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月夜の 表紙def


ヴヴプリンがこの家に貰われて来たときのこと、まるで昨日のことみたいに、はっきりと憶えてる。

あれは五月も終わり頃の、空が真っ青に澄み切った日曜日の午後のことだった。
遠くに霞むアルプスを後ろに燃えるような真っ赤なケシの畑と、刈り取り前の波打つ麦畑の間の道を、勢い良く走って来るメメ夫人の車が見えたとき、パオロ小父さんは、愛用のパイプを加えたまま、ちょっと迷惑そうに呟いた。

「猫は二匹は飼わないぞ。サング、おまえだけで充分だよ、な」
小父さんは足許にうずくまっているオレを覗き込んで、まるで人間にするみたいに悪戯っぽくウインクをしたものだ。友人とチーズ店を経営しているパオロおじさん、ちょっと太りすぎているけど働き者で誠実。オレ、小父さんが大好き。

オレがこの家に居候するずっと前、おじさん夫妻は2匹の猫を飼っていたらしいけど、奴らは喧嘩ばっかりして、ろくな奴らではなかったらしい。

窓辺の鉢植は滅茶苦茶にするわ、赤ん坊の玩具を壊してしまうわ、編みかけの毛糸の耳隠しを奪い合いっこしてぼろぼろにしてしまう、しかもネズミ一匹猟ってくれない怠け者どもで、それも夫妻には不満の種だった。

とにかく小父さんは2匹一緒に飼うのは、もうこりごりだと言っているんだ。オレだって同じ意見さ。一人のほうがのうのうとしていられるもの。出来の悪い相棒と暮らすなんて真っ平ご免だ。

「あたしも同感だわ。2匹はうんざりだわ」

奥さんのルチアさんもそう言いながら、読んでいた雑誌を閉じて立ち上がった。彼女は中学校の数学の先生だから、喋り方もきりっとしている。
ルチアさんのことも、オレ、嫌いではないんだけれどね。女は一般的に猫好きとは聞いてはいるけど、彼女は好みもはっきりしているようで、どうもオレとはしっくり行かないんだ。
オレはねずみ捕りがすっごく上手で・・・それはいいこととしても、口の回りを血だらけにして、のっそり台所に入って行ったもんだから、彼女、キャーっと天地がひっくり返るくらいの悲鳴上げて、鍋を床にひっくり返してしまったんだ。

オレの『サング』って名前のことだけど、実はサングエは『血』の意味なり。
口を血だらけにしてうろつき回るオレを見て、いつのまにかそう呼ばれるようになったってわけ。以前は『ピーター』なんて可愛い名前いただいてたんだけど、もう誰も覚えていないと思うよ。



銀色のオペルの小型車が鉄格子の門をくぐり抜けて止まった。
とっても小柄でころころしたメメ夫人が元気よく降りて来て、『猫ちゃんは後ろよ。手伝って下さいな』と、にこにこと自信ありげに言う。
彼女は電話でも『一見の価値があるのよ』とさかんに言ってたもの。

丘の中腹に住んでいる遠縁のメメ夫人に無理矢理せがまれて、仕方なくご対面をする羽目になったのだけど・・・籠から出された子猫を一目見るや、ついさっきまで『二匹は絶対に飼わない』などと口々に言ってたことなど、けろっと忘れたみたいに、おじさんもおばさんも,小学生のチビのジャコモも、家中の者がみな、奴に夢中になっちまったんだ。
白とほんのりと淡いグレーのぶち。

メメ夫人曰くの『ビロードのような』グレーの中に、紫色の大きな瞳が輝いていた。生まれてまだ3ヶ月半しか経っていない子猫は、広いサロンの中を、あつかましくも我がもの顔で走り回る。
オレはいきなり飛びかかって、引きずり回したり転がしたり、蹴っ飛ばしたり、ありったけの方法でチビ歓迎のテストを行う。へい、まず、オレ様のおめがねにかなわなければ、一歩だってお屋敷には入れないってこと肝に銘じるんだ。

ところがそれは浅はかな早合点であることを思い知らされたのであった。
「やめなさいっ!サングったら、気でも狂ったの?」
ルチアさんの、ほっそりとした、だが力強い両手で捕らえられて、オレはぽーんと床の上に放り出されてしまったのである。
「いじめないで!こんなに綺麗なネコを!ろくでなし!」だとさ。
オレはすごすごと寝宿の籠の中にもぐり込んだ。

親子3人、みな魔法にかかったみたいに、ぼけーっと子猫に見とれている。ジャコモが抱き上げようとすると、するっとすり抜けて優雅に暖炉の上に飛び上がり、今度はとってもお行儀良くお座りして、『ほら、ボクはここだよ』と、じーっとみんなを見るんだ。

たった4ヶ月半しかたっていない子猫なのに、妙に色っぽい眼付きでさ。綺麗に並べた前足の片っぽうのほうを、ちょっとだけずらして澄ましているのがたまらないと、ルチアさんが言う。同感だよ。オレなんか一生かかったって、絶対あんなに気取ったお座りは出来っこないものね。

「童話の中の絵みたいだね」と小さなジャコモは、そばかすだらけの顔をくしゃくしゃにさせて、手をたたく。

 メメ夫人は、それ,見てごらんなさいと言わんばかり。にんまり笑って、家族の気が変わらぬうちにと思ったのか、「明日から刈り入れが始るから,大変なのよ」などと言いながら車に乗り込むと、さっさと帰ってしまった。

「僕の部屋に寝かせてもいい?」
 やっと捕まえた子猫をめちゃくちゃに抱き締めながらジャコモがねだる。そんなこと、今までオレのために一度だって言ったことないのにさ。
「だめだよ。今日からサングとは兄弟になったのだから、もっと大きな籠の中で二匹一緒に寝るんだ」
と、パオロ小父さんがたしなめる。
「えー?サングと一緒?そんなのないよーォ」と、チビが叫んだ。このアホ!

さて、名前はヴヴがいいとかプリンにしょうとか、年甲斐もなくルチさんとチビのジャコモが譲り合わないので、
『よし、ヴヴプリンと命名しよう』
いつも中道派を行くパオロ小父さんの穏やかなひと声で決まったのである。

オレはすっかり不機嫌になって隅っこの籠の中でうずくまっていた。
ちょっと悲しかった。オレがこの家に来たときには、こんなに大騒ぎにならなかったもの。
近所の葡萄栽培の農家に四匹生まれて、貰い手がなくて困っていたところを、人のいいパオロおじさんがオレを引き取ってくれたんだ。
 仕方がないさ。オレはありふれたキジ猫にすぎないんだ。でっかい図体に小さな黒い眼と太い短い足では、たくましさ以外にまったく取り柄がないんだもの。ジャガイモ畑でモグラを見つけて、ごそごそやっていたオレを見て、ポスティーノ(郵便配達夫)のニーノが聞き捨てならぬことを言ったもんな。

『お前は全く『コンタディナッチョオ(百姓猫)』と呼ぶにふさわしい』

すっと大きな手が伸びたと思ったら、オレはパオロ小父さんの腕の中に抱かれていた。
「サング、元気がないじゃあないか。今日からお前の弟が出来たんだよ。嬉しくないのかい?」


 ヴヴプリンはどんどん成長して、ますます美しくなっていく。
すんなりとした足、いつもぴんとたっている長い尻尾は、歩くごとに実に優雅に曲線を描き、オレでさえほれぼれする。
小さな顔は『気品に満ちて』、どんなに腹が空こうが、オレみたいにがつがつしないで、口をつける前に、ちょっと感謝の気持ちを表すように、じっとおばさんの顔を見るんだもの。そして綺麗に尻尾を捲いて、お行儀良く食べはじめる。ルチアさんがめっためたに愛しちゃうのも分かるけどね。こう言う奴を血筋がいい、と言うのかも知れない。
もう差を付けられちゃって、百姓猫のオレなんかてんで足許にも及ばないってとこだ。

「王子様が魔法にかけられて猫に変身してしまったみたい。きっとそうよ。悪魔が焼きもち焼いて猫の姿に変えてしまったのよ」
とは、我が家のジャスミンの垣根の向こうに住んでいるマチルダの、年甲斐もない讃美の言葉。聞いている方が恥かしくなっちまうよ。



月日は夢のように経っていく・・・
赤とんぼを追っかけて楽しんでいた季節もあっと言う間に終ってしまい、庭の3本のポプラの大木の葉っぱが黄色く変わったと思ったら風に吹かれて落ちてきて、その上を歩くとざくざくと音を立てるほどになった。
オレとヴヴプリンは、落ち葉の上を転がったり、裸の杏の樹や桜の木に駆け上ったり、たまに裏の雑木林から舞い込んできて樅の木に駆け上るリスを追っかけたりして、一日中遊んで過ごした。
vuvu1.jpg

 やがて木枯らしが吹く冷たい冬が訪れた。灰色の雲の間から、鈍い太陽がたまにちらっと顔を出して、また隠れてしまうような陰気な季節がやってきた。オレたちはサロンの大きな出窓を陣取り、ぴったり体をくっつけて、いっしょに外を眺めたり昼寝をしたりした。


                      *

 パオロ小父さんのお母さんの誕生日のお祝いを兼ねて、家族みんなで二泊、実家を尋ねる事になったので、オレとヴヴプリンが留守番をすることになった。
飯は隣の家のマチルダが面倒みてくれることになったのだが・・・
「せめてヴヴだけでも、お留守の間、うちに引き取ってもいいんだけれど・・・」
マチルダの言葉に、パオロ小父さんは一寸怖い顔をして言った。
「サングとヴヴはとっても仲がいいから、上手に留守番は出来ますよ」


家族が出かけてしまって一日が過ぎた。急に寒さがひどくなって、庭の小さな池に薄氷が張った。
翌日、眼が覚めたら、雪が降り始めていた。大きなぼたん雪はとっぷりと日が暮れてもまだ降り続いていた。庭の石畳や芝生の上や凍った池の上にもどんどん積もっていって、何もかも見分けがつかないほどまっ白になった。

マチルダが準備してくれた夕ご飯を食べたあと、オレとヴヴはサロンや廊下を駈けっこしたり、箪笥に駆け上ったり、かくれんぼしたり、日頃は家の中で禁じられていることを思い切りやって楽しんだ。
オレもすっかり開放感を感じている。煩しい人間共がいないと、こうもリラックス出来るのか。
ヴヴだってきっとそう感じているに違いない。だって、このオレさえヒヤヒヤするほど、上へ下へ狂ったみたいに駆け回るんだもの。

やがてそれにも飽きると、体を寄せ合って眠りについた・・・

夜中に眼が覚めると横にヴヴがいない。

もう雪は止んだらしい。それどころか、月の光が嘘のように家の中まで煌々とさしこんでいた。
おや?
ヴヴは窓辺に座って、じっと空を仰いでいる。月の光を全身に浴びて、すっと首を伸ばしたヴヴは、まるで陶器に変身してしまったかのようだ。こんなヴヴってオレ初めて見たよ。奇妙で、何かただ事ではないぞって感じだ。
眠い眼を擦りながら、窓辺に飛び乗ってヴヴと並んで座ると、まん丸な大きなお月さまが見えた。月はまともには見ておれないくらい輝いていた。雲はどんどん去っていく。たくさんの星が見えてきて、白い大地を銀色に染めた。

ヴヴの夢見るような瞳は、普段よりももっと大きく紫色に輝いて透きとおっている。 真剣そのものの表情が月に注がれている。まるでお月さんと話をしているみたいだ。
「ヴヴ、お月さんと何の話をしているんだい?」
 オレにはお月さんと話しすることなど出来っこないけど、ヴヴには出来るのかもしれない。ヴヴって、とっても夢想家なんだもの。
そして、オレはまた一人で籠にうずくまって寝込んでしまったのだった。

朝になった。
窓辺に飛び上がって外を眺めると、見わたす限りの銀世界。
近所の子供達が雪だるまを作ったり雪合戦をしたり、日頃しょぼっくれている老犬まで元気いっぱい走り回っている。お日様が眩しい。すべてが生まれ変わったような輝かしい朝だ。
ヴヴは何処だろう。
家中探して回ったけど見かけない。台所の小さな切り窓をくぐって、外へ出て行ったのかも知れないと思った。切り窓は食料品やワインや燃料などが置いてある納屋に通じ、そこにも小さな穴があって、表へ出られるようになっている。
オレはそこから外へ出て家の回りを探して見たけどヴヴの姿は見当たらない。
ちょっと心配になって来た。

マチルダがやってきた。
彼女は『ヴヴ!ヴヴプリーン!あたしよ、ごはんよ!』と猫なで声で呼ぶ。
オレだけがのっそり姿を現したので、マチルダは一瞬気が抜けたような顔をした。


ヴヴはどこに隠れているのだろう。それとも,犬に噛み付かれて倒れているのではないだろうか。あいつはちょっとぽけっとしたところがあるから眼が離せないよ。
マチルダのおろおろ声、
「ヴヴ、お願いだから出て来て。かくれんぼごっこは止めて!」
雪はどんどん溶けていく。四方八方捜査した甲斐もなく、ヴヴは姿を見せなかった。そして、それっきり・・・

夕方、家族が旅行から戻って来た。
ルチアさんとチビのジャコモの、ドアを駆け込んでの第一声は何だったと思う?
「ヴヴ!ヴヴプリーン、何処にいるのー?帰って来たのよー!」

さあ、これから一騒動おこるぞ!
涙でくしゃくしゃになったマチルダから、ヴヴが今朝から行方不明と聞かされて、一家は騒然となった。
予想はしていたが、その取り乱し方ったらなかった。
ルチア小母さんは、へなへなっとソファーに座り込んで頭をかかえる。ジャコモはワーワーヒステリックに泣き出してしまう始末。
マチルダの奴、涙をぽろぽろ流して、
「ああ、やっぱりヴヴを預かっとけばよかったわ」
などと、鼻をかみながらじろっとパオロ小父さんを見るのだ。
その上この女は、まるでオレの責任とばかりに、こっちをにらみつけるんだ・・・まさか、オレがヴヴを喰い殺したなんて思っているんではなかろうね。エコひいきが強いマチルダだったら、考えそうなことだがね。
「そうか・・・雪の夜、姿を消したヴヴプリン・・・」
パオロ小父さんは、思いに耽ったようにパイプをゆくらせながら、つぶやいた。

ヴヴ、何処へ行ってしまったのだい?
あんまりぐっすり寝てたもんだから、ヴヴが出て行ったこと、気が付かなかったんだよ。お月様に導かれて、遠いところに行ってしまったのかい。ああ、一緒について行ってやってたら・・・きっと無事に帰って来れたのに。
パオロ小父さんが、励ますように言った。
「さあ、みんな元気を出すんだ。ヴヴが死んでしまったってわけではないのだから。明日、みんなで探そう」


あれほどいい天気だったのに、また黒い雲が出て来て,冷たい雨が降り出した。
次の日も次の日も探しに出かけたオレは、ただ一人でとぼとぼと濡れて帰って来た。ずっと向こうの国道の側まで、さては丘の中腹まで行って見たんだけど。
小父さんも小母さんも、さてはジャコモまで、みんなで手分けして探したけど、ヴヴは見つからなかった。

誰も口を聞かず、家の中は陰気な空気に包まれてしまった。ヴヴはこの家の太陽、いやお月様だったんだ。もう、ヴヴは帰って来ないんじゃあないか、もしかしたら死んでしまったのかもしれないと思うと、とっても悲しかった。

                     *

 
春が訪れて樹や草が萌黄色に染まり、やがて夏も真近かになった。

見渡す限りの麦の穂はどんどん伸びていって、刈り入れ時に近づいていた。洗濯物を干したり取り込んだりするとき、真っ赤なケシの畑に眼を移しながら、ルチアさんは溜め息混じりにつぶやくのである。その眼は潤んでいる。
「ちょうど、去年の今頃だったわねえ、ヴヴプリンが来たのは。可愛そうに。ヴヴはまだ生きているのかしら」
 そして、珍しくオレを膝の上に乗っけて、物思いにくれたように優しく撫でてくれるのだった・・・


                      『2』


 車を降りて、枯れ葉をざくざくと踏み散らしながら入ってきたルチアさんは、凄く興奮していた。
夕食のとき、おじさんとジャコモがテーブルに着いた時、高ぶる気持を押さえるのを苦労するかのように、厳粛な口調で話し始めた。
「驚かないでちょうだい。あたし、今日、ヴヴプリンを見たの。絶対ヴヴよ。間違いないわ」
いつものようにはっきりと言い切ると、急に感動が蘇ったのか、ルチアさんはナプキンを眼にあてた。

「学校の帰り、あたしがワイン工場に寄って、箱を車に運んでもらうのを待っていたときなの。何気なく国道の方に眼をやったのよ。そしたら、道の向こう側の草影に猫がいるの。こっちの方を見ているふうだったけど、それがヴヴにそっくりだったのよ。
絶対にヴヴだったわ。あたしがヴヴって呼ぼうとしたとき、トラックが勢い良く走って来て、反対側からも車が続けて通り過ぎて、その後再び見たらもう猫の姿はなかったの。
それであたし、国道を越えて探しに行ったの。何しろあの国道ったら、環状線から別れた後、一直線に伸びているのでめちゃくちゃにスピード出すでしょう。渡るのがとっても怖かった。あたしはヴヴー、ヴヴプリーン!どこにいるのーって呼びながらあっちこっち歩いたんだけど、もう姿をみせなかったわ」

「君の勘違いってこともあるぞ。国道の向こう側にいるんだったら、とっくに帰って来た筈じゃあなかったのかい?我が家から7、800メートルと離れてないんだぞ」とおじさんが言った。
「国道は車がスピード出すから、ヴヴは怖くて渡れないのかも知れないね」
幼いジャコモがアジなことを言ったとき、パオロ小父さんは、おやっと、さも感心したかのように我が子を見た。
「うーむ、凄いぞ、ジャコモ。そうかもしれないな。いや、きっとそうかもしれない」
おじさんはしきりと考え込んでいる様子だった。



昨日もルチア小母さんはヴヴを探しに出かけた。そして今日も・・・
帰って来て、コートを脱ぐのももどかしく、ソファーに座り込むなり言ったのだ。
「二人とも聞いて頂戴。驚かないで。やっとヴヴを見つけたのよ」

小父さんはパイプに火を付けようとしていた手を休めて、おばさんの顔をまじまじと眺め、次の言葉を待つ。
 チビのジャコモときたら、宿題のノートを放り投げて、小母さんの足許に身をゆだねて、聴き耳をたてる。
「ジャコモ、いい子だから、パパと一緒に最後まで聞いてね」
ルチアおばさんは嘆願するように言った。

「国道を渡ってポプラ並木を過ぎて、どんどん東のほうに歩いて行ったら、小さな住宅地に出たの。ほら、煉瓦建ての英国の教会があるところよ」
「随分遠くまで行ったんだな。あの辺りは、英国人がたくさん住んでいるところだろう?」
「そうらしいの。こぎれいな一軒家がぽつんぽつんとあって、お庭もついててね。今の季節には殺風景だけど、あたし憶えている。初夏に通リ過ぎたことがあるけれど、花が咲き乱れていて、平和で洗練された、とっても素敵な所だった・・・

あたしね、そこまで来た時、きっとこの辺りにヴヴはいるんだという気がしたの。なぜだかわからないけれど、こんなに美しいところにヴヴが生きていても、ちっとも不思議ではないと思ったからかしら。

注意しながらゆっくりと歩いていたんだけど、教会の角を曲がったとき、ふっと向かい側の家の方を見たの。芝生のある蒼い屋根の可愛らしい家、多分薔薇づるだと思うけど、びっしり覆われた白いふちの大きな窓ガラスの向こうに一匹の猫が・・・あたし、幻を見ているのかと思った。ヴヴだったのよ!」
感動が蘇ってルチアさんは目頭を押さえた。
  
「ヴヴが前足を綺麗に揃えて、心持ち重心を片方に寄せて、何か尋ねるような、気取ったポーズで座っていた姿、覚えてる?あれ、そのままだったのよ。そしてあの紫色の大きな瞳で外をじーっと見ているの。遥か遠くを見ている夢のようなあの瞳で。あたし、窓の下まで行って、手を差し伸べて夢中で呼んだの。
『ヴヴ? ヴヴプリンね。あたしよ、ルチアよ、あんたのママよ』

そのときあたしの気配を感じたらしく、ヴヴの後ろに若い女の人が姿を現したの」

ルチア小母さんは続ける。
「少し窓を開けてくれたので、『一年前に行方不明になったうちの猫とあまりにもよく似ているので、声をかけてしまったのです。この猫は小さいときからお宅で飼われていたのでしょうか』って、一気にまくしたてたものだから、彼女、とっても驚いたような、警戒するような表情をしてね。でもやがて『外は寒いでしょうから』と親切にあたしを家の中に入れてくれたの。あまり若くはないけれど、大きな灰色の瞳の美しい人・・・そして大きな窓のあるサロンに通されたの。

『ヴヴ、やっと巡り会えたのね』って、窓辺に走り寄ろうとしたら、ヴヴったら降りて来て足許にすり寄って来たの。あたし、もう涙が止まらなくて・・・抱き上げたとき、そのまま連れて逃げ出したいくらいだったわ」

 チビのジャコモが叫んだ。
「どうしてヴヴを連れて帰らなかったの?ママ、どうしてだよーっ?」
 パオロ小父さんがジャコモを膝の上に抱き上げながら諭すように言った。
「ジャコモ、そんなに駄々をこねないで、ママの話をきこうじゃないか。ヴヴは元気に生きているんだよ。嬉しくないのかい?」
「娘さんは年取ったお母さんと二人だけで住んでいて、家の中もいかにも英国調の、しっとりとした落ち着いた感じだったわ。
『ブリアン(ヴヴはそう呼ばれているの)は、私たちの宝物なのです』
お母さんはあたしにお茶をふるまってくれながら、控えめにそう言うの。

あたしがヴヴの生い立ちや、ヴヴをずっと探し続けていたことを話していると、娘さんは涙をいっぱいためて、じっと聞いていたけど、やがて顔を伏せてしまった。あたしも娘さんが肩をふるわせているのを見ていると、ジーンとなってしまったけど・・・

気を取り直した彼女は、
『一年前、大雪が降った翌日の朝早く、ドアの近くで一匹の猫が凍えて死んだように横たわっていたのです。足に大怪我をしていたので、すぐに獣医さんのところに運んで、長い看護のあとやっと元気になったのです』

大きなガラスの破片が後ろ足に深くささっていて、あまり傷が深くて、まともに歩けるまでとっても時間がかかったけど、今では元のように元気になったのだって・・・
『でも、きっと飼い主の方が探しているにちがいないと・・・こんなに綺麗な猫なんですもの・・・あたしと母は、ご近所を尋ねて聞きあたったりしていたのですけど・・・でもそのうち猫も私たちにすっかり懐いてしまって、一年経ってしまったのです』」

黙って聞いていたパオロ小父さんが口を開いた。
「ルチア、もうヴヴのことは忘れるんだよ。幸せに生きていることがわかったのだからそっとしておこうよ」
ルチア小母さんは、ほっと溜め息をつくと、小父さんとジャコモの顔を代わる代わる眺めるのだった。

「まだ、話は終ってないのよ。最後まで聞いてちょうだいな」


「・・・そして娘さんは言うの。
『ブリアンは月の出る夜はちょっと様子が違うのです。じっと、取り憑かれたように月を眺めていたり、無性に外へ出たがったり・・・そう言えば、傷ついて見つかった日の前夜は、雪が止んだあと嘘のように月が出ていたのを思い出したのです。

あの夜は、月の光が信じられないほどこの部屋に射し込んで来て、私はランプを消して、窓辺に立って外を見ていたのでした。きっと私はブリアンを待っていたのですわ。私たちはブリアンと出会う運命にあったのだと、今でも母と話すのです』
そこまで言われて、わたしも黙っておれなかったわ。
『あの大雪の降った夜、ヴヴは美しい自然に魅せられて家を出たのです。そして道に迷い、怪我をして助けを求めていつの間にかここまで来てしまった。ほら、見てちょうだい。また、あたしにすり寄って来たではないの。昔の飼い主を慕っているんだわ。ヴヴは私のもとに帰りたがっているのです』

『この猫はすなおで、優しい人には誰にでも、信頼を示すのです。
・・・私だって、ブリアンを自分の子供のように育てて来たのですわ。私達は来年の二月にはここを引き払って、故郷のリッチモンドに戻ることになっているので、ブリアンも連れて帰ろうと決めていたのです。何て皮肉なこと、もう出発も後わずかという時になって、飼い主の方が現れるなんて・・・』

けなげにも、毅然として娘さんが言ったとき・・・

それまでじっと耳を傾けていたお母さんが、物思いに耽ったように、ぽつんとこう言ったの。
『待つのよ。・・・あの夜のように。そのとき、きっと全てが解決するわ。ブリアンが自分で決めるでしょうから』」

そしてルチア伯母さんは帰って来たのだった。



クリスマスも過ぎたのに、珍しくいい天気が続いていた。
だが、年もとっくに明けて、2月もすぐ手の届く頃、気温は急にさがって、空一面鉛色の低い雲に覆われ、ついに池に薄氷が張り、裏庭のボンプが凍ってしまって水が出なくなるほどになった。

朝、固く凍った地面に雪が降り始めていた。大きなぼたん雪は一日中降り続いた。鉄の門の明かりが灯る頃には外は一面の銀世界と化した。 
ラジオがこの一帯の国道が閉鎖されたことを伝えていた。
真夜中になって、ついに雪は止み、あっと言う間に重い雲は払われて、月が姿を現し、夜空いっぱいに星が瞬いた。

「ヴヴはきっと帰ってくるわ。そうよ、間違いないわ。
ルチア小母さんが、身支度をしながら、自分に言い聞かせるように繰り返した。

                         *



遥か遠くに一匹の猫が姿を現した。紛れもなくヴヴだった。
そしてその後ろから、ずっと離れて女の人の姿も・・・月の光に加護されたように、雪よりも白いヴヴは、ゆっくりとこっちに向かって歩いて来るのだ。時々立ち止まってあたりを見回し、空に向かって首を掲げ、そしてまた数歩。未知の世界に足を踏み込むように用心深く・・・

やがてオレの姿に気が付いたのか、ヴヴは立ち止まった。ちょうど、国道のあるあたりだ。 
ヴヴはじっとこっちを見ている。思い出そうとしているのだろうか。

冗談はよしてくれよ。サングを忘れるなんてことがあるのかい?
ヴヴの眼は明け方の露のように輝いている。
やがて慎重に一歩前へ進み出た。そしてオレも。又,一歩・・・オレ達の間隔は数十メートル、そして数メートルの近くまでに狭まった。

鼻の先がほとんどくっつけ合うほどに近かまったとき、野草の花の蕾みのようなヴヴの匂いをかいだ。
ヴヴ、お前は何て綺麗なんだ。

「ヴヴ、久しぶりだな。お前、本当に月の王子様みたいになったな」
オレたちは体をすりよせ、鼻をくっつけんばかりに、夢中で匂いを嗅ぎあった。
「さあ帰ろう。ルチアおばさんもパオロおじさんも、ジャコモも、みんながヴヴが帰って来るのを、首を長くして待っているんだよ」
遠く離れたところで、ルチア小母さんがマントにくるまって、かたずをのんで立っている。時々,まっ白な息を吐きながら・・・その数歩下がったところにパオロ小父さんも。
vuvu 2

「なにをぼけっとしているんだよ。嬉しくないのかい?明日から楽しい事がいっぱいだ」
オレとヴヴは体を擦り合わせるようにして、おばさんのほうに向かって歩き出した。ヴヴの柔らかく暖かい体のぬくもりがこっちに伝わってくる。ヴヴにしたって同じ事にちがいない。オレたち兄弟なんだから。これからはいつも一緒なんだ。

ついに小母さんと僅か10数メートルの所まで来た。
ルチア小母さんはもう我慢できなくなって、手を広げてヴヴに走りよろうとした。おじさんがそれを制した。
「ルチア、待つんだよ。ヴヴがたどり着くまで」


そのとき・・・  
ヴヴがふと、座り込んでしまったのだ。どうしたんだよヴヴ?さア,行こう。
ヴヴはもと来たほうを振返った。
星屑の中に溶けてしまいそうな遥か彼方で、女の人が手を振っていた。

 『ブリアン、さようなら』

ヴヴは身動きもせず、じっと 彼方を見ている。

 『幸せになってね,ブリアン』

ヴヴは立上がると、再びオレに体をこすりつけてきた。綺麗に曲線を描いた尾が、やわらかくオレの鼻先に触れた。
 それは優しい別れの挨拶であった。

ヴヴは、もと来た道を歩きだした。自分の足跡に忠実に従うように・・・

暫く歩いた後、立ち止まって振返る。そして、じっとオレ達を見つめていたが、再び前へと・・・そしてもう、二度と後ろを返り見ようとはしなかった。

「ヴヴ、行ってしまうの?」
呆然と立ちすくむルチア小母さんの震える肩を、小父さんはしっかりと抱き締め、無言のまま、ヴヴを見送っていた。

やがて小さな白い姿は女の人に抱き上げられた。



ヴヴ、達者でな。あんまり夢ばかり見て、人騒がせするんじゃあないぞ。


                 (『月夜のヴヴプリン』おわり)
                         
      
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| 猫が語る10の物語 | 00:23 │Comments0 | Trackbacks0編集

perusya


第一話 コーヒーはいかが?


ややっ!

バルコニーのバジリコもパセリもクチナシも、霜を冠ったようにまっ白けなのだ。

何とそれは積もり積もった猫の毛らしい・・・のであった。


上のほうから、ミャーオー。

すぐ上、4階のバルコニーの鉄格子の隙間から、一匹の猫が首を突き出してこっちを見下ろしている。
初めてお目にかかる猫・・・うーむ!犯人はおまえか?


逆光ではっきりとは分からないが、ペルシャ系の毛フカフカの大猫。

多分、淡いグレー?

すごく値の張る猫って感じ。普通の雑種しか飼った経験のないボクは,このびちゃっとへしゃげた顔が苦手だ。
そこへもう一匹、ピンク色のもっと小さなペルシャ猫が割り込んできて、顔をのぞかせる。何とも奇妙な光景だ。

2匹とも物珍らしげにボクを見おろしているのだった。



男がバルコニーに現れたので、ボクは反射的に身を引っ込めた。

またまた猫の毛を冠らされたらたまったもんではない。

男は白っぽい布をぱっぱっと叩いて家の中に入ってしまった。

真下からなので、顔は見えない。

降ってきたのはパン屑だった。
やれやれ、これから先どうなるんだろね。

peru.jpg


そんなことがその週だけで3回もあった。

バジリコ、パセリその他、人間の口に入る物はすべて急遽台所の窓辺に非難。

一度、午後のパッパッパの直後、殴り込み(実はただの抗議だけど)にボクが上がっていったとき、髭づらのぽちゃりした若い男がドアを4分の1だけ開けて顔をのぞかせて、ぼそぼそっと「わかった。わかった、安心したまえ」
そしてドアを閉めてしまった。

そして翌々日また、猫の毛とパン屑、爪楊枝までも、我がバルコニーを覆った。

また抗議に行ったら、例の無精髭の丸顔が二匹のペルシャ猫を両腕にだいてドアを開けた。そして可愛いだろうって言わんばかりにチュチュッと、頭にキスをしながら、分かってる!と言うようにうなずいて、ドアを閉めてしまった。

こいつ失業中?
このおにいちゃん、ちょっとアタマに欠陥が・・・




一階にアトリエを持つ画家のZと、真向かいのBARでアペリティーボとポテトチップをバリバリやりながら、だべっていたときだ。

いきなり彼はあごをしゃくり僕の肘をつっついた。

「おい、あの女だよ」
「何が?」
「猫の毛降らせるお前の上の住人だよ。バルバラっていうんだ」

この無名画家、アパート住人のことなら何でもかんでも知っている。ここに移って来てたったの2年しか経っていないなんて、とても思えない情報魔だ。
「へえー?」と答えて,女の姿を追う。

サングラスの女は進行方向とは逆に止めてある車に乗り込もうとしていた。

ボルドーカラーのランチャ。

女はドアを開けて、乗り込む前になぜかこっちを見た。

ボクを見ているようにもみえた。
やせたいかにも気のきつそうな女だ。
すらっとしていてセンスはまあまあってとこ。白いブラウスと黒のパンタロンが、ボルドーカラーによく合っている。


彼女はすばやく車に乗り込むと、ドアをバタン!と乱暴にしめた。

エンジンをかけると、いきなり逆に走り出したので、向かってくるタクシーとぶつかりそうになったが、強引に急斜めに反対側に行こうとする。

窓があいて、運ちゃんが大声でののしった。

Puttana Eva!!

随分下品な辛辣な言葉だが、運ちゃんの怒りも分かる。

だが、いっこうに無頓着、女の車は遠ざかって行った。

ボクは何とも憂鬱な気分にならざるをえなかった。 



門番のおかみさんが言った。

「あなたがとっても迷惑してるって、バルバラさんに言っときましたよ」
「ご親切にありがとう。彼女なんて言ってました?」

「あたしだって、うるさいオペラで、寝付きが悪いのよ。お互い様でしょ、だって」

何だって?

一度、CD止め忘れて、夜中の3時までマリア・カラスが派手にやっていたことあったけど。
たった一度だけの過ちだった、一度だけの。

「3枚もペルシャ絨毯もってるらしいの。猫の毛が充満すると、弟さんがバルコニーで、ぱっぱっとやって、ネ。分かるでしょ?」

「掃除機くらい持ってるんでしょう?ぱっぱってやらなくたって、シュッシュって」



<バルバラ夫人へ。
猫の毛でとっても迷惑をしています。
もう夏も近づいているのに窓も開けらないのです。
あなたがやめてくれないのなら、警察に訴えます。
それでいいのですか?   K>


ボクは手紙をしたためて、彼女の郵便受けに入れた。
いよいよ戦いは始まったぞぉって感じだ。
これからは敵と敵、エレベーターで一緒になっても、じろりと一瞥するだけで、知らん顔。議論は無用。弁護士を立てて解決してもらいましょう!

考えるだけでうんざりしてしまう。




2日後、バルバラからの返答の紙片を郵便箱に見つけたときは、ちょっと緊張した。

<Caro Kenji
(Caro?親愛なるケンジだって?これまた随分馴れ馴れしいではないか)

ごめんなさいね。
あなたがとっても迷惑しているってこと、よくわかっているの。

いつもお詫びに伺おうと思っていながら、新しい仕事にかまけて、そのままになってしまって・・・

お願いよ、もう少しだけ辛抱していただけないかしら。

猫は弟のものなの。弟にはこの猫たち画大切なの。

私はたびたび掃除機で毛を取っているんだけど,間に合わないのよ。

だけど、もうしばらくして弟にはトスカーナの施設に入ってもらうので、それまで我慢してね。


あなたはグラフィックデザイナーなんですってね。
お仕事頑張ってね。

バルバラ>



人のいいボクは、ついぐらぐらっと来てしまいそう。 

翌日門番のかみさんが言った。
「そんなに悪い人でもなさそうよ、バルバラって人。とっても弟さん思いで」



お近かづきにバルバラをコーヒーにでも呼ぼうかな。

「バルバラさん。コーヒーを一緒にいかがです、我が家のバルコニーで?」(K)


アパートに住むと必ず起こる日常茶飯の出来事を書きました。ボクも苦労したことたびたびです。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

第2話 千春さんとニコライ氏のペルシャ猫
赤の広場
                          
 ペルシャ猫を二匹飼っている歌手の千草嬢から帰郷中彼らの面倒を見て欲しいと頼まれた。8月、彼女はスカラ座合唱団員の婚約者と二週間ほど島根に里帰りするとかで,その間、我が家で預かってもらいたいと電話をかけてきたのだ。
 でもその頃のボクは、我が家の猫、パンと弟分のノリ助が手を取り合って家出をしてしまった直後で失意と虚無感が大きく,人様のネコを預かるなんてとてもって心境だった。           
 しかもその頃住んでいた安アパートは五〇平米と小さく、大型のペルシャ猫二匹を預かるなど、想像しただけで身がすくむ思いだ。
 自分が飼っている猫なら、部屋中ピッピーをふりまかれても、吐かれたり植木をひっくり返されたりしても,何とか我慢はできる。これも猫好きの運命だと受け入れて。
 でも、よそ様の猫・・・
ペルシャ猫は毛が長く多くて、脱毛は凄いに決まっている。
 普通の猫だって夏はそうなのだ。しかもうだるような時期に。
 それを言うと、千草嬢、
『預かってくださるならバスルームの中でもいいのよ』
 平然と言い放ったのだ。    
『バスルームの中だって?』
 哀れなネコ達は二週間もバスルームの中に閉じ込められているってことなのだろうか。
 彼女、正気なのかな?
 猫も僕も気が狂ってしまうだろう。
 そしてだ。こっちが用足しにでも入いろうものなら、ハーッ、爪を立てて飛びかかって来るのでは・・・
 ボクは隣の家に駆け込むだろう。
「シニョーラ・マリーザ、トイレ貸してください~ッ!ああ、もう・・・」
「あらまあ、お宅のトイレ故障なの?」
「いえ、今、猫が使用中でしてェ~ッ!」

 僕はガン!として断った。失望する千草嬢。
彼女が気の毒で、結局、ボクは毎日ポンコツでミラノ市内を東から西に横断して、彼女の家まで餌を与えに通うことを申し出たのである。
 八月はヴァカンスで人も車も少ないから、片道四〇分足らずか。幸いミラノは大きくない。
 二匹のペルシャ猫は何とかいう純血種だそうで、その見事な毛並みとオパール色には見とれてしまうが、僕はあのぐしゃっとつぶれた顔が苦手だ。いつも怒ったような顔しているし、どうして鼻があんなに上についてるのだろう。
 猫であれ牛であれ、ボクは整った美男美女型を好むのである。
 専門書には、ペルシャ猫は一般におおらかであまり構われるのを好まないとでているので,ちょっと安心する。(雌の)爪もちゃんと切っとくわ、と彼女は言った。
 [性格はそれぞれ違うの。テオドールはおっとりしているけど、雌のフィクセーニアのほうが何とも気がきついの」
 込み入ったお名前。寄りによって何でこんな名前を?
 実は、ロシアの作曲家ムソルスキーのグランド・オペラ『ボリス・ゴドノフ』の皇太子と王女様の名前なんだそうな。
 イタリア人の旦那は半分ロシアの血が混じっているとかで、ロシアは第二の故郷。名前だってロシア読みに、ニコラをニコライと呼ばせているほどなのだ。そして彼の最も敬愛するオペラが,この『ボリス・ゴドノフ』なのだそう。ボクもスカラ座で見たことがあるけど、長ーいながいオペラだった。物語りもすっごく込み入っていて難解きわりなかった。
 猫ちゃん達のなまえ・・・ピンケルトンとチョチョサンだったら、ボクだって簡単に覚えられるんだけどね。
まきこさん 2

 彼らが出発した翌日。
 留守の人様の家にそっーっと入るのはよい気持ではない。ミラノに来て初めての経験だ。

「お邪魔しまーす」

 この匂いは何だろう?猫の匂い?ウンチの匂い?毛が長いからお尻の回りにくっついているのかな?夫妻が出発してまだ一日も立っていないのに、ねとッとした蒸れた匂いが鼻をかすめる。ミラノの真夏は猛烈湿度が高い。  
 猫どもの姿は見えない。まず窓をいっぱいに開け空気を入れ替える。
 ご飯用にお皿が二つ並べてあるので,指示されただけの量を盛りつける。ピンクとグリーンの器。水用の器は共用。
 いつの間にか皇太子と王女様はグランドピアノの上に乗っかって、おこってるのか笑っているのか分からない顔でご飯と僕を代わる代わる眺めている。

 準備ができても動こうとしないので、サロンで本でも眺めているふうをする。さすが、ムソルスキーはじめロシアの作曲家のオペラの楽譜 や写真集、解説書などがいっぱい。夫妻の旅行写真が飾ってある。サン・ピエトロブルゴらしい風景。

『ペルシャ猫の飼い方』という本を見つけたのでパラパラっとページをめくる。

<眼と鼻の距離が短いため、器官が詰まりやすいので、涙をきれいに拭ってあげてください>

やれやれ、大変だね、ペルシアーノを飼うのも。
<とても長いもつれやすい毛なので、毎日朝晩必ずコーミングが必要。鼻が短いので食べるのが下手です。食後は必ず口のまわりを綺麗に拭いてあげること>

 はじめの四、五日間、猫達と情愛を交えるまでには至らなかった。ガツガツ、なりふり構わず喰い終わると、プイっとどっかへ姿を消してしまうのだ。千草嬢は感謝の気持ちを表現する教育はしなかったのかな?

 テオドーロは段々とボクに近づきはじめた。
ボクが訪れると、尻尾をすりつける。可愛い。へしゃげた面もご愛嬌に見えて来るというものだ。
フィ~ィ~・・・フィクセーニアはそうはいかない。そっくりだから、間違えて抱こうとしたら、ハーッときやがった。
 食欲のほうは、雄、テオドーロ以上だ。

 話が前後するけど・・・
 日本への出発の前日、アパートの鍵を届けにきてくれた千草嬢が言った。
「もし出来ればだけど・・・毎日だいたい同じ時間に来ていただけないかしら?」
「あ、そう?何時くらいに?」
「我が家では毎朝,八時かっきりにごはん与えてるの。ニコライがとっても几帳面で、これは彼の仕事なの」
 ちと早いけど,まあいいや。その方が涼しいもんね。

「お宅のネコちゃんは規則正しい生活に慣れてんのか」
「あらっ!それ、とっても大切なことなのよ。ネコにとって規則正しい生活は」

 知らないのォ?あんた、それでよくネコ飼えるわねェって、口調なのだ。
 でも、キミ、トイレに閉じ込める気だってあるんだろ?要するに飼い主の感性と習慣の相違なんだ。
 ボクの猫飼哲学はこうだ!
 ネコはもともと野生の動物。基本的に決まったごはんの時間なんてなかったのだ。
ボクも駆け出しフリーデザイナー。食事の時間なんて決まってない。そのときの都合と気分と胃袋の加減で1~2時間早くなったり遅くなったりは毎度のことだ。忘れてしまうことなどたびたび。ネコ達も右ーィ、習えってこと。

 perusia.jpg
       
 さて、ある日、千草嬢のアパートに午後四時ころ行ったことがある。まる八時間の遅刻だった。朝6時半発の日帰り出張でボローニャまで出かけ、どうしても時間が取れなかったのだ。

 ドアを入るなり、方っぽうは待ってましたとばかり体をすり寄せてきた。
「ボクお腹すいてるよー、ミャオ~ミャオ~」
 悪かったな、勘弁してな。
 だが、フィクセニアのほうはハーッと牙をむき出して、遅メシに抗議するではないか。

 お前ら、たまにはこんなこともあるってことも、経験するんだ。
 ネコは水さえ飲んでいれば3、4日くらいは平気で生きているって、専門書に書いてあったぞ!もともとおまえらは大げさな奴。半日遅れても3日くらい食べてないみたいな悲壮な声で迫ってくる。オレは充分知り尽くしている。ダマされないぞ。
 まあ、明日はいつもの時間に来るから、ハーっなんてするの止めてくれよ、ニャ。(完) 
      

ひとこと その後、千春さん(仮名)ともご無沙汰していたが、最近、ぱったり出会いました。旦那も定年になって、ヴェネト地方で畑を耕して二人でのんびりと田園生活を送っているとか。前のペルシャ猫はとっくに死んでしまい、新しい猫はやはりペルシャ猫。あの、へしゃげた顔が苦手だと言ったら、『そこがいいのよ』と笑っていました。

| 猫が語る10の物語 | 17:24 │Comments0 | Trackbacks0編集


ネコもらいます def


決心する。又、飼うぞ!
6ヶ月前カロータがあの世に行って、『もうネコは絶対に飼うまい!』涙涙で決意したのに、長続きはしなかった。

何処からもらってこようか?今まで飼った4匹は,コモ湖の知人からもらっていた。この家族は大きな庭を持っていて,ネコはひっきりなしに子供を生んでいたから、気に入ったのを貰っていた。でもこの家族はもういない。

インターネットで『猫もらいます』を検索してみた。,あるある!

MONDOGATTO(猫の世界協会)
ADOTTAMI(ボクをもらって協会)
AMICIMICI(子猫のお友達協会)
などなど。

橋の下で生みおとされたネコたち、下町の工場の片隅でひっそりと生を受けたネコたち、そんな彼らの未来の幸せを願って、一生懸命もらい手を探す人たちがいることを知る。
幸せな家庭のネコから生まれて来た子もいるが、星の下で生まれたネコの方が多いんではないか?って気もする。

愛の手を待つネコ達の写真もいっぱいだ。
4歳、5歳の円熟した?ネコも顔を並べている。
「外国に移住することになったので,このネコをもらってください。性格は至って従順で甘えん坊なのです」
「女房が亡くなって、わし独りで猫の面倒を観る自信がない。貰って欲しい」
「わたしはネコを飼って2年経つけど、ネコに夢中の自分に疑問を持つようになった・・・」
彼氏かネコか、決断を迫られて悩んでいる女性もいる。

片耳がないネコ,片目のネコも。
はっとするような,神秘的な3歳の三毛ネコが,実は膀胱を煩っていて、おしっこがうまくできないとか。
「お願い!このネコちゃんを見捨てないで!」

「子猫もらいます。生後2ヶ月。赤の虎猫。しっぽが長いのが理想」
などと、ボクはあちこち書き込みをする。返事が来るのだろうか?


そして・・・
行動開始の第2日目にすぐにメールがはいる。
うーむ、ついてるぞ!

このネコ、60ユーロだって?。
値段がついてるってことは、トクシュなのかな?
だとすれば60ユーロは安すぎる。
チェルトジーノ(ロシアンブルー?)などは、500-800ユーロぐらいするのが相場らしい。
僕だって、チェルトジーノを飼ってみたい。その愛らしさは何とも形容しがたい。
でも,もちろんそんな余裕もないし、金を払って猫を飼うことに疑問と抵抗を感じるのだ。
相互(探し手と貰い手)の出会いがあれば、ユーロは不必要。
草むらで捨てられていた雑種だっていいのだ。尊い命には変わりないのだから。

でも・・・
たったの60ユーロならいいことにしようか。時間をメチャつぶすのがもったいないしね。
自分はフリーのイラストレーター。猫がいなくたって、徹夜続きってこともあるのだ。

電話をかけてみる。
電話に出た女性と話しがついて、さっそく午後3時に見に行くことにする。

暑い!すでに7月に入っていて、雲一つない34度の北イタリアの午後。
ミラノからコモ湖に向っての途中のブリアンツァの乾いた片田舎道を走り回る。探しに探してやっと見つかった小さな一軒家。
籠も用意してきた。ベルを押すと若い背の高いカップルが出て来た。2人とも30そこそってところ?日焼けしていて片田舎の善良な若夫婦って感じだ。彼女は、子猫を抱いている。
ネコ探し2

「これよ」彼女はニコニコ顔で言う。
「・・・これ?この猫、写真のネコ?」
「そうとも、おんなじネコだよ」と彼。
信じられないなあ。写真の方がずっーと立派だし可愛かった。目のあたりにぶつぶつの斑点があるのが気になる。それにしっぽが短い。でも、抱いてみる。
子猫は弱々しく,訴えるように泣いている。

「ちょっと考えさせてくれないかい?その気になったら明日、電話するよ」
「いいわよ」「いいとも」
不思議なくらい悪びれたところが全くないカップル。
「このネコ、60ユーロの値段がついているけど、特別な猫?(そうには見えないけどね)」
「普通の雑種よ。お金を払ってくれる人は、一生懸命、真剣に育ててくれると思うからよ」
そんなもんかな?
「僕にとって、タダでもらったネコにでも、700ユーロ払ったネコにでも、そそぐ愛情は同じなんだな」
カップルは、悪びれずにうなずいている。
そして子猫のお母さんネコを紹介してくれる。びっくりするくらい大型の三毛だ。
我が子を奪われることへの関心や不安は全くなさそうで、くりくりした瞳は可愛い。

その日から、ボクの本格的ネコ探しが始まったのだった・・・

パオラという名前の女性からメールが入っている。
「あなたの探しているタイプが2匹います。関心があれば電話してみたら?番号は、携帯3258・・・」
さっそく電話を入れると、用心深そうな中年女性の固い声が答えた。
「どなた?」
「パオラ夫人のご紹介で実は・・・ネコを見に伺ってよろしいですか?」
しばらくの沈黙。未知の人間、しかも外人とわかれば,用心深くなるのは当然だろう。
「・・・では今日,午後3時に伺います。ネコ、早くみたいので」

ミラノ市の最南部。燃えるような緑の中にわりと新しい高層アパートが連なっている。
木陰に駐車して目的の家に向かった。
ブザーを押すと、ドアが開いて背の高い痩せた女性がたっている。年頃は50代半ば?
彼女は疑わしそうに僕を凝視していたが,怪しいたぐいではないと判断したのだろう。
『さあ、お入りになって』
僕が籠をさげているので、鋭い調子で、
「あら、今日すぐにはネコはつれて帰れないわよ」
え?どうして?
「書き込み用紙に書き込んでもらって、こちらで見当させていただくの」
そんな!(たかがネコ一匹に?)
「それに、ネコを飼うためにふさわしいお宅かどうか知るために、前もって見せて頂くことになっているのよ」
家庭訪問まで?妙な気分になる。

とにかく,ネコちゃん見せてくださいな。見たい!諸問題はその後で。

スージさん(彼女の名前)はバスルームに案内してくれる。
午後の日差しでいっぱいの広いバスルームの一画に、小鳥が10羽くらい楽に飼えそうな、四角い鳥かごが置いてあり、すみっこに2匹の子猫が寄り添っていた。
これぞ、ボクが望んでいた赤毛、虎猫なのだ。申し分ない。
彼女は檻から一匹、雄ネコを取り出しボクに抱かせてくれる。
子猫は泣きもせず、ボクをじっと見つめているだけ。ちょっとおびえた感じもするけど・・・蒼い瞳は大きく見開かれている。

この分だと2ヶ月足らずかな?かわいい、つれて帰りたい。おまえを幸せに出来るのはボクだけだよ。
「つれて帰りたいなあ」
「すぐにはダメだって言ったでしょ」
つれてかえる

「このネコちゃんたち、お宅で生まれたのですか?」
「いいえ。レッコ市(スイスに近い北部の街)の川縁からメンバーが拾ってきたの。その辺りでは野良猫が頻繁に子供を生むらしいの。放っとくと飢え死したり、鳥やネズミに食べられたりする可能性があるし、見つけ出してこうしてもらい手を探すのが,私たちの仕事よ」
メンバーとは・・・
ネコが好きで可愛くて、ネコのためにだったら何でもしたい、何かしたい人のグループのメンバーとのことなのだ。
彼女ら(ほとんどが女性)は、市内だけではなく州全体にわたって網を張ったように連絡をとっているとか。
100%のボランティア。

「3階ですって?バルコニーはあるの?」
「バルコニーは3つあります」
我が家にバルコニーが3つあるのは、ボクの自慢にしていることなのだ。
バルコニーが3つ、日当りがよく、風邪通しもよく、並木の緑で通りの向かい側が見えなくなるほど...が、ささやかな我が家の良点。
「まあ!ネコが落っこちたらどうするのよ?」
「落ちる?一度、キッチンのバルコニーから、落っこちたことがあるんですよ。朝早く,ホシムクドリが飛んで来たのを捕まえようとしたらしいのです。雨上がりで大理石の手すりが濡れていて,つるっと滑っておっこちちゃったというのがボクの想像。ところが下のアパートの洗濯物の紐に引っかかったらしくて、スピードが落ちて怪我はまったくなかったのです。一階の家のテラスの大きな鉢植えの中にはまっちゃって、泣いているのを助け出したんだけど、つれて帰ってきて興奮してたのは一時間だけ。しばらくするとケロッとして玉転がしなんかやっているので,こいつ、後遺症になるってタイプではないんだな、なーんて。アハハハ。それに一回失敗したら絶対テラスに上ったりしないのだから、ネコの用心深さはすごい。」
他愛なく我がカロータの失敗談を話していたつもりだったが,スージさんの顔が険しくなるのをもっと早く気がつくべきだった。
彼女はむっつりして、書き込みの用紙をボクの前に乱暴に差し出した。
誓い

氏名、アドレス、そして市が発行する身分証明書のフォトコピー・・・
・・・まではいいとしても、Codicefiscaleのカードのコピーまで。
このカードはイタリア人に限らず,在住外人まですべての人間がもっていなければならない番号カード。
アパート入居、税金申告、健康保険、入院、クレジットカードの申請はもちろん、車,テレビ、コンピュータの購入にいたるまで、必ず提出しなければならない番号なのである。

こんなもの・・・ネコと何の関係があるんだね、
でも黙っている。失格になったらたいへんだもの。そしてまだあるのだ。
予防注射、去勢手術済みの証明書のコピーにいたるまで。
その上、家まで点検されたんじゃあ,せっかくもらっても、自分のネコって実感が湧くだろうか?

バルコニーの手すりに飛び上がるのを見るにつけ、下痢をするにつけ、スージおばさんの怖わーい顔がボクを脅かすのではなかろうか・・・

最後に・・・
『ネコの寿命を15-20年と仮定して、あなたの年齢を考えていますか?』

現在61+18歳(ネコの寿命)=79歳!
うーむ、ワシはそれまで生きているのじゃろうかの。
「でも、引き取ってくれる人がいれば、いいのよ」と、スージさん。その人の『承知しました』というサインが必要とのこと。
独り者にネコをあげるのを(または売るのを)嫌がる人はいるってことは知っていた。

その書き込み用紙を貰って、その日はとにかく引き上げることにする。変な気分だ。
ネコに別れの挨拶をしに再びバスルームへ。可愛い。ぱっちりと見開かれた眼が僕をみあげる。

・・・もしかしたら、僕たちはもう巡り会うチャンスはないかもしれないネ。
後ろ髪引かれる思いでバスルームを後にした。
玄関のドアのところでスージさんは言った。
「バルコニーに金網を張りなさい。話はそれからよ」
そして、
「あなたはとってもユニークな方だし、ネコを可愛がる人のよう。さし上げたいのはやまやまだけど、猫の安全がまず第一なのよ』
 
スージさんを紹介してくれたパオラ夫人にメールを書く。
「僕はどうやら失格したようです。残念。こんなに厳しいとは。でも、別を探しますからご心配なく。良い勉強になりました。」
一目惚れした子猫が自分のものにならなかった幻滅は大きい。
決着を付ける意味と、腹いせも少しばかりあって,送ったメールではあったが・・・

30分後に返信あり。
「失格などしていません。スージはあなたのこととっても気に入ったようです。とにかく、代理人をあなたのアパートに送りますから,それから決めましょうよ」
やっぱり、家を見に来ることには変わりないのだ。
見に来られたって,都合の悪いものなど何もないが,そこまでこだわる彼女らのシステムに納得ができないのだ。
それに、3つのバルコニーの一つでも、網をはることなどもってのほかである。
それで,丁寧に断りのメールを送る。

                       
別のご夫人のメールが入ったので電話をする。
「とっても可愛いのが6匹も生まれたの。他にも数匹いるんだけど・・・2匹貰っていただきたいの。それがわたし共の条件よ」
「2匹はむりですよ。1匹だけ」
「可愛そうよ。独ぼっちでは」
「独ぼっちではありませんよ。僕がいます」

また、別の電話が入る。
「母親ネコも一緒に貰ってくれる人を探しているのよ」
えーェ?母猫もいっしょに?
「姑めの面倒まで見れってこと?それはちょっと・・・ぶくぶく太った姑ネコ。子猫にちょっと触っただけでも牙剥いてハーッ。親子ネコに我が家を占領されたらどうしよう!」
マンマネコ


彼女,ぼくのたわごとを聞きながら声を上げて笑っている。
「母ネコはまだ,一才半なの。とっても奇麗なネコ。うちの孫がネコアレルギーだと分かったので、もう猫は飼わないことにしたのよ」
じゃあ,避妊手術はしてないのですね。我が家はアパート3階で庭はありませんから、欲求不満で大変でしょう。
子猫だけならよろこんで。


クレモーナのM夫人から電話が入った。
「ロディにとっても奇麗な赤ねこがいるんですって。わたしの面識のない人だけど,興味があるなら電話してみたらいかが?」
ローディはクレモーナ市の10キロくらい手前の古い街である。
もう木曜日。何とか今週中に猫問題を解決してしまいたいとの焦りもあるので、行くことにする。

紹介してもらったS奥さんは凄い乗り気で、日本人と話が出来るのが楽しみなの、などという。
ところが、ロディ市に入って道をまちがえ、お互いに携帯で何回もやり取りしている間に,ますます迷路にはまり込んでしまった。
そして・・・
信号待ちの前の車、オペルと正面衝突寸前,急ブレーキ!
バッグや帽子やボトルなどが,前にすっ飛ぶすさまじさ。超クーラーなのに冷や汗が。心臓がドキドキする。ねこ探しに我を忘れて奔放している自分。頭を冷やす必要がある。オペル追突寸前のブレーキは警告なのだ。
携帯が鳴る。
「今どこにいらっしゃるの?」
「奥さん!ミラノにもどります。運命です。お宅の猫と僕の巡り会いはあり得ないないのです。ごきげんよう」などと馬鹿げた言葉がほとばしり出る。相手の沈黙。そして、
「・・・お好きなように」
しらけた声を聞きながら電話を切った。
もう,猫探しは止めようと決心した・・・


のだったが・・・
ブレッソというミラノ郊外の小さな街の女性から声がかかる。
これが最後と、性懲りもなく出かける。
灼熱の環状線を突っ走って、行きついたところは・・・

その女性は犬・猫用の食料品や砂、籠などを売る店を経営している若い人だった。
彼女は捨て猫や子犬の飼い主を探す奉仕にも携わっていた。

店の中は臭くて5分もいるのが精一杯って感じだ。
彼女はMacを開けて、情報探しをやっていた。捨て猫,捨て犬の貰い手探し。ボクの所在もこうして見つけたのだろう。
臭い店の中に相応しくなく、見事なロングヘアの洒落た感じの女の子。大学に通いながらこの仕事をしているという。
それにしても、こんな臭いところにいて平気なのかな?慣れって恐ろしいものだ。
家では5匹猫を飼っているとのこと、へーえ・・・

おめあての赤ねこは痩せてしっぽは短く,すごく臭そうだったが抱いてみた。
一見見栄えのしない子猫だったが、愛嬌があった。檻の中に戻したとき、その小さなしっぽをピンと上げて、僕を見あげた。互いの眼がパチン!と合った感じ。

それから子ネコは同僚達が食べている餌のほうにと元気に走って行く。
そのとき、この猫,貰って行こうかな?ってぐらついたが、ちょっと考えさしてと言って店を出た。

ネコ通の友人に電話したら、『お前はバカだ。つれて帰るべきだったんだ』という。友人は眼と眼のパチンにこだわっているのだ。これぞ最高の出会いだという。

一日中あのむれた悪臭が鼻をつき閉口した。
なんと、子猫を抱いたあたりにべったりとにおいが付着していたのだ。
その夜は、その猫のことをずっと考えつづけた。


翌日、土曜の朝、姑ネコまで押し付けようとしたG夫人から、改めてメールが入る。
「母親ネコの貰い手がきまったの。だから、ご希望とおり子猫だけ。今日の午後2時、サン・ドナートの市役所の前でおあいしましょう」

そして,僕はまたまた炎天下の環状線を車を飛ばし、指定の市役所前まで行った。
午後2時の炎天下、土曜日なので広場は眠ったように静まり返っている。
約束の時間かっきりにボルドーカラーのランチャが現れ、ボクのところで急停車した。

G夫人は、『早く早く、時間がないのよ。シエナのパリオ(中世の乗馬服を着けての伝統的競技)の中継が始まるの』などと言い、抱挨拶もそこそこに、ボクの持って来た籠の中に無理矢理子ネコを押し込んで、そのまませかせかと又、車に乗り込んで行ってしまったのだった。
ほんとうにあっけない一瞬だった。
こういうことには、イタリア女ってすごいのだ。

子ネコはもう3ヶ月はゆうに経ってるのは一目瞭然。
ちょっとがっかり。2ヶ月くらいのが欲しかったんだけど・・・だけど後の祭りである。
でも、カロータ(一昨年17歳で病死)に生き写しで可愛く品がある。だから、一応合格、と言うべきか。
正直言って、もうしょうがないって気持ちも。
眼はブラウン。翡翠色?カロータはグリーンだった。

車の中で小さく泣く子ネコ。
家にもどって,籠から出したら、いきなりボクのベッドの枕の上で、ブリブリニューっと、ウンチをされて唖然!
臭いっ!籠から出してすぐ、砂箱に連れて行くべきだったのだ。
ネコを飼った経験は今までに4匹。彼らは我が家に来たときはすでに躾けられていた?
教育が必要だって?教育しなくたって、ネコは自分で学ぶものと思い込んでいた自分なのである。

おしっこも2回,サロンの板張りの上でピピーッ。
こんなはずじゃあなかった。これから先が思いやられる・・・と深刻な気持ちになる。
あの奥さん,逃げるように去って行ったが、もしや?
このチビの悪癖を百も承知で、こっちに押し付けてずらかったのじゃあなかろうか。
怒りと失望!

翌日、目が覚めてサロンで再び愕然とした。
ソファーの上に置き忘れていた革製のショールダーバッグに、またまたべちゃっとウンチを見たのだ。
こんな病癖を持った奴とこれから15年20年とご一緒することを考えただけで,鬱病になりそうだ。

獣医に電話したら、ワハハハッと笑って,『よくあることだよ、まだ子猫なんだから』と言われてちょっと気が楽になった。

名前をHofy(ホフィ)とつける。
「何処からそんななまえが出て来たの?ちょっとイタリア的ではないね」
とみんなに言われる。
由来はこうである。
昨年の秋、永久滞在書を紛失して警察署で作り替えてもらったとき、僕の出生地の『HOFU(防府)』を,係員がミスプリントで『HOFY』にしてしまったので,笑ってしまった。そして新しい猫のなまえに使わせてもらったというわけ。

ともかくホーフィーは、7月3日、土曜日に我が家の一員となった。(おわり)

最後まで読んでくださってありがとう。
次のチャンスには、幼きわがホフィの体験談などを書きます。
お楽しみに。   けんじ










| 日記風・猫ホフィと我が耳のこと | 11:27 │Comments0 | Trackbacks0編集

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すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

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