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verdi

 僕が初めてヴェルディの故郷を訪れたのは、映画が出来る数年前、ミラノに来て五、六年も経った頃のことである。
 スカラ座博物館が主催する『AMICI DELLA SCALA(スカラ友の会)』というのがあったが(今でもあるかも知れない)、1年に1回の恒例のバス旅行で空席があるので、良かったらおいで、と言われて有り難く便乗させてもらったのである。電話を掛けて来た図書館のルチオは、バス代からレストランの昼食に至るまで、すべて会員が払ってしまっているから、お前は全くタダなんだよ、だから必ず来いという。
その頃、まだパッケージ・デザイン会社であくせく働いていた僕は、早速仮病を使って参加をOK!
ある秋晴れの朝早く、スカラ座前に待機しているバスに勢いよく乗り込んだのであった。

 車内に飛びこんだ瞬間、強い香水のにおいが鼻に付いた。すでに満席になっている客達の面々はほとんど女性ばかりで、しかも中年以上のおばあさまたち。
 ちょいとピクニックに出かけるつもりで普段着でやって来た僕が恥ずかしくなるほど、ご婦人方は念入りに着飾っていて、強いプロフーモが、小娘のようにはしやぐ華やかな雰囲気を、一層あおり立てている。
 僕の斜め前のすごく着飾った、とうに80も半ばを過ぎたような最長老の女性が身動きもせずに座っている。周りの連中はときどき「プリンチペッサ(お姫様)、ご機嫌いかが?」などと、やさしく声をかける。彼女はれっきとした名門貴族なのだそうだ。

 隣に座ったルチオが、小声で説明する。
『スカラ友の会』のメンバーは、オペラ愛好家には違いなかろうが、実はお金と暇の有り余っている高齢の女性達の社交場みたいなもの、なのだそうだ。

 だからと言って取るに足らないような会でもない、と僕は思う。
 この会主催の、偉大なるソプラノ・E・シュワルツコップを囲んでの集いの会もあったし、テバルディが招かれて、彼女の自伝出版記念インタビューが行われたり、レコード出版記念会やいろいろなめずらしい展示会もあった。

 さて、バスの中をくまなく見回してみると、男性は館長さんとルチオと僕と、あと2人の老紳士がいるだけで、言うまでもなく女性群が優勢である。その頃の一番モダンでチャーター料金がトップの大型バス。お金持ちのおばあさまたちのピクニックなのである。

 そんな境遇でいちばん若く、しかも東洋人だというわけで、ぼくは結構珍しがられた。
「みなさん、今日の招待客、K君をご紹介します」
と、館長さんの挨拶で、拍手で迎えられたあと、僕もマイク片手に喋り、『さくら、さくら』を歌わされたり、他愛も無い質問に答えたりして、ご婦人の退屈しのぎに役だったのであった。

 バスはロンバルディアからエミリア・ロマーニア地方へと高速道路を下り、パルマのちょっと手前から、今度は黄金色に輝く田園の中を、のんびりと走って行く。

 ブッセトの外れ、ラ・ロンコレという村にあるヴェルディの生家を訪ねた。
 郵便馬車の馬の交代をさせる地点だったそうで、馬屋などがある非常に質素な二階建てだ。
 ヴェルディの父親は小さなレストランを経営していた。そこで遠出の馭者たちが食事をし、宿泊もした。
 2階の南寄りの、その真下が馬屋になっている部屋が幼いジュゼッペの部屋として与えられていたそうだが、動物の体温が下から伝わって来て、いちばん温かだったから、なのだそうだ。

 ジュゼッペは幼いときから音楽的才能を発揮して、近所の教会のオルガニストに採用されたりする。


 生家を後にして、腹ペコの我々は、予約してあったブッセト市内のいちばん立派なレストラン『Due foscali』に連れて行かれた。
 ヴェルディの初期のオペラのタイトルを付けたこのレストランは、名テナー、カルロ・ベルゴンツィが経営している店で有名だ。
 街の中心部の広場のずっと奥まった閑静なところにあり、そのすぐ近くにヴェルディ歌劇場が君臨している。ここで開催される『ヴェルディ・コンクールは、若きオペラ歌手の登竜門として有名である。

 パルマ名物の生ハム『クラテッロ』やサラミで、舌をなじませたあと、その店のおすすめのプリモ、Gnocchi Nonno Verdiが出てきた。『ヴェルディおじいちゃんのニョッキ』という意味で、緑色をしている。ヴェルデとはイタリア語でグリーンを意味する。
 
 期待の的だったオーナー・ベルゴンツィさんは、ニューヨーク・メトロポリタンに歌いに行っているとかでお留守、ご婦人達をがっかりさせていた。
 ヴェルディ歌いとして世界的名声を馳せたベルゴンツィは、実はこのエミリア・ロマーニァ地方のパルマの生まれで、言うなれば、巨匠ヴェルディと同じ土地で生を受けた。

 ついでながら、オペラの巨匠、ヴェルディを生んだこの地域は、ベルゴンツィだけではなく、戦後のオペラ黄金時代を築き上げた、きらめく名歌手が後を絶たずに出て来たのである。
 パヴァロッティとミレッラ・フレー二は、同じモデナ市出身で二人は幼なじみだったと言う。
 そしてテバルディ。彼女はこのエミリア・ロマーニャ州からたったの20キロくらいはみ出したところにあるペーザロの生まれなのだ。

 偉大なヴェルディが出た後、この地域のオペラに対する情熱は他州を抜きん出ていただろうし、オペラ歌手になるための教育も盛んであったのであろうが、この名歌手達の輩出は奇跡としか言いようがない。(続く)
 

| オペラノスタルジー | 12:46 │Comments0 | Trackback-│編集

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すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

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