにいた太った看護婦さんが「スザンナ!パッパガッロ持って来て!」
(パッパガッロとはオウムのことだが、イタリアでは俗称シビンのこと)

スザンナという看護婦が持って来てくれて下半身にそっと差し入れてくれる。
「出たら言ってちょうだい。すぐ手術始まるんだから」

でも,出ない。たまっているのは分かるが,尿道に行くまえでストップしているのだ。
緊張しているのかもしれない。急がされルトマ生ます出にくくなるのが子供のときからの癖。
「出た?」と催促に来る看護婦。

ロッコはじーっと僕を見ていたがやがて言った。
「出なきゃあ,出ないでいいんだよ。麻酔がかかってる間は絶対に漏らしたりしないんだから」
フーン、そんなもんか。

看護婦が左手の手首の血管に麻酔薬を打つ準備をしているのをおぼえている。
「麻酔を打って効き目がでるのは5秒後」
ロッコがそんなことをいってたっけ・・・・



大声で喋り走り回っている看護婦達。大混雑の手術室なのだ。
僕の顔すれすれに顔を近づけて来て笑う彼ら・・・

はっとめがさめた。
「手術はうまく行ったぞ!」ロッコが顔を近づけて笑っている。
「パッパガッロを頼む。漏れそうだ」
看護婦が駆けつけて来てさしこんでくれる。
ものすごい量だ。回収に来た看護士があまりの量にびっくりした,おどけた顔をする。

「手術は見たのかい?」
「見た見た。人工内耳の手術歯初めてのことなので、勉強になった」

埋込んだ機械は皮を閉じる前にコンピュータと接続してテストされる。12ポイントの穴があってそのうち9ポイントが反応を示したとか。蝸牛から脳へ通じる聴神経の活動のことである。12ポイントのうち9ポイント,・・・ということはマイナス3ポイント。つまり完全に回復する訳ではない,と思うと少しがっかりする。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 09:44 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(41)
sumura

ちょっとユウツな日曜日・・・何かいいことないかなあ・・・


ホフィが写真のようなしおらしいばかりのネコではないことが昨日の夜、あらためて思い知らされた。
今朝の4時頃だったけな。ホフィは狂ったようにボクの体に乗っかり、臑や膝を噛み付く。その痛いこと!そして家の中を走り回る。
これはただ事ではないなとボクは飛び起きた。理由が分からない。ふらふらアタマでバルコニーへ。砂の中にウンチが4個してあったので、それを取り除く。ウンチの為に凶暴になったのなら,まあ,これは狂的潔癖症ネコということだが、せっかく取り除いたのに見向きもしない。
SUMURA


水と餌を替える....出来ることはやった。ホフィは相変わらず家の中を走り回っていたが、やがて餌に飛びついた。しばらく食べて,又飛び回る。ときには宙に一回転するくらいだ。

ボクは又ベッドに潜り込んですっぽり布団をかぶった。危険から逃れるたった一つの対策。
ボクは又熟睡。
目が覚めたら9時を回っていた。

ホフィはあどけない顔でボクの顔を覗き込んでいた。いつもの7時の起床の催促をしなかっただけでも偉い。もしやこいつも寝過ごしたのかな?
なんでこんなことが起きたのか見当もつかない。ネコはいつも夢を見るそうだから、怖っそろしいい夢でも見たんだろうか。
こんなことが続けば、ネコ専門の精神分析医に見てもらわなければなるまい。こっちのアタマがおかしくなる前に。

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眠り続けた左耳・・・
71年ぶりに『人工内耳』に挑戦する!(17°Story)

「左耳を先に手術。うまく行ったら、2年後に右もやりましょう」

ドクター・ダルフィーはことも無げに仰言ったが、僕にとっては、左耳に変更しただけでも天地がひっくり返るような出来事なのだ。

両耳に機械を埋め込む・・・人間ロボットになったような気分になるだろう。

ワタシノミミハカンペキデス・・・

それに、うまくいったら・・・なんて先生は言ってたけど、可能性は何パーセント?
71年間眠っていた耳の神経を復活させることって、そんなに簡単なことなのかな?

ドクター・ダルフィイに信頼は持っている。
彼はB病院の耳鼻外科医の先鋭だと、補聴器店のエミリオ氏からも聞いている。エミリオのドクター・ダルフィーへの信頼はすごいから、ボクも安心はしている。北イタリアで、「人工内耳」手術を行なう病院の目ぼしいところでは、ブレーシャ市、ヴァレーゼ市、ミラノ市、ロディ市、もうひとつくらいあったと思うけど、ブレーシャのB病院はドップにはいるくらいだという。
アマンディ氏の直下で働いたダルフィー氏は尤も優れた精鋭だときく。


sumura


手術は10月半ば頃ときまる。もうすぐ夏の休暇に入る。
8月はこういう類いの手術はしないのがイタリアの病院だ。お医者さんも看護婦さんもバカンスに出かけてしまうので、急患以外は休みが終わってからってことらしい。

9月30日にはボクは日本から帰って来る。もう航空券は買ってある。

「では、10月1日以降はミラノにて待機していていること。いいですね」

そしてボクは、8月は、南スペインで泳ぎ、9月は1年ぶりに帰国したのだった。

日本の暑さのことは聞かされていたので覚悟はしていたものの、そのすごさってなかった。

九月の終わり、何十年ぶりかで歩いた神田神保町の暑さったらなかった。
それでも頼まれた古本を探しに歩き回った。
毎日の外出は暑さとの戦いだったにもかかわらず、下痢一つせず、体調は完璧だったのは、手術前という意識と緊張のためだったと思う。

ともかく楽しく意義のあることもいっぱい、大勢の友人や知人にもあった。
イタリアに帰って大仕事?が待っているという緊張感で、自分がタフになっている気持ちさえした。
美味しい物たらふく食べて日本を後にしたが、ローマ空港についた時はほっとした。

そうそう、9月半ばに親友のオペラ歌手、林泰子嬢のオペラ「マクベス」を聴きにいったことは特筆すべきことだ。もう10年近くもナマでオペラを聴いてなかった。
無理して行ったのは、親友で尊敬している泰子嬢が、キャリアの終わりにもかかわらず、マクベス夫人という驚異的至難の役に取り組んだことを確かめたかったからだ。この耳で充分鑑賞できないのは分かっていても、それでもいいではないかと・・・康子嬢の舞台姿も記憶の中にしっかりと残したい。

振り返れば彼女のスカラ座のバタフライを見たのは1971年のことだった。その後、スカラ座のステージはすべて見たし、ヴェローナのアイーダや、マチェラート、ピアチェンツァのバタフライをはじめ、たくさんのオペラに招待してもらった。
そして2010年のマクベス夫人。最高の席をとってもらったが、難聴の自分にとってはその席は良すぎて返ってよく聴こえない。3、4幕は一番前の隅っこに席を変えてもらってかぶり付きで見せてもらった。卓越した発声、それと彼女の舞台経験と執念というか、アートを超えて強い人間性を目のあたりに見た。


ローマに着いて気が緩んだのか、手荷物の小型スーツケースをトランジトのとき紛失してしまう。
失ったものは仕方がないが、3個のからし明太が入っていたのが、最大の損失だ。

永久滞在許可書とアパートの鍵が入っていたために、翌日は警察に行ったり、ドアの鍵を作り替えてもらったり目の回る忙しさだったが、その翌日、病院での精密検査があった。

ブレーシャのB病院ではなくて、ミラノ郊外のモンツァ市である。
後で分かったことだが、外科医のダルフィー氏がモンツァの国立サン・ジェラルド病院に転勤になったためだ。
比較的新しい病院で、とにかくミラノから近いのがいい。

その日はマルコもロッコも都合が悪いとかで汽車で一人で行く。
血液の検査をはじめ、検査という検査を全部やらされる。その上、今までにやった大病は?何か病気持ち?快便又は下痢持ち?運動は?性格は楽観的又は神経質?などなど根掘り葉掘り聞かれて、5時間後にはもうくたくたになる。
終わったのが2時過ぎで、しばらく待たされて、OKの知らせを受ける。合格?したわけ。

ジャーン!
全く大変なんだ。頭蓋骨を削る手術なんだから。
その機械から蝸牛に糸を通し、脳神経に直結出来るようにする。
何しろその一帯は超ミクロの世界、近くには顔面神経などもあって、その距離の差は1ミリなんだって。
早朝からやるんだから、ドクターにも充分睡眠は取っといて下さいと言いたい。

担当の女性は入院の前の心がけを書いた紙と、前日の夜にする注射器などをくれる。
「今、ドクター・ダルフィーが挨拶に来られるから、帰らないでね」


「Sig.Sumura,こんにちは。ご機嫌いかが?手術をすることに決まりましたよ。2週間くらい先になりますが」
「ありがとうございます。手術の数日前に入院するのですか?」
「いえ、その必要はありません。当日、早朝に出頭してくだされば結構です」
たったそれだけの会話だったが、担当医と患者が事前に顔を会わせての挨拶は良いことだと思った。

日本やアメリカでは2、3日前に入院するのが通例となっているようだ。
でもヨーロッパではそれをしないらしい。しなくて済むのだったらしない方がいいかも。
病院のベッドは小さいし、食事はまずいもんね。



だが、それから20日近く待っても病院からは連絡が来ない。
イライラし始めた頃、連絡が入る。機器(頭に埋込む)が品不足なのだそう。
外国製品なんだけど、船が遅れてる?

またたっぷり待たされて、手術は11月の22日との連絡が入る。
「先に渡した紙切れをよーく読んで、前夜に注射することを忘れないで」と、担当者が念を押すように言う。
はいはい分かってます。


手術の前夜、言われたように8時には夕食を終えなければならない。
病院に一緒に行ってくれることになったロッコは、自宅のピエモンテから泊まりがけで来てくれる。
何しろめちゃくちゃに天候が悪くて寒い。既にみぞれのような物が降り始めているのだ。

朝、7時半の出頭だから6時過ぎには家を出なければならない。
朝のラッシュもすごいのだ。

寝る前にわき腹に注射をうってもらう。
ロッコはもともと外科の看護士だし、優秀なことは解っているので、彼が同行してくれるのは嬉しい。
ドクター・ダルフィーとの第一回アップンタメントもロッコなしでは,あれほどてきぱきと行かなかったかもしれない。

ロッコにはサロンのソファーベッドに寝てもらうことにして、11時前、僕はさっさとベッドに入ってしまう。

日本から貰ってきた「睡眠促進剤」を飲もうとしたら、ロッコが辞めとけという。
手術前は、一切こう言うものは、控えるべきだと言うのだ。

うつらうつらして,また目が覚める。午前3時過ぎだ。サロンの電灯が明々と着いてるので覗いてみると、ロッコはまだコンピュータに向かったままだ。

「おい、面白いものみせてやる」

それはYOUTUBのヴィデオで、何やら手術の最中の記録だった。
ずばり、明日ボクがしなければならない人工内耳のアニメ。
棒の先についた丸っこい物がごいごり音を立てて回っている。しろっぽい粉が周りに飛び散る。
頭がい骨を削っているのである。

「怖いかい?」
「別に」

ボクはそう言って、また床についた。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 06:40 │Comments3 | Trackbacks0編集

sumurakenji(40)

sumura

ここはボクだけの憩いの場所です。
この中にうずくまってヴェネツィアーノ(鎧戸)の隙間から遠くを眺めるのがボクの日課の一つです。
もう秋も深まって,寒いだろうと主人は心配しますが,ボクは全く平気です。
鎧戸がいつも下りているのは、ボクが滑り落ちないためなのだそうです。
先代のカロータ氏が、朝早くやって来たホシムクドリを捕まえようとして,滑って落っこちたことがあるので,ボクがこの家に迎えられて以来,いつもしまったままです。

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sumura

Facebook のねこファンメンバー,裕子さんの誕生日のためのメッセージ。
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眠り続けた左耳・・・
71年目に『人工内耳』に挑戦する!(16°Story)



そして2010年の5月。

「高音はもう最高にレベルを上げているので、これ以上は無理だね」

エミリオはズバリ!こう言った。
カラス嬢の高音がめっきり冴えなくなって、コントロールしてくれないかとエミリオ氏に頼んだときだ。

この補聴器にも限界がきているということなんだ。
イヤ、ボクの耳に限界が。

「もう、お前さんの耳はオレの力じゃあどうしようもないよ」と補聴器に言われているのだ。

そうかぁ。フルに働いてもらって3年間。ご苦労だったね。
一回だって、修理に出されたこともなかったってことは製品として上質だったこと?それとも使い方が良かった?

この3年足らずに、テレビでたくさん音楽が聴けたのは、君のおかげだ。


「もっと進歩した補聴器も昨年からでているけどね。君の耳のレベルでも使えそうなのが。しかもレシーバーは必要としないんだ」とエミリオ。
レシーバー・・・テレビを観るときは必ずレシーバーを必要としたのだった。レシーバー無しで聴くことは不可能だった。テレビのスピーカーから出た音が耳に到達するまでに、空気に触れてしまうとめちゃくちゃに破壊されるからだ。

エミリオの説明から難聴のテクノロジーは、まだまだ進歩しつつある。

「エミリオ!意見をきかせてほしい。新しい補聴器に買い換えるべきか、手術に踏み切るべきか」

いつもの柔和な表情で、彼はしばらく暗中模索的だったが、やがて、
「ここまで来たら手術をしたほうがいいと思う」

これで決まった。

そうときまったらすぐに手術に向かって前進すべきである。
まず、ドクター・アマんディに会い、決心を伝えなきゃあ。B病院での手術の手配をしてくれるはずだ。

ところが・・・親友のロッコがまずインターネットで下調べをしてくれたのだった。
「ドクター・アマんディは、もうB国立病院のプリマリオ(主治医)を引退しいるよ。だから力になってもらえるかどうかだ。オレがB病院に直接談判してやるよ。「ミラノの家」に無駄金払うことないもんな」


「Sig.SUMURA KENJI・・・覚えています。私たちが手術をしたければしましょうと言ったとき、彼はその気はないと断ったの。7年前、2003年の5月23日」
B国立病院耳鼻科の女性担当者は過去のカルテを探し出してきて、電話でそう言ったという。

「ところが彼は今年手術をお願いしたいと言ってます」と、ロッコ。
kenji


そして、予想してたよりもりもずっと早く、アポイントメントの連絡があった。

と言う訳で、7年ぶりにブレーシャのB国立病院に足を運んだのだった。
ロッコが休暇を取って、車で連れて行ってくれた。
その日は聴力の検査や補聴器を付けての言葉の検査や口頭試問などがあったが、ドクター・ダルフィーとは会えなかった。
担当の女性と向かい合っての『言葉』のテストは初めてだった。補聴器を付けたままで行う。
簡単な単語ではじまり、だんだん複雑になって行く。解るのは50パーセントと点は低い。
それから単文の反復だが、解る単語だけで、多分こういうこと言ってるのだろうと、想像して言う意外はない。
それは75パーセントとまあまあの点数。担当者曰くボクにはファンタジーがあるのだそうだ。


ミラノに戻って頭のレントゲンを撮ってもらう。10年前にも撮ってもらったことがあった。
車と同じように、10年経てば何でもすごい進歩があるのを実感する。機械がすっごくモダンになっているし、時間だって3分の1くらいにスピードがある。

レントゲン結果の袋に中の『概要』をロッコに見せた。悪いことは書いていないそうだ。
写真の上にところどころ薄い雲のような物が見えるのは『老化現象』なのだそうな。イヤーな気分だ。
レントゲンの結果を届けに又、B病院へ。

その日も、外科医のDr・ダルフィーとの面接はないとのことで、ちょっと失望する。
『レントゲンをチエックした後、Dr・ダルフィーとの面接があります」とのことだ。
手術を決めるのにはまずレントゲンの結果を見てからということらしい。

その日、いいこともあった。
前回、ボクに「言葉」のテストをしてくれた担当者が、1年前に手術をしたという男性を紹介してくれたことだ。
この人はたまたまリハビリに来ていたのだった。
彼は81歳。大柄で元気いっぱい。手術をしてとても良かったと、手振り身振りで大声で説明する。
「手術後の4ヶ月の辛抱。始まるのはそれからだ。1年我慢すれば結果は良好」と激励してくれる。


                     ;;;; 

その後5日経ってやっとDr・ダルフィーとの面接のため呼び出しがあった。
7年前のイメージは確かではないが、痩せて背が高いという記憶そのままの男性が、5、6人の女性を侍らせて、大きな事務机の真ん中に座っていた。

「レントゲンの結果は良好なので,手術をすることはほぼ確実です」
そして既に用意された書類を見せながら、ドクターはこう言ったのだ。

「レントゲンで見ると、左側の(右ではなくて)聴神経がまだ生きて残っている。
あなたのように70年も使わずにいた神経は、近年まで手術は不可能だったが、現代では行われるようになりました。ですから、まず、左耳の手術をしたいと思う。了解ですか?

ドクターの顔をまじまじと見つめながら、ボクはうなずいていたとおもう。

何かが変わろうとしていた。
奇跡?手術の結果のことではなく、71年後にこんなチャンスが降って湧いたことが、ボクにとって奇跡以外になにものでもなかったのだ。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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| 小説とエッセイ | 08:11 │Comments0 | Trackbacks0編集

sumurakenji(39)

けんじ

大将、お寒うございます。『何か喰うもの持って来たんかよ』


KENJI

野良3兄弟『ぼくたち何時も一緒だから、なんにも怖くないし、さびしくないんだよね』

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眠り続けた左耳・・・
71年目に『人工内耳』に挑戦する!(15°Story)

さっそくドクター・アマンディが紹介してくれた「ロンギ補聴器センター」を訪ねた。

店はポルタロマーナという名前の通りで、ミラノ南部に続く繁華街にあった。
ボクが40年くらい前に間借りをしていた街なので懐かしい。

あの頃は下町って感じで古ぼけたたたずまいだったが、現在はどうしてどうして、地下鉄のYellow-Lineが出来て以来、枯れ枝からぱっと花咲いたように蘇った。

なにしろ250年くらい前の、しかも壁が1メートルもありそうな古い建物が連立している地域である。
以前は壁がぼろぼろになって、汚い下町風情だったが、今は違う。壁もバルコニーも修理され塗り替えられ、高級アンティックの店や、ブティック、レストランもいっぱいある。

主人のロンギ氏はさっそくシリコンをボクの右耳の中に流し込み,イヤモールドの型をとりにかかる。
これ、実に妙な気分だがもう慣れている。これで何回目だろうか。

KENJI


補聴器代はすべて込みで2200ユーロだそうな。想像してたよりちと高い。

ロンギ氏はドクター・アマンディほどではないがかなりの年輩だ。
補聴器もテクノロジーの世界だから、こんな老人で大丈夫なのかな?と、ちらと考える。

補聴器を嫌がる老人は多いと聞く。マルコの亡きお母さんしかり、35年ものおつきあいのあるブルニーニ家のご主人だって、高額払って補聴器を購入したはいいが、操作が面倒で、付けるのを破棄してしまったという。
宝の持ち腐れってこと。補聴器を付けることなど夢にだに考えなかった(もしかしたらその存在さえ)老人が子供や孫に無理に進められてつける・・・

そんな老人達を相手にしている補聴器屋さんって感じなのだロンギ氏は。
何となく雰囲気からして。

ま、様子を見よう。アマンディ先生のご推薦のお店だから悪くはないはず。

補聴器屋ってとても根気のいる仕事だと思う。売ってしまって、ハイ終わりってわけではない。アフターケアーはすべて込み(無料)なのだから。

ロンギ氏はテスト期間は1週間という。少ない。普通は2、3週間くらいくれるのに。

オレはそんな短期間で決めないぞ、納得がいくまでじっくり試してやるゾ!
こっちは補聴器のスーパー経験者なのだ。

約束の3日後に訪れるとイヤモールドは出来上がっていて本体と接続してくれた。

ロンギ氏が自ら耳にかけてくれて、コンピュータで調節を始める。
今までのとはちょっと違う気がする。音がすっきりしているような。

この4年間についに補聴器にも進歩あり?わくわくする。

でも、このお爺さん、こっちがいろいろ注文を付けても、いちいち聞いてたらかなわんよって感じなのだ。


「ボクは音楽が聴きたいんです。これで聴けますか?」

『Si?・・・あ、そう?」

『主にクラシックです。ワグナーやバッハやバルトーク。それが不可能なら購入はどうも」
つい、声が高くなる。

するとロンギ氏は、はじめてにっこり笑顔になった。
『息子を紹介しましょう。息子は音楽に精通しているので、きっと役にたってくれます』
この店は息子さんと2人で経営していることを知った。

2日後、息子さんとのアポイントメント。
「かなり聴けるはずです。この数年間に補聴器は進歩をしていますから」

長い間待ち望んでいた言葉だった。
確信ありげにテキパキと答えるこのドクターに信頼をよせる。
40半ばってところか。名前はエミリオ。
コンピュータで調節しながら、どんな注文やささいな質問も聞きのがさないでうなずき答えてくれる。

驚いた。エミリオ氏は、自分のスタディオのに、BOSEのアンプとスピーカを設置ているのだ。
これなら本格的音楽マニアにちがいない。

マリア・カラスを奇麗に聴きたい。8年ぶりに・・

「ソプラノが綺麗に入ると低音は大丈夫。あなたの聴力は低音部はまだ良好なので」
言うことも具体的だ。
中年以上の突発性難聴は,高音部からやられて行くのが普通と説明してくれる。

「このお店ではテスト期間は1週間とか。少ないですねぇ」
「とんでもない。納得がいくまで試してください。3週間でもいいですよ」


「お値段、2200ユーロですね?念のためですが・・・」

「2200?いや、2000ユーロですよ」
「でも父上は2200ユーロとおっしゃいました」
「いやぁ、そんなはずは。あなたの聞き間違いですよ,きっと」
笑って答えるエミリオ氏は、聡明で潔白そのものだ。さりげなくオヤジを保護するのにも嫌味なし。

そしてボクは2週間後に購入したのだった。

最初の頃はしつこく2回くらい毎週調節に通った。しつこいと思われても仕方がない。ベストの音楽鑑賞のために。

「ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をきけるようになりたいな」
「私も3番はだいすきですよ」顔を輝かせるエミリオ氏。

「カタログで見たけど。マルタ・アルゲリッヒが吹き込んでいるようですね、ヴィデオがあったら買おうかな」
「いや、あの曲は至難のピアノ曲で、女には無理です。男性の大きな手の持ち主だけが引けるのです。ラフマニノフはとっても大きな手をしていた。アルゲリッヒには所詮無理な曲です」
ポピュラーな第2番は引けても3番は誰でもってわけではないのだ。

いつもざっとこんな調子なのだ。だから、調節してもらった後にも話しが途切れない。

そして3回目の調節の後だったと思う。
家に戻って、レシーバーを掛けて、テレビ中継のコンサートを聴いたときの感激は、今もって忘れられない。

コントラバスのソロが地の底から湧き出てくるように耳に、いや五感?にしみ込んで来た・・・

自分が難聴者であることを瞬間忘れた。
それほど音質が完璧だった。何年ぶりだろうか?
低音は問題ないだろう、とエミリオ氏が言ったのは間違いなかった。


だが、すべてがそう簡単に解決してはくれなかった。特に編成の大きいオーケストラ。

蝸牛の中には15,000くらいの棒状の草がまっすぐに生えているという。
(勿論これはもうミクロの世界のことだけど)彼らの一本一本がそれぞれ違った音を把握する機能をもっているという。この草は一本ずつまっすぐに生えていて、周りとふれあったりすることはない。鼓膜を通してどんどん入って来る音はここで完璧な音に修正されて、脳に伝えられる。

だが、ボクのような病いある草は周りとぶつかり合って、本来の役を果たさない。
オーケストラの規模が大きくなればなるほど、音は混乱して来る。ふれあうからだ。


それはともかく、その後の2年半、ボクはいろんな物を聴いた。
せっせとエミリオ氏のところに通い続けた。
彼の勧めで高いBOSEのレシーバーも購入した。

SKYというプライベートのチャンネルのクラシック番組も予約した。
クラシックを24時間聴けるテレビ衛生放送である。
オペラ、バロック、ソロ、協奏曲・・・何でもある。音楽の歴史や、作曲家や演奏家のことなど、教養番組もいっぱいだ。

でも音楽を楽しむための条件があった。
CDだけで楽しむことはもう限界だった。
ヴィデオやテレビ放送などでの視覚的助けが、ボクには欠かせない条件になっていた。
例えばシンフォニーにしても、楽器がアップになると、脳の助けで音色に還元されていく。

視覚にたよって聴いていると、奏者の好き嫌いまではっきりして来る。口を半開きのヴァイオリニスト、高慢チキなソリスト、いつも悲しげで神経質きわまりないピアニスト・・・は、聴いている(見ている)ボクをイライラさせる。安っぽい舞台装置やコスチュームや照明だってそうだ。
耳と目で鑑賞しているボクには、総合芸術としてオペラを見るようになった。
(つづく)
えと文・すむらけんじ

| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 05:16 │Comments2 | Trackbacks0編集

sumurakenji(38)

kenji

ボク『ネコってよく寝るなあ』、獣医さん『ネコは夢を見てるんだよ』
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眠り続けた左耳・・・
71年目に『人工内耳』に挑戦する!(14°Story)

マルコは旅行のプラン、航空券の購入(今はインターネットで)、ホテルや レンタカーの予約、空港でのチェックイン、ホテルのチェックインとチエックアウトをフルにやってくれる。

運転、共同会計の責任(さすが銀行員なので慣れている!それにマルコはイタリア人にしては,超、金銭に奇麗なのだ),通訳(英語、フランス語、スペイン語の日常会話程度は充分)、そして観光ガイド(旅行中、先々の場所の下調べは徹底している)まで・・・
sumura

まるで旅行の神様。難聴になっても、これだけ旅行出来たのは、この神様のお陰なのだ。

浅く広くとはこの男のことだと思う。新聞、本、映画、展覧会は欠かさず見ているようだから何を聞いても一応のことはこたえてくれる。
旅行した後は、こっちもいくらか博識になったような気分にさえなる。


40年もイタリアにいると、日本人、イタリア人の友人もたくさん出来たが、悲しいかな、長続きする友情は少ない。癌で他界したり、交通事故で亡くなったり、帰国してしまったり、外国に移住してしまったりいろいろだが、不幸なのは、ほんのちょっとした誤解で15年も続いた友情がぷっつりと切れてしまうこともある。

一度ひびが入った付き合いは、まず、元に戻らないというのも経験した。俗にいう「修理した瀬戸物」と同じだ。

年を取れば、友人は減ることはあっても増えることは稀になる。
友情を築き上げるのも、続けるのもエネルギーが必要になってくる。

ボクのように耳が悪くなると、交際は疎かになるし、めんどくさくもなる。

大勢と食事をしていても、理解できることは10パーセントまたはそれ以下。
僕は話しているときは楽だが、聞くことは死ぬほど苦痛だ。解ってもないのに、頷いたりニッと笑ったりすることほど情けない,嫌悪感のあるものはない。

食事のとき、桁外れのおしゃべりがいると、悪魔と食事をしている気分になる。この悪魔、すぐ人の話しをぶん取ってしまう質のわるいヤツ。

オレは聞き役はいやだ!話している方がウーンと楽なんだ!

マルコはその点ちょうどいい相手だ。聞き役になってくれる。
そして退屈すると、けろっと話題を変えてしまう。


                  ”””””””””


そんなふうにして、2007年まで何とかかんとか・・・

2007年が明けて、手術を決心する。聴力がまたぐーんと下がったのだ。
ついに『決意のとき来たりぬ』って感じだった。


7年ぶりにクリニック「ミラノの家」のドクター・アマンディを訪ねた。

先生は7年間にすっかりお年を召されていた。両手は心なしかかすかに震えているように見える。
どう見ても80近くにしか見えない。いや、もっと上?
まだ国立病院のプリマリオ(主治医)の肩書きをもっていたから、もっとずーっと若いのかもしれない。
分からないね、外人の年は。

「落ちたなあ・・・」検査の結果を比べながら先生はつぶやいた。そして、
「手術をしても良い時期だろうね」

「手術はどなたがしてくださるのでしょうか?」
「わしがするよ」
ボクは吹き出したいのをやっとの思いで我慢していた。

「君ね、手術したければしてあげよう。でも君の聴力で補聴器を使っている人もいる。人によって違うんだよ。試してみるかね?」

ドクター・アマンディは、ミラノ中心街のある補聴器店を紹介してくれた。
名医の知り合いの店なら、信用しても良かろうと思いOKする。

「2週間、試してみるんだ。するかしないかはそれからだな」

結論から言うと、手術はまた3年送れることになる。(つづく)
えと文・すむらけんじ
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すむらけんじ

この日曜日は金婚式のお祝いの昼食会に招待されました。
ピエモンテのカザーレ市のレストラン。計18人の食事でした。
ピエモンテ州は、料理の量も数も多いことで知られているようですが,4種類の前菜のトップがこのInsalata di mare(海の幸のサラダ・写真参照)でした。小皿でなくて普通の皿にたっぷり。
その後,サーモンとキノコの煮付け、蒸したサラミソーセージ、魚の白身ポルペッティーナなどなど。それだけで,もうお腹いっぱい。
プリモが終わって胃袋を休ませるために、シャーベットが出ました(写真参照)。その後肉料理でしたが、ボクのために特別、ブランジーノ(スズキ?)の塩焼きをしてくれました。美味しかったけど、食べたのは半分。もうお腹がはち切れそうでした。久しぶりに美味しい地元のワインを沢山飲みましたけど。

kenji


それにしても、みなさん、すごい早食いで、その間に良く喋り、笑い,動き、日本人との体の構造の違いを感ゼザルをえません。
このごろは大勢のパーティなどには難聴を理由に席気味だったのですが、今回は断る訳にもいかず・・・それでも、まあ楽しかったです。
こんなご招待はせいぜい一年に一回で充分ですね。

kenji


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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 07:23 │Comments2 | Trackbacks0編集

sumurakenji(37)

sumurakenji
「今日は街は静かニャね」「日曜日だからさ」



新しい体重計を買ったけど、いざ、ホフィを乗っけても数字はゼロのまま。
使用書を読んでみると、10キロ以内では表示してくれないんだそうな。
さてと、貧しい知恵をしぼってやっと方法を見つけた。

SUMURAKENJI

まず自分の体重を量る。66,3kg.。次にネコを抱いて再び計りの上に乗っかる。70,9kg。
そこから自分の体重を引けば、4,6kg.これが我がホフィの重さということになる。凄い、この3ヶ月半に3倍の重さになったのだ。

快食,快便、快眠だから当たり前のことかもしれない。それに寝てないときは動き回っている。
12月になったら,何としてでも手術をしてもらわんと,と思う。もう、してもらいたいくらいだが、獣医が言うには,『今だって手術が出来ないことはないが、成長は停まってしまう』そうだ。
それもちょっとかわいそう。


我がホフィは,ボクがバルコーネで手すりに肘をついて下を眺めると,必ず自分もクーラーのモーターに上がって下を眺める。(写真参照)ボクがバルコニーに現れると,ホフィーは箱の上に登り、ボクが肘をつくのを見とめてから、自分も同じポーズをする。この写真は昨日、友人に撮ってもらったもの。

『犬じゃああるまいし,そんなバカな!』
友達は言った。そんならやってみるかでボクはバルコにーにでた。ホフィはサロンから走って来てバルコニーへ。ボクが肘をつくのをその眼はしっかりと確かめ?そして同じポーズを。
今までにカロータをはじめ4匹のネコをかったが,こんなことははじめて。

大体ネコって,他のネコと同じポーズをする習性があるのでは?とボクは思う。2匹飼ってるネコがそうだ。片方が仰向きで寝ればもう一方も同じポーズをする。
カタツムリのからのように体を丸くして寝ている2匹のネコの写真は沢山見た。

ホフィにとってボクは同居のネコなのかもしれない。でもこれはもっと観察をしてからでないと,うかつには結論はだせニャいと思う。

夕方,5階に住むF夫妻の所に花を届けに行った。
奥さんの誕生日のプレゼント。
何しろ、旦那さんがボクの留守中、ホフィに餌をやりに来てくれる大切なご夫婦である。


SUMURAKENJI
我が家のドアを開けたとき,いつものごとくホフィが飛び出してしまった。

でもホフィは家から飛び出してもそんな遠くには行かずに必ず戻って来る。

ところが今日は,ボクが5階に上がって行くとき,ホフィは後になり先になって、ついてくるのである。
まるで小犬のよう。

5階についてボクはブザーを鳴らした。

内側から鍵を開けるがちゃがちゃと小さな音が聞こえて来ると,ホフィは神妙におすわりしていたが、ドアが開いた瞬間、猛烈な勢いで他人様の家の中に突進していったのだった・・・
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眠り続けた左耳・・・71年目に『人工内耳』に挑戦する!
今回はお休みです。次回をお楽しみに。
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| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 08:09 │Comments0 | Trackbacks0編集

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すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

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