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おくりねこ


「・・・わたくし、ティンティンに枕元で見取られながら死にたいの」
老婆はうわごとのようにくりかえす。

医者・・・この言葉、3日間に20回は聞いたな。

「あなたのネコへの情愛に頭が下がります。ネコちゃんはきっとあなたの望み通りにしてくれるでしょう」
「・・・ティンティンはまだ、8歳なの。わたしが死んでしまったらどうなるんだろう」

「ロザンナさん、ご心配要りません。わたしが見てさしあげますわ。わたしとティンティンはとってもいいお友達になりましたの」
アンナは老婆の手を取ろうとした。
だが、老婆は手を引っ込めた。
「あんたがティンティンの面倒をみてくれるんだね?お礼としてわたしの資産全部あんたに託すんだから、それくらいのことはしてくれないとね」

医者・・・おやおや、ネコの面倒くらいで、気の遠くなるような資産を譲るんだって?やっぱり正気ではないな。
「ロザンナ夫人、あなたの生命力はすごい。93歳とはとても思えない。気持をしっかり持つのです」
「わたしは孫を失ってから、どーっと年老いたてしまったのよ。ぐうたらでどうしようもない孫だったけど・・・」

アンナはひとつひとつ老婆の言葉にうなずいてみせる。

「ティンティンはどこだい?わたしの枕元に連れてきておくれ」
アンナは口ごもったが、やっとこう言った。
「今日はとってもいい小春日和なので、お庭を散歩しているようですわ。うっとおしい雨季が終わって、ティンティンもうれしいのでしょう」

老婆はレリーフの天井を、うつろな目で眺めている。
「この天井が私には高すぎてねえ、吸い込まれそうだよ。目がくらくらしてくるよ」
医者はあいづちを打って言った。
「4メートル以上はありそうですからね。全く立派なお屋敷です」
「あなたは誰?バルビエ-リ先生ではないのね?先生はなぜいらしてくださらないの?」
オッホン!小さく咳きをして医者は言った。
「すでに(もう8回も)ご説明申し上げたように、バルビエーリはですね、暫くの間どうしてもうかがうことが出来ず、わたしが代わりとしてロザンナ夫人の健康管理をさせていただいているわけです」

「・・・わたしはティンティンの傍で死にたいんだよ」
うわごとのように繰り返すと老女は目を閉じた。




「先生、ちょとお話が・・・」

医者とサロンに移ったとき、アンナは声を落として言った。
「先生、実は今朝、ネコのティンティンが死んだのです」
「ええっ?死んだ?」
「私が夜明けに病室に入っていったとき、ティンティンはすでに死んでいたのです。いつものようにロザンナさんの足元に丸くなって寝ているのではなく、彼女の枕元で寄り添うように横になっているので、不審に思って近づくとすでに冷たくなっていたのです。私は夫人が目を覚まさないように、そっとネコを抱きかかえて病室をでると、獣医さんにすぐに電話をしてここに来ていただくようにお願いしました・・・ティンティンは老衰で息絶えたのだそうです」
「老衰だって?だってあのネコはまだ8歳なんだろう?」
 娘は顔を横に振った。
「いいえ、本当は18歳なのです。3週間くらい前かしら。お知りあいがお見舞いにいらしたとき、いつまでも綺麗ねえ、ティンティンは。7、8歳くらいにしか見えないわ、とおっしゃったので、ロザンナさんはそれ以来、ティンティンを8歳と思うようになったのです」
「綺麗で毛並みの見事なネコだったものね。私もそう思い込んでいたんだ」
「ロザンナさんの最期まではなんとか生きていてもらおうと、獣医さんもいろいろ手をつくして大変でしたの」
「待てなかったんだな、ティンティンは。ご主人のために頑張ったんだろうけど」
「綺麗でやさしいティンティンは私にもとってもなついてくれたし。わたしの気分もなごませてくれましたわ」

医者は考えているふうだったが、やがて真顔で聞いた。
「アンナ、立ち入ったことを聞くようだが、ロザンナ夫人が他界したあとは、あんたの将来はどうなるんだね?あんたは看護婦の資格も持っているそうだし、新しい勤め口を探すくらい私だって力になれると思うよ。老バルビエーリが死んで、私が代わりとしてくることになり、まだ5日しかたっていない。でも君の献身的な介護ぶりは胸をうつものがあるんだ」

アンナは感謝の眼差しで医者を見た。やがて・・・
「・・・ロザンナ夫人のお孫さんが亡くなってしまって、わたしが今では唯一の身内の者なんですって。2ヶ月前、私が勤めていた老人ホームに、ロザンナ夫人の知人が訪れて、身内の老婦人が病床で先も長くないから、看病に携わってほしいとおっしゃたのです。それでこのお屋敷に伺いましたの。そして弁護士さんから、私がたった一人の相続人だと聞かされたのです」

医者は驚きを隠せない。
「そうだったのか。まるでシンデレラ物語だな」
医者はしみじみと娘を眺めた。
全く化粧はしてないが、顔立ちの整った品のある娘だ。

「あたし、ロザンナ夫人に何とお呼びしたらいいのかしらってお聞きしたら、ロザンナと呼びなさいとぶっきらぼうに言われましたの。無理もありませんわ。わたしたちは他人と同じようなものですもの。書類上の身内なんて何の意味もありませんわね。そのときはまだ夫人は頭もはっきりしてらして」
「そのうちボケがひどくなってきて、ネコの面倒を見てくれるお礼に、莫大な資産を全部プレゼントするんだなどと・・・」
「先生、お金持ちになるって、そんなに重要なことなのでしょうか。お金がたくさんあっても不幸だったり、惨めな一生を終えた方も、たくさん見てきましたわ」
すると医者は笑った。
「そんな屁理屈言わないで、もっと驚きと喜びを感じてほしいもんだね。私も名乗りを上げればよかったよ。おばあちゃま、覚えていますか僕のこと?あなたに会いに40年ぶりにニューヨークから戻ってきたんですよって」
娘は微笑んだ。
「ロザんナさん信じるかもしれませんわ。でも弁護士さんが・・・」
「弁護士もボケてくれないとね」

「先生、ロザンナさんがティンティンはもう死んでしまったことを知ったら・・・あたしそれが辛くて」
「私にもどうしていいか分からんのだよ。君が心をつくして看病するしか方法はないと思うよ」

医者が帰ったあとアンナは寝室に引き返した。
看護婦と家政婦が老女の体を洗い、シーツを変え終わったところだった。
薬が効いているらしく老婦人はうつらうつらしていた。

看護婦や使用人が出て行った後、アンナはベッドの傍らに腰を下ろして窓の外を眺めた。
赤い西日が高い窓枠を染めていた。

本を読む気にもなれず、過ぎ去った出来事が脳裏を横切った。
自分はこの屋敷に送られてきた。
自分は唯一の遺産相続者なのだそうだ。
それがどういうことなのか実感が今でも湧かない。
わたしは小さな2部屋のアパートさえ持てなかった両親の、貧しい育ちなのだ。
死もま近かな老女が目の前によこたわっている。
こんなちっぽけな、今まで会ったこともない娘が,唯一の身内であることを受け入れなければならない老婆・・・


「ティンティンは・・・?」
目をさました老婆はつぶやいた。

あの・・・アンナは言葉につまった。

「ティンティンは19歳だものね」
老婦人が天井を見つめたままぽっつり言ったたので、アンナはぎくりとした。

老婦人はティンティンのことをそれ以上聞こうとはしなかった。
彼女はまじまじとアンナの顔を眺めていたが、やがて力なく手をさしだした。
アンナはそれをやさしく受け止めた。
骨ばった皮だけの手だったが、わずかの温もりを通してはじめて老婆との交流が出来たことが嬉しかった。
手を握られたまま、老女は再び眠りに落ちて行った。



その夜・・・

「先生、こんな夜更けにお電話して申しわけありません。ロザンナさんが亡くなったのです」
「え?すぐにそちらに向かうからね。気を落ち着けて」


「とっても穏やかな顔だね。まるで気持ちよくお昼寝をしているようだ」
「昨日先生が帰られて、ベッドのところにいましたら、ロザンナさんが目を覚まされて、『ティンティンも18歳だものね』って。あたしびっくりしてお顔を眺めたけど、何かいつもとは違っていたみたい。しっかりとわたしの顔をみていらしたわ。そして、手を差しのべたので、わたしもにぎり返しました。ご自分からそんなこと一度もなかったのに。そしてそのまま眠ってしおしまいになったの。そのうちわたしもうとうとっとしてしまったけど、目が覚めたとき冷たくなっていたのです」

「ともしびが消える直前に一瞬の正気をとりもどしたんだな。そして君のことをみとめたんだ。おばあちゃんもネコも最後まで生き抜いて、至福の死をとげた。さあ、これからは君の新しい人生がはじまろうとしているんだよ」(K)
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ひとこと 数年前に『おくりびと』というすばらしい映画が評判になりましたが、タイトルがとてもきにいったので、『おくりねこ』で書いてみました。k

| 猫.cats,gatti 100の足あと | 03:37 │Comments4 | Trackbacks0│編集│▲

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| 猫が語る10の物語 | 21:14 │Comments0 | Trackbacks0編集

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すむらけんじ

作者: すむらけんじ
ミラノに住む広告イラストレーターです。このブログは今まで飼った猫、今飼っている猫のことを綴ったものです。
作者は左耳は生まれつき難聴にかかり、人口内耳に踏み切るまでの耳の歴史、未来のことなども連載しています。

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