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デ・ロッシ氏のアパート(3)


 ある午後のことである。
 仕事をしているとブザーが鳴ったので受話器を取ったら、たどたどしいイタリア語の女が言った。
その声に聞き覚えはなかったが、見当はついた。
「わたし、鍵を忘れたの。開けてちょうだい。」
「・・・携帯電話で呼びだしたらいいでしょう?」
「あたし、携帯電話忘れて来たの」
「じゃあいいですよ。でも、名前くらい言ってくださいな。何階に住んでいるのですか?」
 意地悪く、僕はそうたずねた。

 ちょっとの間の沈黙・・・受話器の中の大通りの騒音を聞きながら、僕はブザーに口をよせた女が躊躇している姿を想像した。また、女は同じ言葉をくり返した。
「わたし、鍵を忘れたのよ。開けてちょうだい。」
 嘆願するような女の声に負けて、僕がボタンを押すと、女はホッとした声で「ありがとう」と言ったのだった。

 僕はそっとドアを開けて外へ出ると、手すりに身を隠して女を待った。
 ただ、どんな女か見たかっただけだ。
 エレベーターは使わずに、コツコツと靴音をしのばせるように階段を上って来る気配がした。
 3階に辿り着くと、彼女は3方を囲むようにして存在する3つのドアを前にして、さて、どのドアのベルを押していいものやらと、見回していたけど、踊り場の煤けたステンドグラスから射し込んでくる午後の光をうけて、僕は彼女の顔をはっきりと見ることが出来た。
  ペルーかヴェネズェーラ人を思わせる中南米風の女に見えた。身なりは貧しいが、意外とシンプルでさっぱりした感じだった。 

 彼女はうっかりすると見逃してしまいそうな、目立たない『K』のプレートのドアの前で、ここだ、と確認するように慎重にブザーを押した。僕はそのとき、たった一度だけ訪れたことのある、あの暗い密室的なロッシ氏のアパートを思いだしたのだった。
 老人独特の匂いの染みた格子縞の壁、沢山の古い写真、その中を今、一人のいわくありげな中南米女が入っていく・・・
 内側からカチャリと音がして半分ほどドアが開き、中から低い声で「チャオ」と言う声が洩れた。
女は吸い込まれるように消えた。
                                           
                                                        ***

 「ついに見たわよ、あの人たちを!」
 入って来るなり、美樹がちょっと興奮気味に言った。
「ちょうど3階へ上りかけていたときなの。いきなりドアが開いて、男性と超ミニの女の人が出てきたので、ああ、この人達なんだなってすぐに分ったわ。
 とにかくすごいの、ミニの女性の格好。だって、すけすけなんだもの。開いたドアのところにもう1人、若い娘がいたけど私を見てぱッと引っ込んだわ。客らしい男性はさっと逃げるように階段下りて行ってしまったけど、年増のミニの彼女、わたしに向かって、ねっちりした声で『チャーオ!』って挨拶したのよ」
「へーえ、もしかしたら君のようなチャーミングな日本女性が一緒に働いてくれたら、一稼ぎ出来るんだけどと、思ったのかもしれないよ」
「あら、そうかしらん?」
 美樹が妙なシナをつくったので僕は吹き出してしまった。
 長い出張から帰ってきたばかりの美樹は、企業や文化財団のために通訳として活躍している活動的な女性である。

 翌日の夜のこと。
美樹と一緒にアパートからほど遠くない、レストラン『ジヴァンナ』に入った。
 もう11時をとっくに過ぎて、キッチンはすでにクローズされているため、食べられるのはピッツァだけだったけど、中は若い客であふれていた。

 ドアを入ってまず、店内のほぼ中央に席をしめている、浅黒い艶やかな肌にノースリーブの黄色いブラウスをまとった女に、僕の眼は釘づけになった。
 紛れもなくあの中南米風の女に間違いはなかった。ウエイターに先導されて、奥のテーブルへと向かう途中、彼女のすぐ横を歩いて行きながら、偶然に眼と眼が会った。

 当然彼女はこっちの顔を知らないので、そのまま眼をそらせたが、そのときこの女を間近かに見て、いかに魅力的であるか・・・階段の上からこっそりと盗み見したときの、こわばった彼女よりもずっと若々しく、と言うよりむしろ幼く、店の明るい照明のなかで、大きな瞳は輝きに満ち、しっとりとうるみさえおびていた。

 残念ながら僕らの席からは、彼女を斜に、後ろ姿しか見ることができないので、彼女と向かい合ってコーヒーを飲んでいる男性に注意がいった。彼はとても綺麗なマスクの持ち主だった。彼ら2人がこの大勢の若い客の中で、もっとも魅力的なカップルに見えた。

 そのとき、僕はこの若者と何処かで出会ったような気がしたのだった。
 波打つ黒い髪と皮ジャンのこの30前後の男。服装はともかく、濃い眉毛と整った表情にはなんとなく見覚えがあった。

「きみ、ほら、あの皮ジャンの若い衆、どっかで見たことない?」
 助けを借りようと、美樹にちらッと合図しながら尋ねてみた。
「・・・ああ、彼ね。」
 一瞥して、こちらに視線を戻すと、美樹は声を落として言った。
「もしかしたら下の階の客かもしれないわね。ほら、あたしがボローニャに出かけた昨日の朝のことだけど・・・6時頃、表門を出ようとしていたら、階段を急いで下りて来たあの彼とほぼ一緒になったの。 間違いなく彼だったわ。門を出て、角を曲がって、あたしがガレージに向かっていると、彼も同じ方向にむかって大股で歩いて行くの。そしてガレージの先の噴水の横に停めておいたオートバイに乗って行ってしまったけど、ちょっと変だなとは思ったの。アパートの前にだって、いくらでもバイク停められるのにね」

 そして美樹は不思議そうに尋ねた。
「ところで、あなた、彼のこと知ってるの?」
「いや別に。ただ、どっかで会ったような気がするんだけど、どうしても思い出せないんだよ。階段や前の大通りで見かけたのではないことは確かなんだけど・・・」(つづく)

| 短編小説 | 18:59 │Comments0 | Trackback-│編集

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すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

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