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短編小説人形 3

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  ミズが全快して以前のように歩けるようになるまで、五ヶ月以上もかかった。すらりとした、日本人には珍しく長身で細めの美しい足の持ち主のミズではあったが、気の毒にもその事故以来、いくらか足をひきずるような歩き方になってしまったのである。
 だが、気性の激しいミズはそんなことをおくびにも出さなかったし、むしろ一言も愚痴をこぼさぬミズに私は不思議な気さえした。

  私がミズに会っていて、いつも気になるもの、それはあの銀の鈴であった。

  私たちが初めて会ったときに ピエモンテの田舎町の工房で、長い髪をたくし上げながら一心に作っていた鈴・・・その長いほっそりとした首につり下げられている銀の鈴は、彼女の病に伏した母親のために造られた物だったのではなかったか?

 それはピラミッドを少しだけ長くしたようなかたちの鈴だったが、どこかどっしりした感じで、古代博物館のガラスのケースの中で見かけるような、味わいのあるものだった。彼女が身をかがめるごとに、チリンとごく微かに、奇麗な音が響いた。

  あまりしげしげと眺める私に気がついて、彼女が言ったことがある。
「これは私のお守りなの」

  母親が癌で死を宣告されたとき、ミズは母のためにピエモンテの金工師のところでこの鈴を作った。そして帰国して、死も真近い母の病室を訪れたとき、それを首にかけてやったという。

『これはあたしの贈り物よ。お母さんのために丹誠込めて作ったのよ』

  彼女は母親が死んだとき一緒に棺に入れてやりたかったが、母はこの鈴を自分が死んでもミズが離さず持っているようにと言い残したそうだ。

「ほんとうに見事な鈴だこと。囁くような音色がまた素敵ね。未知の世界からかすかに呼び掛けているような響きだわ。私と一緒に焼かれて溶けてしまうなんて飛んでもないこと。
 どんなことがあっても、ミズが首にかけて大切に持っているのよ。苦しいことや辛いことがあったら、この鈴の音を聞いてかあさんのこと思い出してね」

 中学校の国語の教師をしていたミズの母親は、霊とか死後の世界を信じるような女性だったという。
 ミズは母親が息を引き取った後も首にかけてやったままにしていた。火葬場で火の中に運ばれる直前に、そっと遺体からはずして、自分の首にかけた・・・

  ミズは鈴を長いほっそりとした首からはずして私の手のひらに載せてくれた。
 虫メガネで覗きこむと、訳の分からぬ文字や図のようなものがびっしりと彫り込まれている。それはアラブ語やエジプトの象形文字から選び出して、霊、出会い、希望などの言葉を自分なりに解釈して勝手に彫り込んだものだと言う。
 その中で、私の見覚えのある模様があった。川という字を横にしたような、ミミズのようにくねくねした、ずばり、川のような三本線であった。これはまぎれもなくミズのサインである。たびたび私はミズのアイデアスケッチのようなものを見たことがあるが、彼女は必ずこのサインで通していた。

 私は小さな銀の鈴を五本の指でやさしく包んで、触感を味わった。

「この鈴は、私が作ったものだけど、母の霊を受けているの。母の言った言葉や信じていたことなどが凝縮されて、わたしの魂の中に生きているのよ。辛いときや気分が荒んだときなど、これを握りしめると気持ちが落ち着くの。死ぬまで離すことの出来ない唯一の宝物なのよ」
 


 付き合っていくほどに、ミズという女は、なかなか複雑で捉え難い人物に感じるようになった。付き合い初めてから2年足らずのとき、こんなことがあったのだ。

  ある日、私とミズがミラノの大聖堂広場を横切っていたときのことである。
 近くにいた子供がいきなり餌をばらまいたので、ミズが名物の鳩の大群に攻撃されてしまった。
怖がるミズの格好があまりにもおかしかったので、私はつい大笑いしてしまったのだが、それが彼女をいたって傷つける結果になってしまったのだ。
 ミズが神経傷害を起こしてしまったのではないかと勘ぐりたくなるようなすごい剣幕で、あげくのはてはプイと姿を消してしまった。
 私はミズは鳩が大嫌いだったことを思いだして、悪いことをしたと思い、その夜彼女のアパートに電話を入れた。留守番電話になっていたので、謝りのメッセージをいれておいたのだったが、なんと機嫌をなおしてくれるまでに1ヶ月もかかったのである。

 私は出張先のペーザロから絵葉書を書いた。
『ミズちゃん、元気?
 帰ったら電話するね。 流太』

 こうしてやっと仲が戻ったのである。
それ以来、私は彼女を怒らせまいと充分気を配るようになったのである。

                                                    *
  にもかかわらず、またまた馬鹿げたことで、私とミズは仲たがいしてしまった。
 それどころか、もう2度と顔も合わさぬ、電話で声もやり取りしない間柄になってしまったのである。  どうして、こんな事になってしまたのだろうかと、私には不思議で仕方がなかった。

  私は、ミズから一冊の雑誌を借りていた。それは、コンピューターデザインをこれから初めようとする、初心者のための手ほどきを特集した、薄っぺらな日本の専門誌だった。
 コンピューターを始めてしばらくしてのことだったが、
「これ、とても役に立つわよ」と、グラフィックに興味をもつ私にミズが貸してくれたものであった。

  ただ、その雑誌はミズの物ではなく、彼女の友人のY氏から借りたものだそうで、
「Yさんのものだから、無くさないでね」と、ミズから言われていた。
 私はその本を仕事部屋の机の上に置いていたが、ある日、日本人のグラフィックをやっている学生が、「ちょっと、見たいから」と言って、持って帰ってしまったのである。
 そしてそのまま2年近くも経ってしまっていた。

「あの本返して欲しいの。Yさんが転勤でロンドンに行ってしまうので返してしまわないと」

 いきなり言われて、私にはその本が、知り合いの若者のところにあることを思い出すことさえ、結構時間が掛かったほどだ。それよりも、あんなちっぽけな雑誌のことを、ミズが思いだして催促して来たことにも驚いた。
 コンピューターの技術情報は毎月と言っていいくらい新しいことが伝わるこの時勢だから、2年前の雑誌など、なんの価値もないのは、ミズだってよく知っているはずである。
 ともかく私は、学生に電話をした。

「そう言えばそうでしたね。すみません、探してみます」
 若者の返答はまことに頼りないものであった。
 その間、ミズは2回も催促をして来た。その度に私は、今探しているんだ、うすっぺらな本だから見つけにくいんだよ、などと言い訳をした。

 若者からはとうとう雑誌は戻って来なかった。
「誠に申し訳ありません。ミズさんには僕の方から、直接お詫びの電話を入れましょうか?」
 ミズとは一面識ある彼は本当にすまなさそうにくり返した。
「いいからいいから。下らんことで心配させて悪かったね」

  ミズから3度目の電話を受けたとき、私は正直に事情を話して詫びを言った。

  いくらか予想はしていたものの、受話器を通してはね返って来たミズの声を、私は一生忘れられないだろうと思った。ミズのヒステリックに驚いて、私も一瞬我を忘れてしまった。

「あんな古臭い雑誌、何の役にも立たないってことは、君が一番良く分っている筈じゃあないか。こんな下らないことでがみがみ当たり散らすなんて、君はどうかしているよ」

 私は鳩の事件を思いだして、仲直りするまでが大変だろうと思うと、気が重くなった。
 ヒステリックなミズの声は、心なしかざらざらして聞こえた。

「ミズ、どこか体の具合が悪いのではないのかい? 医者に見てもらったら?」 

 私は気を取り直して言ったつもりだった。最後に会ったのは2週間くらい前だったが、ミズは何となく元気がなく、顔色も冴えなかったのを思い出したからだ。

「今となっては毒にもクソにもならない雑誌のことを云々するより、君のほうこそ、あの人形を返してくれることを考えたらどうなんだい? 君はやたらとあの人形が気にいってたようだけど、あれは僕の物なんだ」
 そしてつい、口をすべらせてしまった。
「それが嫌なら君の最高傑作の銀の鈴と交換してもらおうか」

 私は話のほこ先をそらせたいばっかりにそう言ったのだが、実はあの鈴に魅せられて、忘れられなくなっていたのが、つい言葉に出てしまったのだった。正直に言えば、あの囁くような鈴の音を夢の中でまで聴いたのだ。微かに聞こえる鈴の音をたよって闇の中をさまよう自分の姿を、夢の中で見たのだった。
 実際、人形と引き換えにあの鈴が手に入るなら、小河夫人には悪いが、そうしてもいいとさえ、都合のいいことを考えたこともあったのである。

 彼女はとげとげしく言い返した。
「あんたって何て馬鹿なの? あれはあたしの命よりも大切にしている物なのよ。あんな下らない人形と混同しないでよ」

 私は再びかっとなって言った。
「運命だとか生命だとか来世だとか、鈴にかこつけて偉そうなことばかり言ってたけど、実際はどうなんだい? 君は我がままで気紛れで、そんなことを本真からまともに考えているんだろうか。本当にそうなら、もっと謙虚になって、我々にも来世とか因果とかあることを見せてもらおうか」

 ちょっとの沈黙があった。ミズは全く聞いていないふうに、
「人形ね。さあ、どこに行ってしまったのかしらね。思い出せないわ」
 せせら笑うように言うと乱暴に電話を切った。(つづく)
      
 

| 『人形』 | 13:06 │Comments0 | Trackback-│編集

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すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

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