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マーポのクリスマスイヴ

「あらっ、可愛い。頭の格好がマーポみたい!」
 これが、初対面でのステッラの第一声だった。
 マーポって何か知っている?
 マはマンダリーノ(蜜柑)のマ。ポはポンペルモ(グレープフルーツ)のポ。この二つを掛け合わせて生み出された新種がマーポってわけさ。マンダリーノのように甘過ぎもせずず、ポンペルモのように酸っぱ過ぎもせず・・色は赤味の足りないちょっと栄養失調的オレンジ色、これがマーポなんだ。何とここに貰われて来る前の僕の名前はアインシュタインだったのに。
 ずばり僕の頭はマーポみたいに小さくて、色もぱっとしない。体も小さくて、それが幼いときからのコンプレックスだった。喧嘩やっても図体の大きいのに噛みつかれ、引っ掻かれ、傷跡は絶えなかった。内弁慶でさんざん悪さして、それでいくらか、不満を発散させた気分になるんだけど、やんちゃも度が過ぎると、とんでもないことになる。でもね、『悪戯』って一言で言っても、それは人間たちの勝手な判断からで、僕ら猫族の行動にはれっきとした理由があることは解ってもらいたい。猫は人間のように感情だけで行動する動物ではないってことも。

 子供は僕の最大の敵だった。子供とまともに喧嘩しても、いつも無条件に悪いのは猫のほうなんだもの。前に住んでいた屋敷の、あのちびっ子ミンモは、すごかった。勉強が嫌いで癇癪持ち。病弱なため、親は甘やかせっぱなしだったから、気に入らないことがあると、手当たり次第ものを投げつける、僕の尻尾をつかんで振り回す、ああ、猫にとって、尻尾を掴まれることが、いかに辛い事か皆さんはご存知だろうか?
 蹴っ飛ばされて、階段から転げ落ちたとき、こっちも堪忍袋の緒が切れたんだ。僕はミンモの足の親指をがぶりと噛んでやったのさ。顎の筋肉が麻痺してしまうほど思っいきりね。ちょっとやり過ぎだったかな?と思ったけど後の祭り。とにかくすっごい血が吹き出して、さあ大変、医者だ救急車だと大騒ぎになったけど、悪いのは無条件に僕のほう。あげくのはて、僕はステッラの所に追いやられるはめになったって分け・・・


 ロメオが自動車の修理工で,ステッラは家で花嫁衣装を縫ってるんだけど、彼女、結構腕が立つらしくて、旦那のよりちょっと収入が多い月があったりするので、恐妻どころか、この家はれっきとした女尊男卑なんだ。
「あんた、コーヒーが切れてるわよ!もう店が閉まるからすぐに行って来てよ、さあ,早く、早くったら!」
 なんてことは日常茶飯、かき入れ時などには、気が立つのもわかるけれどね。
「ローザ夫人に『エピファニア(一月六日の祭日、魔法使いが帚に乗って飛んで来る日なんだって。この日で長いクリスマスの休暇も終るのである)の翌日には必ず納品してよ、春の結婚の支度で、年明けからどっと客が押しよせるんだから』ってしつこく言われているの。昨日も電話でハッパかけてきたわ。でも、あたし三着も縫えるかしらん。あーあ、これじゃあクリスマスもお正月もないんだわ」

 ローザ夫人こそ、僕を下請けのステッラに押し付けた女なのだ。ミンモの足の指噛み付き事件以来、僕に対する態度はがらりと変わったのだった。
『ミンモとアインシュタインとは性が合わないのね。こんな猫、我が家に飼っておけないわ。ミンモが殺されちゃう。さて、どうしよう。捨てるなんて動物愛護教会の顧問として、やるべきことではないし・・・そうだわ、ステッラにやってしまおう、猫は好きだと言ってたし、絶対嫌とは言わせないわ。あたしは大切なお得意さんなんだから』

「とっても可愛い子猫がいるの。でも、家では飼えないの。ミンモが猫アレルギーになってしまったのよ。欲しいという人もいるんだけど、あなたのようなごく親しい人に貰ってもらいたいの。お願いよ、ステッラ、どう?」そして、即座にOKさせたのだ。
「可愛いでしょう?ああ、アインシュタインとお別れなんて、ほんとうに悲しいわ・・・今までのようにいい子ちゃんでいるのよ。わかった?」だーとさ。
『すみれコンパニー』のマネージャー、ローザ夫人は、ステッラのお得意様々だから、「お願いよ」などと言われて、彼女嬉しくなってすぐに僕を引き取る気持ちになったのだ。多分、百着のウエディング・ドレス注文の夢を見てね。


 街はずれの小さな平屋に猫の額にも等しい庭がくっついている・・・それがロメオとステッラと僕のささやかな貸家だ。
 サロンと寝室とキッチンと物置だけなのに、サロンは年から年中,ステッラの花嫁衣装製作工房になっている。何しろまっ白でふわふわした布ばっかりだから、ステッラの、その気の使いようったら凄いんだ。僕は勿論一度だって入れてもらったことはない。彼女が出入りする時に、足の隙間からちらっとたまに見たのと、隣の家のサクランボの樹に登って、遠くからかすかに覗けるくらいが精一杯だった。実は旦那のロメオだって、めったに入らせて貰えない『禁域』なのである。
「ステッラ、今夜はインテルとレアル・マドリッドがやるんだ。こればっかりは何が何でも見のがせないしな。君の『十年後の愛』は明日の午後に再放送されるんだろう?」
「アパートを買う為に、こうして夜も昼も働いているのよ。男の人ってすぐサッカーなんだから・・・仕方がないわ。入って来る前に、ガウンに猫の毛がくっ付いてないかよく調べるのよ」
 許可を得て、神妙に入って行くロメオ・・・そして癇癪玉が家中に響く。
「汚い手でふれないでよっ!」
 二言めにはこれなんだ。ロメオはタイヤの修理工でいつも爪は真黒で、指紋の溝の中まで汚れがへばりついていて、一見汚らしいとはいえ、毎日仕事から帰って来ると、ちゃんとシャワーを浴びる綺麗好きなんだから、そんなにガミガミ言うこともないと思うんだけどね。
マーポのクリスマスイヴ


 さて、クリスマスもま近かに迫った昼前・・・ステッラは忙しさにかまけて、僕のご飯のことをすっかり忘れていた。寒い外をうろついて家に戻って来たんだけど、マーポ専用の皿の中は、今だに空っぽなのである。
 台所でステッラが、テーブルに肘をついてコーヒーを飲んでいる。彼女は『ラ・トラヴィアータ』を聴きながら、さも気持ち良さそうに煙草をふかしている。ステッラはオペラが大好きなのだ。
「オペラ歌手になって、スカラ座でヴィオレッタを歌うのが、少女時代からの夢だったの」だが、ボルドー色に白い線の走ったジョギング・スーツの上下で・・・これが彼女の仕事着なんだ・・・せっせと花嫁衣装を縫って生計を立てなけでばならないのが現状。夢と現実には、引き離された二つの星のように距離がある・・・と粋なことを言ったのはロメオだ。彼だってパイロットになるのが夢だったんだもの。
 鼻歌まで口ずさんでいるのは、よっぽどのご機嫌らしい。旨くウエディングドレスが一着仕上がったのだろうね。さっそく僕は尻尾を立てて、最高に情感をこめて、奥様の足もとに体をすり寄せたのだった。
「あらまあ、ごめんね。マーポのことすっかり忘れていたのよ。もう、仕上げに夢中だったものだから」
 彼女は積んであったヴィスカスの缶を開けようとして、ふと手を止めると、歌うように言ったんだ。
「あらーッ、昨日の鶏のペット(胸のところ)残っていたのをすっかり忘れてたわ。マーポ嬉しい?」
 嬉しいともさ。やれやれ、食べ物は保証された。彼女が冷蔵庫を開けてラップサックを掛けた皿を取り出し、ごそごそ準備を始めたときである。僕は空き腹抱えて、台所の中を、せかせかあっちに行ったりこっちに行ったりしていたんだけど・・・
 一瞬、我が眼はある一点に釘付けになった。サロンのドアが見える。いつもはきっちりと閉っているのに、意外!開いているのである。たった五センチ足らずの隙間にはちがいないけど、確かに開いているのだ。ステッラはトイレに行くときだって、ガチャンと必ず閉めるとっても用心深い女なのに、これは一体・・・魔が差したとしか言いようがないではないか。

マーポ花嫁def


 ・・・小さい頭を突っ込んでドアを押し開らけ、すでに僕は中を覗き込んでいた。一度は入って見たかったサロン。それが僕の切なる願望だった。こんな小さな家なのに、マーポ禁断の部屋があるとは絶対に許せない!気になるのは当然ではないか。いや、どんなところか知る権利があるのだ。このチャンスを逃せるもんかと、僕は足音を忍ばせて中へ入って行ったのである・・・
 でも,期待は裏切られた。ただのありふれた部屋に変わりはなかった。ソファーがあり低い小テーブルがあって、糸やハサミやアイロンなど、商売道具があり、そして白い布切れが積み上げられていた。大きな丸いテーブルがあり、ここでステッラは仕事をするのだろう。そして小さな機械も。これがミシンという奴に違いない。部屋の外から僕はジクジクジーッと機械の動く音を毎日聴いていたのだ。あのかすかな音がいつも僕の鼓膜を刺激し、一層謎めいた世界を想像させていたのだった。どれどれとミシンの上に飛びのろうとしたときだ、台所のステッラの声が聞こえたのである。
「マーポ、ご飯の準備が出来たわよ。あんたの大ぁーい好きなポッロよ。いらっしゃーい」
 声につられてドアの方に振り返ったときだ。ぎょっとして体中の毛が逆立った。部屋の角に白い衣類をまとった一人の女が、直立不動の格好で立ちふさがっていたのだった。女には首がなかった。首無しの白装束の女。僕が牙を剥き出しハーッやったときだ。
「マーポッ、あっ!」
 つんざくようなステッラの声と同時に、僕は女に飛びかかっていた。不思議なことに首無し女は抵抗もせず、叫び声も上げず、ただゆらゆらと前後左右に揺れただけだった。胸の飾りのところに僕の爪が食い込んだ。女の体は堅く掴みどころがなく、そのためザンピーノ(前足)は衣装に食い込んだままで、体はずるずるっと下がっていき、同時に布がびりびりっと裂けていった。
「マーポッ!」
血相変えて飛び込んできたステッラは、僕を捕らえ、レースにひっかかった爪を外そうとしたが、死にものぐるいで身をよじっているんだから、全てが逆効果、白い布はその反動でビリビリと裂けて行くばかりなのだ。
 ステッラの奴、やっとのこと、しっかと僕を抱き込むと、腿を思い切り打ったのだ。二度、三度・・・凄いピンタで股から下がしびれそう、でも、レースに食い込んだ爪はそう簡単に外せない。彼女も僕も、もう夢中だった。ついに彼女は僕のザンピーノを力負かせに掴むと、強引にやっと引き離したのだった。瞬間、僕がくるりと向きを変えたとき、ステッラの胸を思いっきり引っ掻いてやった。悲鳴を上げて彼女がちょっと力を抜いたとき、僕はさっと身をかわして床に降りると走り出したのだった。
 何処へ逃げればいいのだろう。冬だからどの窓も閉っていて、マーポの得意なジャンプで窓から外へ飛び出すことは不可能だ。台所の隅に納屋に通じる小さな穴がある。あそこを潜りぬけてしまえば後は簡単、いや簡単な筈なのだけど・・・でも、そんな所でもぞもぞやっていたら、ステッラに尻尾を捕まえられて引き戻されて死ぬほどぶたれるだろう。ステッラはかーっとなったら、何が何だか解らなくなる超過激派なのだから・・・


「マーポの奴、随分派手なことやってくれたな」
 ごちゃごちゃした中に身を寄せて,一眠りして目が覚めたとき、ロメオの声を微かに聞いた。あの時一体何処へ逃げ込んだのだったけ。僕は気が触れたみたいに泣き叫んでいた。この真っ暗な場所はどこだろう・・・ああそうだった。物置の中に逃げ込んだのだ。ここには靴や傘や古い雑誌や僕専用の籠、そのほかなんやかやと詰まっている物置なのである。ステッラはこれ以上しっつこく僕を追っかけようとはしなかった。それどころか、ご丁寧に鍵まで掛けてしまったのだ。
「あんた、あの猫どっかに捨てて来て!殺したいくらいだわ」
仕事から戻って来た夫に、ステッラはヒステリックに叫んでいた。
「捨てて来いと簡単に言ったって。ローザに『マーポは元気?』なんて言われたらどうするんだい?」

 ・・・暫くの沈黙の後。
「いい案があるわ」と、ステッラの堅い声。
「ダヴィデにエピファニアが終るまで預かってもらうわ」
 え?そんなことしないでくれよ。ダヴィデはステッラの弟で大の猫嫌い。僕が姿を見せただけで真っ青になって、しーっ、しーっと追い払おうとする小心な奴、どんな猫だって彼を好きになる物好きはいないだろう。

「ダヴィデ?あたしよ。うちは今、仕事でてんてこ舞いなの。あんた暫くマーポを預かってくれない?そんな長い間ではないのよ。エピファニアが終るまで・・・そりゃあ、あんたがネコをあまり好きでないってことは知ってるわよ。・・・でも犬と違って朝夕散歩に連れて行ったりする面倒もないしさ、毎日一回缶詰をやってくれればいいの・・・いちいち面倒見なくっても、猫は自分で砂箱の中で始末するから大丈夫。砂と箱はちゃんとこっちで準備するからね。・・・え?ベッドにごそごそ入って来るって?そんなこと絶対ないったら!・・・どう、姉さんの頼みを聞いてくれるの?くれないの?・・・そう、嫌なのね。決定的?・・・分かったわ、あたしもこれで、あんたに来月のお小遣い上げなくてすむので助かったわ。・・・ダメ、物事はすべてDare e avere(Give and take)、姉弟だって同じことよ・・・ところで仕事はみつかったの?・・・まだ失業中?じゃあ切るわよ、良いクリスマスを迎えなさいね」
 ガチャンと受話器を置く音がした。でもすぐにベルがけたたましく鳴り響いた。
「予想通りだわ」と勝ち誇ったステッラの声。
「あんたなの?・・・あら、OKしてくれるの?ブラーヴォ。じゃあ今日中に引き取りに来てくれる?・・・え?何よそれ、我が家も大変なの知ってるでしょ。来年からまた家賃が上がるのよ。あんたのお小遣い毎月二百五十ユーロ捻出するだけでも精一杯なのに・・・しようがないわねえ、じゃあ、いくらか上乗せするわ。あまり遅くならないで来てね。今夜は夕食は期待しないで来て、悪いけど」
 受話器を切り、さっそく旦那に命令する。
「マーポを物置から出して籠に入れるのよ。気を付けて。気狂い猫なんだから!」
 僕はでっかい雨靴の横で小さくうずくまっていたけど、いきなりぱっとドアが開いて、明るい電灯を背に黒い姿を見た。
「臭え!マーポの奴,洩らしてしまったらしいな」
 そうなのだ。ここへ逃げ込んだとき、興奮のあまり引きつけを起こしたらしく洩らしちゃったのだ。お洩らしは、死期も間近い耄猫のやることだと聞いていたのに。たった三歳の若さで、もうこの始末とは!
「マーポ。いい子だから出ておいで」
 女房よりも人間的なロメオが、僕を蹴ったり殴ったりしないのは分かっている。でも、ダヴィデの家に行きたくないのは事実だ。僕は差し出したロメオの手をすり抜けると、物置を飛び出し、一目散に廊下を走り出した。だがそのとき偶然!ステッラがサロンを出て来たのである。ステッラよ、今日はオレと同じく全くついてないんだね。僕は彼女の足元をくぐるとサロンに再び突進したのだった。ソファーの上にふわりと置いてあった、あの破れたウエディングドレスの上に駆け上がり、テレビからテーブルへ、飾り棚へと・・・瀬戸物の人形と一輪ざしが床に落ちてこっぱみじん、水が飛び散る。
「ああ、終局だわ!こいつめ、殺してやる!」
 ステッラの絶望的な叫びが追ってくる・・・
ma'po


「なんだか臭えなあ、こいつ」
 日が沈ずみ始めた灰色の田舎道を、ぽんこつのフィアット・プントを運転しながら、ダヴィデは不機嫌そうに独り言を言った。サロンで、夫婦二人がかりで捕らえられた僕は籠の中に押し込められ、ダヴィデが訪れるまでの二時間を、暖房の真近くに居らされたから、毛は完璧に乾いて、黄金色にふっくらと形をなしていた。でも、臭いまでは取れなかった。
「これでよしと。水浸しでは風邪を引くからな。それに猫の濡れざまほど、さまにならないものはないのだから。あんまりおいたしないでダヴィデに可愛がられるのだぞ。そうだ、念のため、ちょいとオーデコロンをふっとこうか」

 ひと間のダヴィデのアパートは、思いのほか広いが、その混雑ぶりは凄い。掃除なんか何ヶ月もしてないみたいだ。しかもめっぽう寒い。暖房は完全に切れているのだ。僕が「ミャーン!」と泣いたので、ダヴィデは、あわてくさって「お前、ウンチがしたいのかよ」と言いながらこわごわと檻から出してくれた。籠の中でされたらたまったもんではないと思ったのだろうか、猫は犬と違ってそんなだらし無い動物ではないことを知らないようである。彼は砂箱を用意し部屋の角に置いた。
 それからダヴィデは冷蔵庫からサラミと生ハムの端切れを取り出し、堅そうなパンにはさんでがつがつと食べ、口直しにグイーッとワインをひっかけて、いかにも不味そうに顔をしかめた。それからベッドに潜り込もうとしている。僕の飯のことは綺麗に忘れているのだ。
『お腹ぺこぺこなんだよ。今日、丸一日何も食てないんだよ』
 僕が催促がましく泣き続けているので、ダヴィデはベッドに片方の膝を乗っけたまま,不思議そうに僕を見た。そしてやっと事情が納得できたらしく、袋から缶詰を取り出して蓋を開けたのだった。ムースの香りが僕の空きっ腹を刺激し、グーと胃袋が鳴る。
「こいつ、猫のくせにこんな旨そうなもの喰いやがって」
 彼は缶に鼻を近づけて猫まがいにクンクンやっていたけど、やがて意を決したように、引き出しからスプーンを取り出すと、まるでパンナコッタでも食るように、掬って口に入れたのだった。
「ゲーェ!」
彼はトイレに飛び込み派手にゲーゲーやりだした。想像はしていたけど、やっぱり猫と人間の食べる物は完全に違うらしいのだ。やがてデヴィッドはまたワインを一気に飲みくだした。電灯を消し、ベッドに潜ってテレビを見ていたけど、五分も経たない間に軽い鼾をかきはじめた。
 満腹してやっと落ち着きを取り戻した僕は、部屋の隅っこにうずくまっていた。冷たいタイルが居心地悪い。部屋の何処に行っても寒そうだ。ステッラの家でこんな寒い思いをしたことはなかった。僕はいつも夫婦のベッドの掛け布団の上で寝ていたけど、二人の体温がほんわかこっちに伝わって来て朝まで気持ちよく熟睡出来たのだ。
 こんな所でエピファニアまで過ごしたら、きっと肺炎になって死んでしまうだろう。ダヴィデだっていっぱい着込んでベッドに入っているのだ。すり切れた皮ジャンを脱いで,その上にタオル地のガウンを着込んでベッド入りなのである。

 僕はむっくりと起き上がると、そっとベッドに這い上がり、ダヴィデの顔に鼻を近づけた。つけっぱなしのテレビと微かに射し込む蒼い光で見るダヴィデの顔は疲れ切っている。まばらな無精髭の痩せた顔は蒼白で、反り返ったまつげで閉ざされた寝顔は幼く、悪党の兆しなどまるでない。だのに、人間って起きているときは、どうしてみんな悪人になるんだろう。哀れなダヴィデも猫と同じように、寝ているときが一番幸せでいい子になるんだろう、きっと。
 僕は恐る恐る奴の足許に丸くなった。そしていつの間にか布団の中に紛れ込んでしまったようだ。とっても寒かったからだ。

 電話が鳴っている。瞬間僕は床の上に叩き付けられた。鋭い悲鳴を上げたが悲鳴をあげたのは僕だけではなかったのだ。
「この野郎!ベッドに潜り込んで来やがって!」ダビデは凶暴に、だが怖じ気づいたように叫んでいた。
「枕だと思って抱いてたら!気持ィわるい。しっ、しっ、オレの眼の届かない所にとっとと消え失せろ!」
 ・・・そうなのだ。布団の中で僕は無意識に少しずつ上へ上へと登って行ったらしいのだ。暖かい手が僕の体に触れて・・・やがてその手は僕を持ち上げ優しく抱いてくれた。小さいときにかあさんの懐に入っていたときのように・・・
小僧

 ダヴィデは悪魔と化し、箒を振り回してわめいていた。開け放されていたトイレに逃げ込んだのが、最大の失敗だった。
「朝までトイレの中でゆっくりしな。ここがてめえの寝室だ!」
 再び電話が鳴るのが聞こえて、ごそごそ話していたが、やがて僕をトイレに押し込めたまま、ダヴィデはそそくさと出かけてしまったのだった。
 僕はミャーミャー泣き叫んでいたけど、そんなこと無駄なことだとは解っていた。トイレの中を走ったり飛び上がったり、コップや瓶をひっくり返したり大げさにやっていたけどそれも無駄なことだってことも。いきなり下の方から、トントンと乱暴に突っつく気配がして太い男の声が怒鳴った。
「今何時だと思ってんだよ!」
 バスタブの中に、歯磨きチューブの蓋らしいのが転がっていたので、僕は気分転換にそれを転がして遊んでいた。そしてそれにも飽きてしまってバスタブから出て来て、汚れた敷き布の上に丸くなって夜を明かしだのだった。


 明け方、すっかりいい気分で戻ってきたダヴィデは、地震の後のようなトイレを見て呆然とした。一生懸命いきさつを理解しようとしていたようだったが、うずくまっている僕を見つけるや、その顔は残酷極まりない表情に変わった。
「この野郎ッ!」
 僕を蹴飛ばそうとしたが、こっちが得意のジャンプで奴に飛びかかってやったのだ。敏しょうに先に出るが勝ちというのは猫の世界の鉄則なんだ。思いっきり手を引っ掻いたが、手応えはたしかにあった。吹き出した血と同時に叫びを上げたダヴィデは、部屋のなかに駆け込んだ僕を、昨夜のステッラのように追い回した。僕がハーッと牙をむき出すごとに、彼は恐ろしさのために色を失い、ますます凶暴になった。
「出て行けッ!」と叫ぶや、奴はいきなりアパートのドアを開けたのである。冷たい空気が下から吹き込んできた。僕はドアを走り出ると、猛烈な勢いで階段を駆け下りて行った。果てしなく続く階段がやっと終って庭に出るガラスドアを見たとき・・・幸いにして若い男女がドアを開け、中へ入ろうとしていたので、難なく外へ飛び出すことが出来たのだった。
                        
                 *



 凍り付くような田舎道を僕はとぼとぼと歩いていた。掘り返されて裸の土がむき出しになった畑の中を一本の道が続く。果てしない不毛の地。僕は知ってるんだ。春になったらお百姓はトウモロコシの種をまき、やがてそれは信じられないほどの早さで伸びていき、猫達のかくれんぼうの絶好の場所となるということを・・・懐かしいなあ、あの季節が。
 小さな石の橋の向こうに古びた家が並んでいる。橋のしたから出て来た灰色の猫と眼と眼があったとき、そいつはじろりと僕を見た。その威圧におののいた僕が、気が付かぬふうを装って橋を渡ろうとしたら、別のキジ猫が姿を現した。そして何処からとも無く又一匹・・・

マーポのクリスマスイヴ

 遠くで自転車のチリリンという音がして、振り返ってみて驚いた。五、六匹の猫がうろついていたのである。自転車に乗った,着膨れしてまるまるした女がこっちに向かってやって来るのが見えた。やがて橋の所まで来て自転車を降りたので、猫たちは女のまわりを取り巻いた。猫たちが我慢出来ないというふうに「ミャーン」と泣いたので。僕も同じように「ミャーン」と泣いてみせた。
「お前、新顔だな。誰の許可を得てここにいるんだよ」
 あのでっかい灰色の猫が僕にドスのある声で言うのだ。
 女は袋から大きなポリステロールの箱を出し、蓋を開けた。一斉に近づく猫達を追い払うように、女は怒った声で、
「そんなにせかすんじゃアないよ。何時もこうなんだからねえ。」
 どんどん猫たちがやって来て、もうゆうに十五匹くらいになっていた。彼らは争って、ガツガツと食べはじめた。
「あら、コリンったら、お腹空かないの?今朝、もうネズミ捕って食べたのかい?ブラーヴォ」とか「ミリーはどうしていないの?風邪でも引いたのかしらん」などと、小母さんは猫達に話しかけるのである。
 僕がやっっとこさポリ箱に近づいて顔を突っ込もうとしたときだ。あのでっかい灰色の猫が、前足で乱暴にオレを押しのけ、ハーッとやった。
「チッチョ!お前はどうしていつもこう意地が悪いんだい?さっさと消えてしまいな!」拳を上げて怒鳴る小母さんにチーチョはすごすごと後ずさりした。彼女は僕を見て言いった。
「あら、初めて見る顔ね。さあ、お食べ」
 僕はパスタをいきなりほうばった。不味かった。こんな不味いものは生まれて初めて口にした。再び口をつけようとしない僕を女は抱き上げて、まじまじと顔をのぞいていたが、ほっぺたの真っ赤な顔がおやっという表情をした。
「飼い猫なんだね。可愛そうに寒さと飢えで震えているよ。こんなに可愛い猫を真冬に放り出すなんてねえ 。飼い猫がこんな物食べられないのはわかっているよ。これは,パスタとトマトソースだけの物なんだもの。でもお前も見放されてしまったのだから、これからは鼠を捕る練習をしなきゃあね」
 彼女は地面に下ろすと、もう僕の事なんか忘れてしまったように、空になった箱を片付けはじめた。あれほど沢山いた野良猫達は一匹残らず姿を消していた。


 ダヴィデの家を飛び出して多分三日はたっている。随分歩いたと思う。その間、エンジンの切れたばかりの車の下や、町工場のボイラーの近くの壁に身を寄せて寒い夜を過ごした。小さな鼠も二匹捕って食べた。
 小さな広場にたどり着いたとき、教会の十字架がちいさなランプに縁取られて輝いているのを見た。
 ああ、何て綺麗なんだ。向かい側の赤煉瓦の二階家の窓はこんもりと電灯が灯っていて、とっても暖かそうだ。クリスマスツリーの赤や黄色や青い豆ランプが点滅するのが微かに見える。もう、クリスマスもすぐそこらしい。いや、僕の記憶からいくと、明日はクリスマスイヴなのかも知れない。でも、はっきりしたことは分からない。何しろ飢えと寒さで神経がぼけっとして、脳みそがうまく回転しないのだもの。

マーポのクリスマスイヴ

 僕がぼんやりと二階家の明かりを見上げていたときだ。窓辺に一匹の三毛がひょっこり現れた。赤い首輪をした小柄な猫は、お行儀良く座って窓の外を眺めていたが、やがて僕に気が付いたようだった。大きく見開かれたあどけない瞳は不思議そうにじっとこっちを見つめていた。
「君は幸せだな。まるで女王様みたいだよ。君のご主人はきっとやさしい人だろうし、君はボクのようにひねくれ者ではなく、お気に入りのネコちゃんなんだろうね。クリスマスには何を食べるんだい?鶏のペットをこんがり焼いたもの?それとも赤肉の切り身に胡桃の粉をかけたもの?」
 

 昨日の夜から雪が降り出した。昨日は何処で寝たんだったっけ。そうだ、民家の裏庭の兎小屋の板に体をくっつけて寝たんだ。その近くに干し草が山盛りになっていたから、その中に潜ってしまうと、いくらか寒さしのぎにはなった。金網の向こうで大きな兎が一匹、黒い影のようにうずくまっていたが、僕の気配を感じてか、むっくりと起き上がった。僕の三倍くらいも有りそうな図体の奴は僕を見るとそんな危険な大敵ではないと思ったのだろうか、またうずくまって寝てしまった。


 今日も随分歩いた。街に近づいて来た気配だ。もうとっぷり日が暮れて一面銀世界である。何時の間にか雪はやんで、空には無数の星が輝いていた。
 小さな民家が建ち並ぶ一帯に入ってきて、一本の樹を見つけたとき、おや、と思った。紛れもなく、あの見慣れたサクランボの樹に違いなかった。確かにそうなのだ・・・ということは、僕はいつの間にか家に戻って来たのに違いない。雪の上の転々とした自分の足跡を振り返って思った。四日もかかって僕は帰って来たのだと。

 隙間から納屋に忍び込んだ。そして小さな穴をくぐって、こっそりと台所へ・・・あれほど窮屈な狭い穴だったのに、何てことだ、やせ細った僕の体はやすやすと通過することが出来るなんて。きっとこの四日間で一キロは痩せてしまったに違いない。

 微かに聞こえて来るあのジクザクジーという音は・・・あれは紛れも無くミシンの音だ。サロンのドアはきっちりと閉まっているが、ステッラが仕事をしているのは間違いない。クリスマス・イヴだというのにご苦労なことだけど、これも、もとはと言えば、僕の責任なのだ。
 旦那のロメオは何処だろう。寝室のドアは少しばかり開け放しになっている。微かな寝息がもれてきた。僕は忍び込むと、ロメオの寝顔に鼻を近づけた。ロメオを眺めていると、彼だけが僕の味方のような気がする。でも、分からないさ、人間は気紛れな動物なんだから。それに尻に敷かれた男は、どうも芯がなさそうで当てにならないもの。
 ベッドの端っこのところに丸くなって横たわった。『今夜一晩だけここに寝かせてくれよね』たった一週間前まで毎夜そうしていたのに、まるでそれが一年前のことのようだ。ステッラが僕を見つけたらどうするだろうか。息の根が止まるまでぶつかもしれない。それとも雪の中に放り出すかもしれない。もうどっちだって構わない。このまま死んでしまえば本望というところさ。とにかく眠い。叩き起こすなら、最後のお願いだ、八時間後にしてくれよね・・・
マーポのクリスマスイヴのクリスマスイヴ


 あれ?オレ、叉またウエディングドレスの前にいるんだ。ハーッと牙をむき出して、オレの一ばん得意のおっかない顔をしてみせる。だのに白いドレスの女はにっこり笑っているのだ。以外!顔がまともにくっついているんだ。きゃーっ、お化け!オレが逃げ出す前に女はさっと掬うようにオレを抱き上げる。
『まあ、マーポったら、どうしたのよ?あたしよ』
 ステッラなのだ、助けてェ・・・ボクは彼女の腕の中から飛び出すと、どんどん走り出した。明るい緑の野原を。ステッラは白いドレスを蝶のようになびかせながら、追っかけて来る。もう走れないよ。ボクが雑草の中にひっくり返ったとき、ふわふわした白いものが体を覆った・・・

マーポのゆめ

・・・窓から冬の太陽がいっぱいに射し込んでいた。
「あ、眼をさましたみたいだ」
「あら、本当だわ。ときどき、変な声出してたけど、夢を見てたのかもね」
「よっぽど疲れていたんだね。もう昼近くだよ。」
 男と女の顔が心配そうに僕を覗き込んでいた。
「マーポ。良く帰ってきたわねェ。とっても心配してたのよ」
 二人の顔が真近かにあり、笑っているのだ。ステッラの眼に涙が光っている。夢を見てるのだろうか。それとも天国にいるのかも知れない。
 ステッラは僕を抱き上げた。
「マーポったら、こんなに痩せてしまって・・・食うや食わずだったのね。ダヴィデから電話があって、マーポが出て行ってしまったなんて言うんだもの。あたし心配で心配でご飯も喉に通らなかったのよ。でも、マーポはきっと帰って来るって思ってた。とっても頭がいいから三十五キロの道だって絶対大丈夫だって。あたし、毎日教会に行ってお祈りしてきたけど、神様が聞いてくださったのね。あらまあ、耳のところが血が出てるけど、また喧嘩したの?」
「やっぱりマーポにはこの家が一番いいんだよな、そうだろう?これで楽しいクリスマスが迎えられるね。マーポももう子供じゃあないんだから、あんまりお悪戯をするんじゃないぞ」


            * 
 
 僕も少しは悪戯が減って、ひがみ根性も影を潜めてきたみたいだし、ステッラもあまりヒステリーではなくなった。つまり,お互いに年と共にいくらか成長したって分け。
「こいつ、またサロンに入り込んでいるぞ」
「かまわないわよ,布の肌触りがとっても好きみたい。あんなに気持ちよさそうに眠ってるわ」
 山と積まれた布の頂上に身を埋めてうたた寝するって、とっても気持ちがいいんだ。ざらざらした触感が最高だ。ジーンズって、夏は涼しく冬は暖かいって聞いてたけど、本当だと思うよ。
 ステッラは『ラ・トラヴィアータ』を聴きながら、たまには一緒に歌ったりしながら、ミシンでズボンにファスナーを縫い付けることに余念がない。

 さらば過ぎし日よ・・・
 悲しい歌なのに、ちっとも悲しげでなく口ずさんでいる。
「おい、『ブルースカイ・ジーンズ』のロッシから電話だ。どうする?」
「またア?留守だと言って。あの男,なまじっか電話に出ると、一時間もまくしたてるんだから。あの口にファスナーを縫い付けて、しゅーっとしめてやりたいくらいよ」

 これでお分かりだと思う。ステッラは神経をすり減らされるウエディング・ドレスの内職を放棄して、ジーンズにファスナーをつけるという新内職に転向したのだ。こんな事になったのも、ちょっぴり僕の責任でもあるんだけれど。儲けはどうだって?さあ,アパートを買うまでにはまだまだ時間がかかりそうだけどね。
                                 (完)               










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すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

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